ユーロビジョン2026は現地でどう受け止められていたか?【ウィーン旅行記後編】
前編の続きです。
ウィーンの友達に会って話を聞いてみる
今回の旅ではウィーンの友人にも会うことができました。ウィーン生まれウィーン育ちのヴィーナー(ウィーン人)です。英語を話します。
まずはウィーン名物のレバーケーゼを買ってベンチでご飯にしました。

ガン照りの日なたを選んで座ります
Der Nino aus Wienによるコテコテのウィーン方言で書かれた曲『Praterlied』に深夜の売店でレバーケーゼを買う歌詞が出てきます。ファストフード的存在みたいです。
近況報告を終え、恐る恐るユーロビジョンについて切り出してみると…
「普段から見てないから特にどうも思ってない」
まあ、あるあるですよね。体感ですがフランス、ドイツ、オランダなどは必ずしもユーロビジョンが国民的なイベントではなさそうなので話題としての打率はそんなに高くないかもしれません。
というわけで「今年のユーロビジョンについてウィーンの人はどう思っているの?」という問いがあるとすれば「気にしてない人は全く気にしていない」というのも一つの答えになりそうですね。

ただ友人は「イスラエルが理由でボイコットが起きている」ということは知っているようでした。「ボイコットして何かした気になるのはバカみたいだと思う」と、ややペシミスティックな見地もお持ちだったのでボイコットの悪口はそこまでだ状態になったりしました。
気持ちわかる部分もあるんですけどパフォーマンスは周知のためにも大事なことだと思います。
自分が初めてのウィーン観光だったこともあり、結構メジャーな場所を一緒に巡ってくれました。

晴天だけど地下のカタコンベツアーへ

思うぐらい凄い国立図書館
そんな中で印象的だったのは友人のこんな言葉でした。
「ウィーンにいると全てに重い伝統があって、建物もあまりにも頑丈で、そんな街の景色を見ていると自分では何も変えられない気分になる」
…和辻哲郎の『風土』みたいな話?ウィーン綺麗だなあ住んでみたいなあぐらいのことしか考えてなかった自分とはえらいギャップだったのでした。
同じ家理論でいくと「日本家屋は燃えやすく倒壊しやすいので諸行無常のメンタリティが育ちやすい」みたいなことになるんでしょうか
ちなみに友人はノマド暮らしが理想だそうです。以前、オーストリアらしさとは何か?ということを尋ねた際には「ハプスブルク時代という栄華のピークをとっくの昔に過ぎているということ」と答えてくれました。
ウィーンが生んだポップスター・ファルコ(Falco)のモンスターヒット『Rock Me Amadeus』。宮廷文化のイメージがパロディとして成立するのは単純に「そんなものはもう無いから」。自虐とも言えるし、新しいオーストリア像を提示する契機とも言えます。
友人の言葉は渡航前に予習で観たウィーンの美術史美術館のドキュメンタリーで、学芸員の方が話していた内容と重なりました。それは「我々はハプスブルク家の芸術を伝える忠実な下僕でいるべきか、自覚的な現代人でいるべきか」という葛藤です。伝統というのも大変ですね。
美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)はウィーンを代表する世界屈指の美術館で、ハプスブルク家が数百年かけて集めた芸術作品のコレクションを収蔵・展示しています。

美術館前広場の中心には女帝マリア・テレジアの像が鎮座しています。確かにこんな(色々な意味で)巨大な存在が自分の住む街を見下ろしてたら、萎縮する気持ちもちょっと分かるかもな…と思ったりしました。
そうしているうちに、何やら人が多くなってきたことに気付きました。像を回り込んで確認します。

いやめっちゃパレスチナ連帯イベントやってました。正確には前日のステージ設営中のようでした。フードトラック、子供の遊び場(スイカの形のテント)などが並んでいてちょっとしたお祭りが始まりそうな雰囲気です。
後で調べたところ、オーストリアのパレスチナ支援団体「Palästina Solidarität Österreich(PSÖ)」による、ユーロビジョンのイスラエル参加に反対する抗議キャンペーンの一環でした。
美術史美術館はウィーンで一つだけ選ぶならこれと言われるくらいの場所ですし、主要な美術館が集まるミュージアム・クォーター(Museums Quartier)のすぐ隣でもあるので、かなり観光客の目を引く場所で行われていることになります。
このイベントにおいて目立つ場所ということ以外に深い意味は無いと思われますが、マリア・テレジア像のある広場はハプスブルクの権威や栄光を象徴する場でもあります。まるで過去と現在が同居しているような光景に見えました。
伝統や歴史は重荷ですが、次の時代を築くための土台でもありますよね。みんな各々の考える方法で自分のできることをして、前に進もうとしているのだなと思わされました。

美術史美術館の目玉の一つ
LGBTQIA+文化施設
興味があり、行ってみたい場所がありました。それがQWIEN(クウィーン)です。
QWIENはウィーンのクィア文化・歴史を扱う研究施設で、ドラァグパフォーマンスなどのイベントスペースとして使われることもあります。


誰かが私たちを思い出すだろう」という
古代ギリシャの詩人・サッポーの引用
そこで「ユーロビジョンとクィアの歴史」がテーマの展示が期間限定で開催されると聞いて、ぜひ足を運んでみたいと思っていたのでした。

内容はもちろんユーロビジョンにおけるクィア表象の歴史を辿るものでしたが、同時に、その変化にともなっていかに副作用的にユーロビジョンがイデオロギー的な議論の場になっていったかにもスポットが当てられています。というか正直、本当に話したい内容はそっちなのでは?と思わされる分量の割かれ方でした。

ユーロビジョンとクィア表象の歴史については内容が豊富なのでまた個別で記事を書きたいと思います。
ユーロビジョンのオーストリア像
本記事は「オーストリア/ウィーンの姿に迫ろう!」がコンセプトなので、QWIENの展示でオーストリアについて論じられていた部分を見てみたいと思います。
ここでは2000年代(うち01、06、08、09年は成績不振や視聴率低下のため不参加)のユーロビジョン参加を「リベラルな移民国家としてのオーストリア」と「民族主義的で排他的なオーストリア」という2つの国家像のせめぎ合いとして見ているようです。
なぜこの時代が重要になってくるのか。それは政治が揺れ動き、オーストリアのアイデンティティが問われる過渡期であったからです。前編でも述べた、「オーストリアはナチスの被害者」神話の崩壊がちょうどこの時期にあたります。
当時のオーストリアの内政は長らく抑圧してきたナチスの過去と向き合う状況にあり、(ユーロビジョンに)選ばれた代表たちは新たなEU加盟国としての社会文化的・政治的理想を投影する存在だった。
オーストリアの歴史については前編でちょっと触れましたね。1980〜90年代、ナチス軍歴を持つクルト・ヴァルトハイムの大統領選出や、ナチス擁護・外国人排斥を訴えたイェルク・ハイダー(Jörg Haider)率いる自由党(FPÖ)の政権入りは国内外で大きな反応を巻き起こしました。EU加盟国はオーストリアに外交制裁を科し、国内では「外国による内政干渉だ」という反発も生じました。
まずは2000年。FPÖの連立政権に反対するデモが国内でも巻き起こる中、ザ・ラウンダー・ガールズ(The Rounder Girls)が代表として歌いました。オーストリア、イギリス、アメリカと異なるバックグラウンドを持つグループで、本人の「私たちはヨーロッパ理念の生きた証」という言葉も示すように、排外主義への対抗を象徴する存在と捉えられています。
2002年のマヌエル・オルテガ(Manuel Ortega)はスペイン、2007年のエリック・パピラヤ(Eric Papilaya)はインドネシアにルーツを持ち、楽曲は友情や団結、寛容さを歌ったものでした。
エリック・パピラヤの『Get a Life – Get Alive』は2007年の欧州最大級のエイズ・チャリティイベント「ライフ・ボール(Life Ball)」の公式テーマソングになっています。
2005年のグローバル・クライナー(Global Kryner)による『Y Así』は英語とスペイン語、ヨーデルを組み合わせた歌で、オーストリア民謡とキューバ音楽の出会いがテーマになっています。
徐々に「排外主義への抵抗」という性格が形作られていったという方向づけですね。2004年のタイ・ブレイク(Tie Break)はバックストリート・ボーイズ風のグループで毛色が違いますが、どちらにしても2000年代のオーストリアのもう一つの特徴として、成績が全然振るわないというのがあるのでした…。
この中での最高順位は2003年、アルフ・ポイアー(Alf Poier)がシュタイアーマルク方言で歌う『Weil der Mensch zählt』の6位。頓珍漢なステージといい調子を外すバックコーラスといい完全にユーロビジョンをバカにした曲ですが、こんな一番グローバル志向とか意識してなさそうな曲がウケるのだから分からないものです。
今見ても前衛的
オーストリアの自己イメージに大きな影響を与えたという点では、やはりその後の2014年のコンチータ・ヴルスト(Conchita Wurst)の優勝が転換点です。
この優勝と翌年のウィーン大会は、オーストリアにとって国内の多様性をアピールし、新たなイメージ戦略を推し進める絶好の機会となりました。
当時、特に注目を集めたものの一つに「アンペルペアヒェン(Ampelpärchen)」と呼ばれる信号機があります。同性カップルや異性カップルを模した絵柄で、期間限定ではなく現在も街中で使用されています。

超余談ですがこの写真の信号機を待っている時、前にいたイケイケなお姉さんがイヤホンで音楽を聴きながら明らかにKPOPグループ・CORTIS(コルティス)の新曲『REDRED』(まさに信号機の歌)の特徴的な振付をノリノリで踊っていてニッコリしてしまいました。
ユーロビジョンの政治性
展示ではユーロビジョンにおけるイスラエルの歴史についても章が設けられていました。
(...)イスラエルはユーロビジョンが抱える根本的な両義性を象徴する事例であり続けている。音楽は人々を結びつける芸術媒体である一方、社会的議論の舞台でもあるという両義性である。
主張と制限、ボイコットと大会規則の間で、問いは絶えず新たに交渉され続ける。表向きは非政治的な舞台がどこまで政治を受け止めることができるのか。そして、なぜユーロビジョンは長らく単なる歌のコンテスト以上のものであり続けてきたのか。
会場にはいくつか来場者参加型のコーナーもありました。自分の考えに近い場所にシールを貼ってね!というコーナーですね。
そりゃそうだよねという結果のものもあれば、意見が別れる問いもありました。



A. 国際法に違反している
B. 反動的、少数派を抑圧する政策を進めている
C. 放送局が報道の自由を擁していない
D. ボイコットされていい国はない」
今回のQWIENの展示はユーロビジョンの提携イベントということもあり、メッセージを発する攻めの姿勢というよりは「難しいよね。皆どう思う?」といったマイルドな語り口に収まっている印象でした。
5カ国のボイコットによりいくつかの展示物の貸借が中止になったという経緯もあったようです。「なぜよりにもよって我々のようなクィアの研究機関までボイコットされなければならないのか」と不本意さが滲む文章が記されていました。(ピンク・ウォッシングの問題にも波及するので取り下げた側の立場も理解できるのが何ともいえません)
決勝当日の人々の様子
ユーロビジョンの行われる会場は2015年にも開催歴のあるヴィーナー・シュタットハレ(Wiener Stadthalle)。同時に市内の多くの施設がパブリックビューイング会場として開放されます。今年は入場無料のところが多いようです。
筆者がとりあえずの居所として選んだのはドナウ運河沿いの教育施設・ウラニア(Urania)のシアターです。

とか書いてあって歴史的建造物そう
普段は天文台や子ども向け映画館として運営されているらしく、なんか健全そうという理由で予約してみたのでした。
入場無料だからと安心しきって渡航直前に改めてサイトのドイツ語を翻訳したら「残席:1」という文字を見つけてしまい慌てて予約メール送ったのは秘密です。
会場に向かうと学生らしき人たちが集まっていて和やかな感じです。青少年教育施設ということで年齢制限もあり、ドリンク販売もコーラかレッドブル(ウィーン発祥!)といったノンアルコール飲料が中心でした。

それ以外は平和な現場でした
スタッフの前説があり、撮影可・おしゃべり可だよということを英語で伝えてくれます。

場内が暗くなり、パブリックビューイングが始まりました。アーティストの入場でシアター内の観客も声援を贈ります。特に盛り上がっていたのはブルガリアのダラ(DARA)やオーストラリアのデルタ・グッドレム(Delta Goodrem)。その辺りはオンラインの人気と大差ない感じでしたが、なんといってもホームであるオーストリアのコスモ(COSMÓ)、あと意外とドイツのサラ・エンゲルス(Sarah Engels)にも大きな拍手やエールがありました。
気になっていたのはイスラエルへの反応です。というのも2024年のマルメ大会でもパブリックビューイングに参加していたのですが、もう一生分のブーイング聞いたなと思うぐらいの凄まじい体験をしていました。今回自分がいた会場ではそういうことは起こらず、大半の人はスン…と静かになったり、逆に歓声を上げる人が数人いたり、といった雰囲気でした。
しかし各出場者のアクトが始まって間もなくして、ちょっとした事件が起こりました。イスラエルのステージで音が聞こえなくなったのです。無音になったわけではなく、曲のトラック(BGM)は聞こえるのに歌声だけ不明瞭になり、誰かが何かを話す声が被るというよく分からない状態でした。これは次のベルギーのステージまで続きました。
記事でも書いたんですが、自分のいた会場ではイスラエルとベルギーの時だけ音(というか声)が聞こえなくなりました。誰かの話し声も被さってるし、どういう音響トラブルがあったらこうなるんだろうと未だに謎なので詳しい方がいたら教えてください pic.twitter.com/4vWiZJEhWu
— Lennu レンヌ (@l_ennut_l) June 5, 2026
アルバニアのステージになると音質は改善されたものの、今度は映像と音声がズレた状態になってしまいました。流石に観客もざわつき出し、後方がバタバタし始めます。
ステージがギリシャになった辺りでスタッフが壇上に登場し、「我々は放送局から与えられた素材を上映しているに過ぎず、現在起こっているトラブルは我々の責任ではありません」ということを明言します。応急処置として、たぶん誰かのPCでネット配信にアクセスし、その画面を直接スクリーンに投影するという力技で事なきを得た(?)ようでした。
通信環境の問題か、その後も2回ほど上映が途切れて会場を大いに一喜一憂させました。
後々調べてみると自分のいた会場以外で同じことは起きてなさそうだし、結局なんだったんだろうということで真相は闇の中です。
その後は問題なくステージが終わり、あれよあれよという間に結果発表の時間に。緊張の開票を経て、2026年のユーロビジョンの優勝者はブルガリアのDARAだということが決定したのでした。
シアター内も歓喜の声に包まれ、あちこちで人々がハグし合っています。元々人気の高いアーティストでしたからね。座席から何人かが飛び出していって画面のDARAと一緒に踊り出すという場面もありました。

ディーバが勝ってよかったねと同時に、来年はどうなるんだろうという漠とした気持ちもありつつ、午前1時頃に帰路につきました。
振り返り
ユーロビジョンについて
振り返ってみて、色々な意味で「静かだったな」というのが全体に抱いた感想でした。それはユーロビジョンに対する人々の反応がプロテストからいよいよボイコットへ本格的に移行し、関心が離れたことを示しているのかもしれません。
比較すればいいというものでもないですが、2024年のマルメ大会ではイスラエルに対する抗議活動が話題の中心の一つであり、連日メディアで国際的に報道されていました。
抗議デモには1万人超が参加したと報じられ、一時はコペンハーゲンとマルメを結ぶエーレスンド海峡が通行止めになりました。グレタ・トゥーンベリさんの参加も話題になりましたね。(お母さんが2009年のスウェーデン代表です)
また、街中を歩くだけでも伝わってくる空気はあるもので、マルメではユーロビジョン・ビレッジに面した建物の窓にいくつもパレスチナの旗がはためいていました。パレスチナをテーマにしたストリートアートも、本当によく見かけました。




2026年は、5カ国のボイコットというインパクトのある出来事がありながら、シーズンが始まってからは全体を覆うほどのトピックにはなりませんでした。
現地(ウィーン)では実際に何もなかったわけではなく、何枚か写真を上げたように抗議やパレスチナへの連帯は各所で可視化されていました。
イスラエルの参加に抗議するデモはウィーンでも行われ、数百人(正確な人数は不明)が参加したと伝えられています。その一方、同じ記事では反ユダヤ主義・ボイコットに反対する抗議活動も行われたと書かれています。
今回はあらゆる場所でオーストリア/ウィーンの歴史に触れてみて、自分がもしこの言論空間に身を置いていたらどういう意見の立場が安牌(あんぱい)だと考えるだろう…ということについても考えさせられてしまいました。
ここからは個人の見解ですが、前編でも書いた通りイスラエルはヨーロッパの歴史と中東の歴史が交錯する場所です。ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害とイスラエルーパレスチナ間の出来事は(関連付けて語られる余地はあっても)基本的には別の話題なのですが、そこがごちゃまぜになっていないか?と感じさせられる言説を、今回の旅では時々ですが目にしたように思います。
それでも切り離して考えろと言うのも酷な話で、人によってはあまりに身近な話題でしょうし、ちょっとイスラエルに批判的なことを言うだけで一気に増長してくるヤバいネオナチも確かに居るんだろうなという空気もそれはそれで感じました。
ウィーンという街について
ハプスブルクの時代から激動の20世紀を経て、街の中にたま〜に漂っているウィーンの憂鬱と言えるようなものの存在。それを素人なりにぼんやりと感じた数日間になりました。
憂鬱と言っても単なる暗さではないのがまた興味深いところだと感じます。現代オーストリアのポップカルチャーを見ると、さまざまな重みを引き受けた上で(かは分からないですが)あえて肩の力を抜くようなところがあります。例えばアメリカのポップカルチャーの軽さと、オーストリアのポップカルチャーの軽さはやはりどこか違うものがあると思います。
ウィーンを拠点にするバンド・ビルダーブッフ(Bilderbuch)。コメント欄ではファルコへの言及が多く見られ、オーストリアの変人系譜に位置づけられるアーティストと言えるかもしれません。
今回のユーロビジョンでも『TANZSCHEIN』が決まった時オーストリアはもう一生国内予選開くなとか散々な言われようでしたが、そう言われるってことは他の国には無いユニークさを持っているということですよね。
あまり記事では触れられませんでしたが、歴史人物から街中の人まで本当に様々なルーツを持つ人がいて、ウィーンが多文化都市であることもすごく実感しました。
今回の旅で自分が見た(と思っている)街の姿も、ウィーンないしオーストリアの持つ様々な顔のほんの一面でしかないでしょう。
(ちゃんと観光も楽しみました。現地の皆さん優しかったです)

おしまい。ウィーンからの報告でした。読んでくださりありがとうございました。
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