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「サルに恋する5秒前」3「恋人ごっこ




(あらすじ)
木の上で絵を描くサルに似た画家の悟流に、くるみは初めての恋をした。
悟流は、くるみの会社の先輩、美女のあおいの恋人だ。
くるみは悟流と会って話す機会を得たいため、悟流の藝大の親友で画家のカッキーに近づき、「恋人ごっこ」のような関係になる?



木山悟琉サトルとあおいは、くるみにとって理想の恋人だ。
悟琉は恋する男だし、あおいは憧れの先輩だ。
二人が親しくする姿を見るのは、くるみにとって素晴らしい時間であり、苦しい時間でもあった。

そんな矛盾な心境を自然とほぐしてくれるのが悟琉の親友、カッキーの存在だ。

カッキーは天然の明るさとユーモアで、4人で過ごす空間を笑いと癒しの場に変えてくれた。

木山悟琉と二人で話す機会が一度だけおとずれた。
「くるみちゃん、画廊にはあれっきり行ってないんだって?」

悟琉は何か言いたげだったが、あおいが近くに来て黙ってしまった。

あっという間にさよならの時間となった。
空は薄紫に暮れかかっている。

あおいは悟流に「今日泊まっていい?」と聞き、了承を得ていた。

そんな二人をくるみは嫉妬の気持ちで見つめたが、同じような人物がいた。カッキーだ。

その時のカッキーは明るさが翳り、切なさを秘めた瞳であおいを見つめていた。

くるみは「誘ってくれてありがとう」とあおいに言い、「楽しかったです」と男二人に言って駅へ歩いた。

「カッキー、くるみんと同じ方向でしょ」あおいの声がした。

「迷惑かもしれんから一緒に帰るのは」

くるみは歩きながら考えた。
あおいを好きなカッキーはいわば同志だ。
カッキーと親しくなることで、親友の木山悟琉と親しくできる。
ていうか、それ以外に悟琉と接する機会は無い。

くるみは走って戻り、カッキーに笑顔で言った。
「同じ方向なら一緒に」

カッキーは意表を突かれた感じだったが、あおいに「カッキーご指名ですよ」なんて冷やかされ、くるみと駅へ帰ることになった。

「ごめんね。迷惑だった?」

「迷惑なわけないやろ。こんな可愛い女の子に誘われて。でも何で?」

「一緒に帰りたかったから」

カッキーはくるみを意識し、ぎこちない感じに照れた。

「何で一緒に帰りたかったんや?」

くるみは本当のことを言った。

「包まれるような素敵な声だから」

「騒がしいやろ?」

「ううん。心地よい」

「そんなん言われたことない。どうすりゃいいんだ」
カッキーは謎のステップを踏みながら歩いた。

「また会ってくれる?」
くるみが長身のカッキーを見上げた。

「俺でよければ。はい」

カッキーはあおいを好きだけど叶わないから、心の隙間にキュンを入れるスペースがあるのだろう。たまに淋しくて。

「連絡先、交換する?」

カッキーに言われて交換したくるみは言った。
「おやすみって電話してくれる?」

くるみもキュンを入れるスペースがぽっかりある。たまに淋しい。

カッキーは慌てふためいた様子で遠くへ走って行き、こちらを振り返ってスマホを高く掲げた。

なんの事やらと思っていると、電話がかかってきた。

「おやすみ」
カッキーの声がした。

くるみは笑ってしまった。
こんな道ばたで言われても。



「おやすみ。おやすみ。おやすみ。どれがいい?」
声を変えて言ってきた。

「2番目」

「おやすみ」
2番目の声でカッキーは言った。

「1番も好き。3番も好き」

「おやすみ。おやすみ」

カッキーは走って戻ってきた。

「俺と付き合う?」

今度はくるみが慌てた。
あおいを好きなのに大丈夫なんだろうか?

でもあおいを好きなこの人なら付き合える。

「そうする?」
くるみは問いかけた。

「そうする?」
カッキーも問いかけた。

「付き合う?」
「付き合う?」
疑問形ばかり言い合って答えが出ない。

暗くなりかけた人通りの無い道。
優柔不断な二人が見つめ合う。

その時、カッキーが長身の体をかがんでくるみの唇に不意打ちのキスをした。

軽く唇と唇が触れ合うキス。

くるみにとって初めてのキスだった。

「嫌じゃなかった?」
カッキーがくるみの目を覗き込んだ。

不思議と嫌ではなかったので、くるみは頷いた。

「じゃ付き合おう」
カッキーはくるみの手を握った。

男の人と手を繋いで歩くのも、くるみにとって初めてだった。
温もりが伝わってきた。

「改めまして柿本潤平です」

「桜野くるみです」

どうぞよろしく、と挨拶しあって、カッキーは電車を遠回りして、くるみを一人暮らしのアパートの前まで送ってくれた。

何時に寝るのか聞かれたくるみが24時と答えると、その日の23時55分に「おやすみ」の電話をくれた。

それから毎日カッキーは23時55分に「おやすみ」の電話をくれる。

✨✨✨

金曜日の会社帰り、あおいは喫茶店「羊雲」で鈴村さくを待っていた。


鈴村とは最初に会った日、羊雲でコーヒーを飲んだ。

彼はあおいを好きだと言い、もう一度会うための小道具として夏目漱石「三四郎」の文庫本を貸りてほしいと言った。

あおいは恋人の悟流に対して不信感がありストレイシープ(恋の迷子)になっていた。

でもカッキーに相談に行き、悟流はあおいちゃんに夢中、と断言され、ストレイシープを抜け出した。

鈴村に本を返してさよならするために待っている。



鈴村が店内に入って老店主と何か話し、席に来た。

「ふられに来ました」
と、あおいを見つめて言った。

真っ直ぐな瞳が凛々しく、めちゃくちゃ格好良い人だと、あおいは思った。

「ごめんね」
あおいは三四郎の文庫本を返した。

「最後に頼みがある。いい?」

何か未練がましいことを言われるのかと、あおいが警戒すると、
「身構えなくていいよ。もう諦めたから」鈴村は笑った。

「今後の人生の参考に質問していいかな? なんせフラれるのは初めてなんで、納得して前に進みたいんだ」

そういうことなら誠意を見せたいと思い「何でも答えます」あおいは言った。

「既読無視したけど、少しは俺に迷いがあった?」

あおいは頷いた。

「迷いが無くなったのはなぜ?」

「さとるんの親友のカッキーに相談して、ストレイシープを抜け出したの」

「迷いを解いたのは恋人の木山悟琉ではなく、彼の親友のカッキーだってこと?」

あおいは頷いた。

「木山悟琉と知り合ったきっかけは?」

「あの公園で出会ったの。私は会社の人に公園でふられて、木の上で絵を描いていたさとるんがドンマイと言ったの。その後、公園を通る時、さとるんがお笑い芸人みたいに笑わせてきて好きになったの」

「木山悟琉と話したけど、彼はそんな面白いキャラじゃないよね?」

「落ち込んだ私を元気づけるため、さとるんはお笑い芸人を演じたの。親友のカッキーのキャラを真似して」

「つまり恋したきっかけは木山悟琉のキャラではなかった。カッキーをイメージして演じた?」

「カッキーはすごく面白い人。天然のお笑い芸人みたいな」

「あおいさんを公園でふった人はどんな人?」

「大阪支社の人で面白い人だった」

鈴村は笑顔になった。
「これで吹っ切れそうだ。あおいさんは面白い男が好きなんだよね? 俺はタイプじゃなかったんだ」

「えっ?」 
思わぬことを言われて、あおいは驚いた。

「木山悟琉も実はタイプじゃないでしょ。不安を解消したのもカッキーだった」

「さとるんには情があるの」

「情がある。それが全てだろうね。木山悟琉の本質を知った上で彼を好きなのかな? 」

「さとるんは欲が無くて優しい人よ。今日だって依頼された風景画を描いているけど、お客さんが二枚の絵で迷った時、さとるんは話を聞いて、そういう意図ならこちらをおすすめします、と他の画家の絵をおすすめしたの。そしたらお客さんはさとるんに描いてほしいと依頼したのよ」

鈴村は思わず笑った。

「そのエピソードを聞いて、欲が無いと思うの?」

「どういう意味?」

「俺も彼の立場なら自分の絵をすすめたりしない。木山悟琉は数手先を読んでる。自分の絵をすすめればその一枚は売れるかもしれないけど、信頼は得られないからね。お客の話を丁寧に聞いて他の画家の絵をすすめたことで、信頼を得て仕事に繋がった」

あおいは思ってもみなくて驚いた。

「俺も数手先を読むけど、親譲りの無鉄砲だからぶち壊すことが多々ある。落ち着きのある木山悟琉が羨ましいな」

「 何でそう思うの?」

「公園であおいさんと俺が一緒にいた時、木山悟琉がスケッチしたでしょ? 俺は無鉄砲だからその絵を依頼したんだけど、あおいさんにふられて、木山悟琉に電話したんだ。そしたら彼はキャンセル代はいらないと言った」

「そうなの?」

「美男美女を描いた絵だから売れるので大丈夫です。モデルになってくれてありがとうと言われた。フラれた俺に遺恨が残らないようにして、あおいさんを守ったんだ」

守られたと聞いて、あおいは嬉しくなった。


「木山悟琉を悪くは思わないけど、あおいさんは彼の本質を知って好きなのか疑問があるってこと。恋の始まりはカッキーを演じたんだし」

「難しいことはわかんないけど、さとるんと縁があったってことでしょ?」

「縁なら俺ともあったし、カッキーともあった。もし木の上からカッキーが下りてきて笑わせたら、もっと好きになったかもしれない」

あおいは頭の中がごちゃごちゃになった。

「困らせてごめん。ふられた男が意地悪言ったと思って忘れていいよ」

鈴村は伝票を持って立ち上がった。

「話してくれてありがとう。おかげですっきりした。あおいさんとはもう会わないよ。木山悟琉には興味がわいたけどね。今日は彼の家に行く?」

「ううん行かない。絵を描き終わるまで会えないの」

「羊雲のケーキは絶品だから、ぜひ食べて」

鈴村は帰り際、老店主に目配せをした。

店主はあおいの前にケーキを持って来た。

「お代はいただいています。ニ杯目のお飲み物も」

あおいは鈴村の好意を受けてケーキを食べた。

✨✨✨

土曜日、くるみはカッキーの家に呼ばれた。

くるみが木山悟琉の絵を好きだと知ったカッキーが、ぜひ自分の絵も見てほしいと言ったのだ。

彼の家の最寄り駅で降りると、思わぬ再会があった。
大学の卓球サークルの先輩で、くるみが初めて恋をしたと思った相手だ。
ティッシュペーパー五個セットを下げていた。

先輩が卒業時に同級生の彼女と結婚すると知ったくるみは、好きです結婚しないでください、と言った。

先輩は言った。
「くるみちゃんのことは可愛くて気になっていたけど、ほとんど二人で話したことないよね。集団でいる時と二人の時は違うから。そんなのも知らず結婚を白紙にはできないよ」

先輩の本質も知らず恋と思ったけど恋もどきだったのだと、くるみは知った。

次に好きになった人には近くにいて、たくさん話そうと思ったきっかけの人だ。

ティッシュのせいか所帯じみた印象の先輩はくるみを眩しそうに見て、「少し話せる?」と言った。

くるみは先輩と駅前のカフェに入った。

卓球サークルの話をしあってから、くるみはこの近くに住む一人暮らしの男性の家に行くと言った。

「その人を好きなの?」

くるみは首を傾げた。

「好きでもない男の家に行くのはどうなんだろう」

「好きな人の親友で信用しているから」

あれから毎日カッキーは、くるみが就寝する5分前の23時55分に電話して「おやすみ」と言ってくれる。

「寝ちゃったり面倒だったら出なくていいよ」
と言われたが、くるみはカッキーの声を聞いて眠るのが毎日の安らぎになっていた。

カッキーは「何か話したい?」と聞いて、くるみが話せば聞いてくれるし、「特にない」と言えば電話を切る。
そういう真面目さが信用できる。

「そろそろ行くね」
くるみが席を立とうとすると、先輩がケーキを奢ると言った。

くるみはデザートに目がない。
家賃があるので普段の生活は無駄遣いを控えているし、ご馳走になることにした。

「くるみちゃんの夢を見た」
突然言われた。

「夢なのか白日夢なのか境界線がおぼろげで。休日の昼間、妻は買い物中で僕はソファーでうとうとして、夢の中にくるみちゃんが現れた。森の中で一枚の美しい絵のようで、あなたは絵だって僕が言った」

くるみは笑った。
「夏目漱石の三四郎で広田先生が見た夢じゃん」

「たぶんそれだと思う」
先輩も笑った。

「あの頃、サークルの部室でくるみちゃんが三四郎を読んでいたでしょ。何を読んでるの?って僕が聞いて。覚えてる?」

「数少ない二人の会話だから覚えてるよ、もちろん」

「実はあの後、三四郎を買って読んだんだ。共有したくなって」

「知らなかった」

「妻とは大学一年の時から付き合って、お互いの親も公認で、せっつかれるように就職と同時に結婚したけど、くるみちゃんと付き合う世界線もあったのかなって最近ふと思って。そしたら夢を見た」

ケーキが来て二人で食べた。
「こんなの一緒に食べる機会もなかったものね。それで結婚しないでくださいなんて、私、よく言えたな」

くるみはなんだかおかしくなった。
あの時は真剣だったけれど。

「次は好きな人の近くにいて、たくさん話すって決めてるの」

「こっちはまた夢を見るかも」
先輩はくるみを見つめた。

「いいよ夢くらい。どうぞ」

✨✨✨

くるみがスマホのGoogleマップを見ながらカッキーの家に着くと、彼はジョーロを持って通りで待っていた。



「駅に着いたってラインを貰ってずいぶん経ったから心配やった」

「駅前のカフェでケーキセット奢ってもらったの」

「誰に?」

「ティッシュ五個セット持った男性」

「どんな話をしたんや?」

「くるみを夢に見た。あなたは絵だ。また夢を見るだろうって言われて、夢ならどうぞって店を出た」

「ポエムな男やな。連絡先聞かれた?」

「聞かれてない」

「ティッシュ五個持ってポエム語って連絡先も聞かないのか。おかしな奴がこの町にはいるんやな」

カッキーの言い方がおかしくて、くるみは笑った。

「ケーキくらい何個でも俺が奢ってやるから、食いもんにつられておかしな男について行かないこと」

背後から女性の声がした。

「そうね。女をとっかえひっかえする男には気をつけないとね」

小一の女の子を連れた女性が睨んでいる。

「兄貴の嫁さん」
カッキーがくるみに言った。

「この間、家に来た女性と違う人じゃないの」
と兄嫁は耳打ちした。
くるみは地獄耳なので聞こえた。

姪っ子は助走をつけて、くるみに向かって走って来た。突き飛ばすつもりだ。

カッキーが気づいて姪っ子をひょいと抱き合げ、
「明日、学校から帰ったら遊ぼうな。メイ」
と、くるくるっとヘリコプターみたいに抱っこして回した。
メイは機嫌を直して笑った。

「潤ちゃん、後で話そうね」
兄嫁は娘を連れて隣の家に入った。

「この間と違う女性って?」
くるみはカッキーを睨んだ。

「誤解やって」

「帰ろうかな。男の一人暮らしの家に行かないようにって言われたし」

「誰に?」

「ケーキセットの人に」 

「ティッシュ五個セット持ってポエム語った奴やろ?  俺よりそんなおかしな奴を信じる?」

くるみは通りへ出て帰り始めた。

「家に来たのはあおいちゃん!」
カッキーが叫んだ。

くるみはびっくりして振り向いた。
「あおいさんが? 家に入ったの?」

「着換えに入っただけ。スカートがめくれてデニムに着替えただけやから」
カッキーがなぜか赤くなった。

あおいとカッキーの距離が近いのには理由があったのか。

「家で話そう。なんもないから」
カッキーはくるみにジョーロを渡した。
「兄貴の嫁さんに説明してすぐ戻るから!」
隣の家に走って行った。

くるみは今のうちに帰ろうかと考えた。

でも木山悟琉に親友として信頼され、あおいにも足を運ばせているカッキーに興味が増した。

男の一人暮らしなのに、色とりどりの花が花壇に咲き乱れ美しい。

 カッキーは何か持って走って戻って、
「良かった。いてくれて」
笑顔になった。

「兄貴の嫁さんに、この間来た人は親友の恋人で相談しに来ただけ。くるみちゃんが俺の恋人ですって言った」

あおいは何か悩んでカッキーを頼った。
木山悟琉との仲が揺るぎないものとは言えない。隙間がある。

一方で、自分のことを俺の恋人ですとカッキーが兄嫁に宣言したことは、くるみの心をざらつかせた。
責任みたいな重いものが立ちはだかる気がした。

くるみにとってカッキーとの仲は「恋人ごっこ」なのに。

「兄貴の嫁さんが映画のDVD貸してくれた。ロマンティックアクションやって。エッチなシーンは無いから大丈夫って言ってた」

カッキーはくるみを家へ招いた。

一番広い部屋がアート部屋で、カンバスや画集などアートで埋め尽くされていた。

カッキーは紙芝居でも見せるように、自作の絵を次々とくるみに説明しながら見せた。

木山悟琉の情熱を感じさせる絵と違い、カッキーの絵は軽妙で美しい色彩、センスの良さを感じさせた。

くるみは「とても素敵」と言った。
カッキーは嬉しそうだった。

「いつか個展を開いて、くるみんを描いた絵を真ん中に飾ろうかな」

アート部屋のカッキーはふざけた感じが封印されていた。

「くるみにモデルになってほしいの?」

「もっと距離が近くなってから」

「ヌードにはならないよ」

「何でそんなこと?」

「裸体画のコンクールがあるって知ってるから」

「そうか。頼む選択肢もあるの忘れてたわ」

カッキーはコンクール用に描いた裸体画を見せてくれた。
「雇ったモデルを描いたんやけど、何枚描いても心が動かない」

「心が動かないとだめ?」

「技巧でカバーできないのは未熟さやな」

「木山悟琉もそうでしょ? 情熱があると無いとで全然違うって、画廊のオーナーが言ってた」

「悟流は俺よりもっとそういうタイプやな。情熱があると、めちゃくちゃすごい絵を描く」

私のヌードを描いた時は情熱を持ってくれたんだろうか。

「ここでいつも描いているの?」

「実家にアトリエがあるから半々かな」

「恵まれた環境なのね」

木山悟琉はアパート暮らしでアトリエも持っていない。彼と一緒になったら貧乏暮らしかもしれない。

それでも、くるみは木山悟琉が好きだ。

✨✨✨

アート部屋を出て居間のソファーに並んで座ると、カッキーはいつものお調子者の感じになっていた。

「なんかアート部屋では雰囲気違ってたね。イケメン風だった」

「くるみんは俺のことイケメンですねって言ってくれたやろ?」

「イケメンって言ってくれって頼まれたから言ったんじゃん」

「へえ。最初の印象と違って、くるみんって思ったことはっきり言うタイプなんやな」

「初対面では猫かぶったから。猫かぶりは疲れるからもうおしまい」

「それがいい。猫も迷惑やしな」

「カッキーは東京生まれの東京育ちでしょう? なんでそういう喋り方なの?」

「ああ関西弁風のこと?  中高一貫の男子校で仲良かった三浦って奴が、大阪から父親の転勤で入学して。六年間部活も一緒でよく喋ったからこんな感じになったんや」

「部活って美術部?」

「それがな、テニス部。進学校で週に二三日程度のゆるい部活やったけど、団体戦で東京都のベスト16になったんや。エースで部長の三浦がシングルス1で、俺がシングルス2」



「カッキーはどんなプレイするの?」

「俺はこの体格やからサーブとスマッシュは威力満点。ファースト入れば、ほぼ得点」

カッキーは立ち上がってエアでサーブを打った。
迫力と敏捷さがあった。

「高校の部活最後の東京都の個人戦で、俺は三浦とダブルス組んだんや。俺は決定力はあるけどミスもするから、もっと安定した奴と組んだ方がいいって言ったんやけど、三浦はカッキーと組みたいって言って」

くるみは青春モードになっているカッキーの話を聞いた。

「俺たちはシードを取って都大会の予選決勝まで勝ち上がったんや。相手ペアは第1シードで、テニスの強豪校のエースとナンバー2。こっちはゆるい部活やのに、向こうは毎日テニス漬けで格が違う。まともにやったら勝てないから三浦と戦略会議。その結果、俺らが5ゲーム連取して5-0のマッチポイント握ったんや」

「嘘。漫画みたい」

「こっちは頭が良かったからな」

「どんな戦略?」

「エースは左利きやから、左利きの利点を出させない試合の組み立て。さらに相手を苛つかせて、波に乗せないようにした」

「どうやって苛つかせたの?」

「プレイの合間に俺が三浦に耳打ちして笑い合ったり、強豪校のエースの応援でずらりと並んだ向こうの後輩たちに、コードチェンジの時、どうも君たち応援ありがとう!なんて言ったり。ダブルスはノリとリズムがエネルギーを生むから、調子乗ってるくらいが伸び伸びプレイできる。向こうは苛ついてミス連発」

「へえ」 

「それから俺の奇襲戦法。相手の胸を狙ってスマッシュ打ちこむと見せかけてビビらせ、視線と違うネット際にポトンと落としたり。強いファーストサーブ打ちこむと見せかけてアンダーサーブでゆるく入れたり。向こうはおちょくられていると思って苛つく。股抜きショットって知ってる?」

カッキーは立ち上がった。
「こうやって球を追いかけて追いつけないと見せかけて、後ろ向いたまま股の間から打つ」

カッキーは股の間からひょいと後ろに打つやり方をした。

「股抜きショットは高校生でできる奴はまずいない。こんなふざけたのを練習しようなんて思わんしな」

くるみはカッキー劇場に吸い込まれた。

「予想してると思うけど、試合に負けたんや。マッチポイント握って俺のサーブで、ファーストをフォルトした。普通やったらセカンドは八割位で安定したのを打つ。俺はセカンドでも威力があるから、レシーブが浮いて三浦がボレーで決めてくれるしな。なのに、エースを決めたら格好良いやろうなって調子に乗って、俺はダブルファーストをした。結果、ダブルフォルトしてデュースになって流れが変わった。一度手放した流れは取り戻せない。5-0からまくられて相手の7ゲーム連取で負けた。向こうの応援は火を吹いて加速していったしな」

カッキーはすとんとソファーに座った。

「予選決勝で逆転負けした帰り道、俺は三浦を見られなかった。俺なんかと組まなきゃ、三浦は都大会本戦に行けたやろう。涙がこぼれるから空見上げて歩いてた。そしたら三浦がカッキーと組んでめっちゃ楽しかったわ。タコ焼きでも食って帰ろって。今でも思い出すと悔しいやら情けないやら。でも俺もめっちゃ楽しかったんや」

くるみはカッキーの肩をポンポンと叩いた。

「三浦は阪大に入学し、俺は藝大に入って悟流と出会ったんや。くるみんはスポーツ経験ある?」

「中学から卓球部。大学でも卓球やってた。ケーキセットの先輩が卓球サークルの部長で」

カッキーは驚いてのけぞった。

「ティッシュケース五個セットのポエム語りは大学の先輩やったんか? なんで重要な情報を言わないんや」

「あれ、言わなかったっけ?」

「ケーキセットの人って言ってたやん」

「久々に食べたケーキが美味しくて、ケーキに引っ張られた」

「食いもんにつられて知らん人について行ったのかと心配になったわ。先輩か。連絡先聞かれてないんやろな」

 「聞かれてない。先輩、既婚者だし」

「既婚者が夢に見ただの、あなたは絵だの言ったのか? とんでもないポエム野郎やな」

くるみは笑った。
カッキーと話すと楽しい。

「いいと思うよ。くるみんの芯の強さ。頼んでもないのに、ヌードにならないよって言われたしな」

「頼まれたら困るから先に言っといた」

「嫌なものは嫌って言うようなところ、本気で好きになったみたいや」

カッキーはくるみを熱く見つめ、くるみが見返すと、照れたように目をそらした。

「せっかくやし、お義姉さんおすすめの映画でも見るか。ロマンティックアクションってよく知らんけど」

カッキーはDVDをセットした。

くるみはアクション映画に興味が無く、流して見た。
男女二人が何かの敵に向かって戦って、何かを得ようとしているらしかった。
女性もアクションが得意で男の敵をやっつけるが、ものすごく強い敵には苦戦して倒されそうになり、主役の男に助けられて苦難を乗り切った。

カッキーは没入して、自分が主役になったつもりか、立ち上がってアクションし、くるみを守るように敵をやっつける動作をした。

くるみは映画よりカッキーを見ているほうが面白くなった。

映画の男女は時々もめて口喧嘩をした。

くるみは半分以上カッキーを見ていたので見逃したかもしれないが、特にきっかけもなく男女の様子が急変した。
視線が交わり、熱く見つめ合い始めたのだ。

ロマンティックアクションというから、口喧嘩もこうなる布石だと、くるみは予想していた。

映画の男女はキスを始めた。

どちらともなく近づき、唇が重なったと思ったら、激しくむさぼるようにキスしだした。

これがロマンティックなの?とくるみが疑問に思っていると、人生で一番驚くことが起こった。

カッキーがくるみにキスしたのだ。

初対面でされた唇と唇が触れ合うあのキスではない。

カッキーの舌がくるみの舌に触れてきた。

くるみはびっくりして、カッキーを思いっきり突き飛ばした。

カッキーは飛び退きながら、「えっ」と言った。

「嫌なことは嫌って言えって言ったよね?」

映画が再び戦いになって騒がしく、カッキーはDVDを停止した。

「キスが嫌? 恋人なのに?」

「キスなら、この間のあれでよくない?」

「あれやったら姪っ子と同じになる」

「姪っ子とキスしてるの?」

「向こうがチョンと口をくっつけてくるんや。可愛すぎて避けられない。姪っ子と同じキスじゃ、くるみんは姪っ子ツーになってしまう。映画の続編やないのに姪っ子2って」

カッキーはくるみを熱く見つめた。

「くるみんのことを本気で好きなんや。けど、くるみんはそうでもないんやな。恋人ならキスは当然のスキンシップやけど」

くるみは混乱した。

カッキーはあおいを好きだと思ったから、恋人になったのだ。

お互い他に本命の好きな人がいて、恋人と言っても「恋人ごっこ」のようにゆるい感じだと思っていた。

くるみに急激に前のめりになるとは想定外。誤算だった。

しかし今カッキーに恋人関係(恋人ごっこ)を解消されたら、あおいの恋人であり連絡先も知らない木山悟琉と会う機会が無くなる。

考えてみれば、カッキーはくるみに巻き込まれた人物だ。

巻き込んだくるみには責任があり、自分だけリスクを負わないのはズルすぎる。

くるみはキスだけは受容しようと思った。

カッキーのことをどんな種類の好きかはわからないが、好きは好きなのだ。

「嫌じゃないけど、びっくりして。初めてのキスだから」

カッキーは「え?」と立ち上がった。

「過去に彼氏は?」

「いたことない」

カッキーは落ち着かなくなって歩き出した。

「俺がくるみんの初めての彼氏か。マジか信じられん」

カッキーはくるみの手を握った。

「嫌じゃないなら良かった。びっくりさせてごめんな。初めてのキスなら思い出になる場所でしたかったのに、もったいないことをした」

カッキーは「続き見ようか」と映画をつけた。

映画は例の男女が次のステージで敵と戦っていた。
危ないところを切り抜けて一段落すると、また熱く見つめ合ってディープキスをした。

カッキーはくるみを見つめ、驚かせないようにあらかじめ、
「キスします」
と言って顔を近づけてきた。

くるみはカッキーを突き飛ばした。

「何で?」
カッキーはびっくりし、戦いが始まり騒がしくなった映画を止めた。

「キスは一日一回。今日はおしまい」

「何で一日一回なんや?」

「もう、いっぱいいっぱいで」

「そうなんや⋯。承知しました」

カッキーは引き下がった後、
「さっき途中で突き飛ばされたから、今日のぶんはまだでは?」
と真顔で聞いてきた。

「一日一回。今日はおしまい」

「⋯はい。承知しました」

くるみはこの際、言うべきことは言っておこうと思った。
これ以上、当然のスキンシップとやらが増えたら困る。

「それからキス以上は絶対だめ。約束ね?」

くるみはカッキーの小指に自分の小指をくっつけて指切りした。

カッキーは無理矢理指切りされた小指を見つめながら、また映画をつけた。

例の男女が戦いが一段落して、ディープキスを始めた。

「こいつら何回キスしたら気が済むんや! キスは一日一回って言うとるのに!  おかしな映画やな」

「くるみは序盤からおかしな映画だって思ってた」

「何でお義姉さんはこんなおかしな映画をすすめてきたんや? 俺にどうしろって言うんや」

カッキーは映画を消した。

「今度、一緒に映画館に行こう。くるみんの好きな映画にしよっか」

「カッキーの好きな映画でもいいよ。でもロマンティックアクションは⋯」

「こりごりやな。そうだ、テニスしよっか。教えてあげる」

「四人でテニスしたいな(木山悟琉も)」

「四人やったらダブルスできるしな」

カッキーは何やら考えこんでいた。

「確認やけど。キス以上は絶対だめって件やけど、キスはOKなんやろ?」

「一日一回。今日はおしまい」

「で、どれがキスより上か下かわからないんやけど。嫌だったら突き飛ばしてな?」

カッキーはくるみにそおっと近づいて、優しく抱きしめた。

くるみは嫌じゃなかったので身を任せた。
カッキーの体温が温かかった。

「これはOK?」

くるみは頷いた。

(一日一回とも言われなかった)
柿本潤平は嬉しくなった。

「じゃこれは?」

柿本潤平はくるみを抱きしめながら、耳元で「おやすみ」と囁いた。

くすぐったいし意図がわからなすぎて、くるみは笑って体を引いた。

「嫌だ。くすぐったい」

「笑ってるから嫌じゃないんやろ?」

「一日一回。今日はおしまい」

(出た! 一日一回)

「じゃ、これは?」
柿本潤平がくるみの膝に頭を乗せて、ソファーに寝転んだ。

「重たいから嫌だ」

「だめ?」
柿本潤平が上目遣いで甘えたように、くるみを見上げた。

「二週間に一回」
くるみは譲歩した。

柿本潤平は満足を得て、好きな人の膝の上で目をつぶった。

柿本潤平はまどろみながら目を開けると、くるみの豊満なバストが見えた。

「これは?」

柿本潤平はそおっと、くるみの胸の近くに手のひらをかざした。

くるみは柿本潤平を膝から勢いよく突き落とした。

柿本潤平は床に転がり落ちて言った。
「⋯承知しました」

柿本潤平は床に打ち付けた腰をさすりながらソファーに座った。
「もう一つ確認なんやけど、キスより上はだめって約束はいつまで?」

そんなことを聞かれるとは思わず、くるみは困った。

本音を言えばキスより上は本命じゃないと嫌なので、「永遠に」無理なのだ。

でも今それを言うわけにはいかず、思考した。

一年くらい経てば、木山悟琉と恋愛にすすめるか無理か結果が出るだろう。
そしたら「恋人ごっこ」は終わりにする。

「一年」
くるみが言うと柿本潤平は驚き、

「一年は長すぎる! 姪っ子のメイがオギャーと生まれて一年経つと歩いたからな」

「十か月」

「十か月? 姪っ子のメイが高速ハイハイして、家の階段をよじ登ったからな」

「八か月」

「八か月? 姪っ子のメイが家中をハイハイして回ったからな」

「六か月」

「六か月、半年か。承知しました! 手帳に印を書いておこう」

くるみは怖ろしい約束をしてしまったと思い、ふらふら歩いてキッチンに来た。

冷蔵庫に右手をつき、考えた。

半年は短すぎる。

あおいという恋人がいる木山悟流の気持ちを、自分に向けさせるのが半年で間に合うわけがない。

くるみ、策に溺れたり。

しかし、くるみは冷静に頭の中を整理した。

半年後にカッキーに全てを許すと約束したわけではない。

キスより上はダメという約束の期限が切れるだけだ。
期間延長を申し出れば良い。

もちろん期間延長は相手の同意あってのことだから、カッキーはくるみと恋人関係(恋人ごっこ)を解消すると言うかもしれない。

しかし、それはカッキーの問題だ。
他人の問題に介入できない。

くるみとしては木山悟流が本命な以上、カッキーとキスより上は絶対できないから、期間延長を申し出るしかない。

カッキーが半年後にどうするか、そんなことを考えたって仕方ない。
カッキーの問題だ。

くるみは悩むのをやめた。

「くるみん。喉渇いた? 遠慮しないで冷蔵庫開けていいよ」
カッキーがいつのまにか横にいた。
「プッチンプリンがあったっけ?」

「プツチンプリン?!」


くるみはぴょんぴょん跳んで喜んだ。
プッチンプリンは大好物だ。

絶望したり悩んだり悩むのをやめたりしたから脳が糖分を欲していた。

「そんなに喜ぶなら買っといて良かったわ」
カッキーは冷蔵庫を開けた。
飲み物しか入っていない。
 
「そうや、風呂上がりに食べたんや」

くるみは閉めた冷蔵庫に手をついて、猛烈にがっかりした。
プッチンプリンの口になっていた。

「そんなに好きやった? ごめんな。なんか腹へったな」

「くるみが、ありあわせでなんかつくろうか?」

「え、料理してくれるの? 俺のために?!」

カッキーは歓喜して、フィギュアスケート選手みたいに三回転した。

くるみは冷蔵庫の野菜室を開けた。キャベツの芯しか入っていない。

「カッキーぜんぜん料理しないの?」

「弁当買ってきたり外食したり実家で食べたりお義姉さんが持ってきてくれたり」

くるみはもう帰ろうと思い、リュックを取りに行った。

「くるみん。バイク乗ってみる? ありあわせの食材、買いに行こう」

柿本潤平はあおいに貸したデニムをくるみに渡し、他の部屋に着替えに行かせた。
お義姉さんから借りっぱになっていた。

ここにあの時のデニムがあるということは、柿本潤平はあおいとまた会ったのだ。
木山悟流はそれを知らない。

あおいとラインの交換して、悟流に内緒でやり取りしていた。

「新発売のお菓子すごく美味しいよ」
とあおいが教えてくれたら、
「うますぎて顔がとろけたわ」
とお菓子を食べる変顔の写真を送って笑わせたりした。

そんな感じの悟流に見られてもいい他愛ないやりとりだ。

あおいが洗濯したデニムとパーカーを返すと言うので、二人で待ち合わせした。

柿本潤平はデートのような気持ちになって緊張し、向かいの席でお酒を飲んで頬が染まったあおいを見つめ、口数が少なくなった。
いつもの調子が出ない。


親友の木山悟流にあおいを恋人だと紹介された日から一年近く、柿本潤平はあおいに恋していた。

あおいが相談しに家に来た時、姪っ子がやきもちやいて突き飛ばし、あおいは花壇に転んだ。
その時、あおいの薄手のワンピースがももの上までめくれて、下着が丸見えになってしまった。


柿本潤平は男友達数人と飲んだ時、
「片思いの人の下着が見えてしまった」と言った。

すると適温より1℃低めの友達が、怖ろしいことを言ってきた。

「男は女性のパンツを見てしまったらそのパンツの持ち主に惚れてしまう習性がある。カッキーお前はパンツの魔法にかかってしまった!」

本当に魔法にかかったらしく、あおいのことを考えると苦しくなった。

切なくて魔法を振り払いたくて、気づかれんように振る舞っていたら、あの日、くるみが一緒に帰ろうと誘ってきた。
 
自分の声を好きと言ってくれた。

包まれるように素敵な声だと。

「おやすみ」と電話してほしいと言われた。

「付き合う?」くるみとキスをした。

柿本潤平はその友達にラインした。

「突然現れた姫のキスで魔法がとけた」

あの夜、あおいからラインが来た。

「カッキー、くるみん送ってどうなったの? 送り狼になってないよね?」

「俺の心が襲われてしまった」

「どういう意味?」

「好きになったんや」

既読だけついた。

翌日、あおいからラインがきた。

「カッキー良かったね。好きな人ができて」

それっきりラインのやりとりをしていない。

✨✨✨

くるみを後ろに乗せて、カッキーはスーパーマーケットへバイクを走らせた。

くるみは怖いのか、しっかりしがみついてきた。

スーパーの中へ入ると、カッキーは椎茸とかズッキーニとか真っ赤なパプリカとか、自分の好きなものを持ってきて、くるみに見せた。

いちいち嬉しそうにカゴに入れるので、くるみは大きな身体の彼が可愛く見えてきた。

カッキーが会計をして二人でスーパーを出ると、彼は「あ」と言って、ちょっと待っててくれるよう、くるみをバイクのそばに残して店に戻った。

間もなくカッキーは戻ってきて、くるみをバイクに乗せて走った。

✨✨✨

カッキーの家に戻ると、出かける前にくるみがセットしたご飯が美味しく炊き上がっていた。

「ああ人生で一番幸せな日や!」

カッキーは食事テーブルで感動にひたって座っていた。

くるみは料理が得意ではない。
あり合わせでいつも適当につくっている。

過度に期待しているカッキーの様子がプレッシャーだが、プレッシャーを感じたところで凝った料理ができる腕もないので、普段通りの適当なあり合わせ料理を作った。

フライパンが家のと違うので、火加減に失敗して派手に焦がした。

味が足りない感じがして適当にソースを足してみた。

味見をすると、食べたことのない濃くて暑苦しい味になっていた。

控えめに言って、今まで生きてきた中で一番不味い。

くるみは背後のカッキーが見られなくなった。

あり合わせで適当に作ったとしても相当不味いのに、この料理はわざわざバイクを走らせ嬉しそうにカッキーが食材を選び、彼が人生で一番幸せを感じながら待っているのだ。

ごめんなさいと言ってゴミ袋に詰めたかった。

「くるみん出来た? よそうの手伝おうか?」

くるみはリュックを素早く取りに行き、逃げ帰る準備をした。

カッキーがひとくち食べて嫌な顔をした瞬間、速攻で逃走するつもりだった。

まず炊きたてのご飯をよそってカッキーに出した。

これは水を目盛り通りに入れてスイッチを押したので失敗しようもない。

カッキーはご飯を初めて見る人みたいに、茶碗のご飯を眺めて感動した。

次が問題だ。

皿によそうのも恥ずかしくて憂鬱だ。

くるみが絶望して立ち尽くしていると、カッキーがそばに来て「美味そうだなあ」と焦げた料理を二つの皿によそった。

「いただきます!」

カッキーが食べ始めた。

くるみはリュックを肩にかけて逃走の準備した。

「美味い!」
カッキーは感動したように両手を高く突き上げ、ぱくぱく食べた。

「なんや食べたことのない初めての味や。美味いなあ。くるみんも食べな。俺が食べてしまうぞ」

できれば食べて欲しかった。

しかし演技で美味いと言っているように見えないのが不思議だ。

「カッキー無理しなくていいよ」

「何で? こんくらい美味しいのに!」

カッキーはそこら辺を走り回り、なぜか腕立て伏せを十回位して、その勢いでブレイクダンスをくるくる踊りだした。

くるみは呆気に取られて見ていた。

彼が最大級の喜びを表現するなら、味見した時は不味いと思ったけど、味が急変して美味しくなったのかもしれない。

くるみは食べてみた。

やっぱり不味かった。

でもゴミ袋に入れたくなるほど不味いと思えなくなった。
カッキーが楽しそうで心が和らいだ。

カッキーは跳んで戻ってきて、料理をぱくぱく食べた。
くるみの皿からも取って食べた。

「デザートは俺が料理してやるから楽しみに待ってろよ!」

デザートを料理?

デザートになるものはヨーグルトとカットしたパイナップルしか買っていない。
あれをどう料理するっていうの?

カッキーはデザートを料理して持って来た。

やっぱりヨーグルトにパイナップルが幾つもさしてあるだけだった。

画家なのでパイナップルのさし方がアートっぽく見えなくもないが。

くるみが食べようとすると、カッキーは不安な表情で感想を待っていた。

いやいやヨーグルトとパイナップルが不味いわけないから!

くるみはわざと神妙な顔つきで食べた。

「美味しい!」
くるみは笑顔で両手を高く上げた。

「どのくらい美味しい?」
カッキーは期待している目だ。

くるみは不味い料理に絶望したのがカッキーによって明るく乗り切れた高揚感から、彼のハイテンションに合わせてあげて、ちょこっと走って腕立て伏せを頑張って三回した。

「くるみん、ダンス♪」

ブレイクダンスは踊れないから、高校生の時に流行って休み時間に踊ったアイドルのダンスを踊ったら、カッキーが冷蔵庫にひっかけてあった手拭きタオルをぶんぶん振って、くるみんくるみん♪と熱烈なファンになりきった。

もう、しっちゃかめっちゃか。

くるみは前に出るのは苦手で、脇から観察するタイプだが、激マズ料理の羞恥心がセーフになった反動で、生まれて初めて阿呆になって前に出てダンスした。
(前に出たといっても舞台はキッチン。冷蔵庫の前だが)

「くるみん、スペシャルデザート」

カッキーがじゃーんとポケットからプッチンプリンを出した。
あの時、思い出して店に戻って買ったのだろう。

くるみは歓喜した。

プッチンプリンを皿にプッチンして食べた。

カッキーはプッチンプリンを食べるくるみを嬉しそうに見た。

あんまり見つめられるので、
「一口食べる?」と聞くと、カッキーはあーんと口を開けた。

まさかこんな通俗的なイチャつきを、自分の人生でやる羽目になるとは思わなかったが行き掛かり上、くるみはスプーンでプリンをカッキーの口に入れてあげた。

カッキーはキュン死にしそうな顔をして床にひっくり返り、腕立て伏せを高速で二十回位して、さっきのくるみのアイドルダンスを完コピして踊った。

大きな体で可愛い女の子になりきって踊るので、くるみは吹き出した。

(なんでこんな阿呆なことに)
と思いながら楽しくなってしまった。

✨✨✨

柿本潤平はくるみをバイクで送った後、アート部屋でカンバスにくるみの絵を描いた。

彼女のいろんな表情を見ることができ、毎日でも描きたくなった。

くるみがプッチンプリンを食べながら、画の向こう側(自分)にスプーンひとさじを差し出した、ちょっと照れた感じの可愛い表情の画を描いた。

しかし柿本潤平は知らない。

くるみの裸体画を描いた人物がいて、自分の親友であることを。



この世に存在するくるみの二枚の画。
一枚はプリンを食べるあどけない女。
一枚は一糸まとわぬ姿で、画家を見つめる大人っぽい熱のある女。



柿本潤平は恋する彼女に「おやすみ」の電話をするためアラームをセットした。

✨✨✨

鈴村さくは、あおいのことはきれいさっぱり未練が無いが、木山悟流のことが気になっていた。

人生初の失恋の区切りに、木山悟流のことを知っておきたくなった。


鈴村朔は木山悟流に電話した。
一度お会いして絵のキャンセルをお詫びしたいので住所を教えてほしいと言った。

警戒されるかと思ったが木山悟流は教えてくれた。

鈴村は一泊する準備をし、木山悟流の家へ行き、中へ入れてほしいと言った。 

中へ入ってしまえばこっちのものだ。
明日まで帰るつもりはない。

「急ぎの仕事があるけど少しならいいよ」

鈴村は許可を得てさっと中に入った。

「このたびは絵をキャンセルして申し訳ありません」
頭を深々と下げ、
「というのは押しかける口実です。一泊させてくださいっと」

鈴村はリュックから薄手の毛布を出して見せた。
木山悟流はさすがに驚いた。

「あおいさんにふられました。もう彼女に興味が無いのでご心配なく。木山悟流に興味を持ったので一泊します。依頼された仕事があると聞いているので邪魔しません。夜になったらこれにくるまって床で寝るんでお構いなく」

木山悟流は呆気にとられ溜め息ついた。

「無鉄砲だな」

「無鉄砲は親譲りで」

鈴村朔は笑顔で言った。

✨✨✨

くるみが布団に横になっていると23時55分に電話が鳴った。

くるみは疲れて眠そうな受け答えをした。
そんな時はカッキーはすぐに電話を切るが、情報を伝えてきた。

「テニスコートが予約できたよ。悟流とあおいちゃんも誘って次の土曜日に四人でテニスしような。おやすみ」

くるみは胸が高鳴った。

(木山悟流に会える)



くるみは眠りに落ちながら、木山悟流のくるみちゃんと呼ぶ低くて温かな声や、猿みたいにすばしっこく走る姿や、自分の心を覗き見るような静かな眼差しを思い出していた。


(4話に続く)


イラストを描いてくださった方々です。






カッキーの友達として登場した適温より1℃低めさんはコメントが面白かったので、サプライズで登場人物にしました。



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