北海道、六月のチョウたち
2022年6月30日、大雪山の麓。
そこで僕は、
北海道固有の小さな蝶に出会った。
羽化したばかりなのか、
フキの葉から動こうとしない。
僕は息を殺しながら、
レンズを蝶と同じ目線に近づける。
そうするとカメラの液晶越しに、
とても緻密な鱗粉が見えてくる。

正確には、ユーラシア大陸の温帯から冷温帯にかけて広く分布する種。
シマエナガがこの北の大地を象徴するように、シロオビヒメヒカゲもまた、かつてユーラシア大陸からこの地へ渡ってきた。
ヒカゲチョウの仲間の翅をじっと見ていると、いつも不思議に思うことがある。ヒカゲチョウ亜科には、必ず目玉のような模様がある。
日本国内はもちろん世界中のヒカゲチョウ亜科の種を調べても、この眼状紋が完全に消失している種を見つけるのはむずかしい。
他の蝶たちが環境に合わせて模様を変え、グラデーションのように多様な姿を見せる中で、彼らヒカゲチョウ亜科だけは、まるで頑なに何かを守り続けるかのように、必ず目玉模様を保持している。
よくわからないが、それは彼らにとって、何千万年も変わることのない「種としての共通言語」なのだ。

30mmのマクロレンズを使う時は、大抵F値を10以上あげる。鱗粉の構造をもっと近寄って精細に写すこともできるのだが、今回は眼状紋の法則性が大切だと思ったので、上翅と下翅の紋はフレームに入れることにした。
この目玉を鳥や爬虫類を欺くための「威嚇」や「防衛」という言葉で定義するのは簡単だ。
けれどヤママユガの目玉と、ヒカゲチョウが刻む目玉では、きっと物語も用途も多少、違うはずだ。

河川沿いの森を歩いていくともう一種類、
北海道固有種を見つけた。
目玉模様はなく、体長は小さい。
20mmほどだろうか。
たとえ小さいチョウであっても、鱗粉をしっかりと写したいので、深度合成を行ってみる。
朝方に霧雨が降っていたこともありセセリチョウは、葉の上で水を飲んでいた。
過酷な自然の中で生き抜くための、
無駄のないフォルム。
何匹か飛翔していたが、幸い一番鱗粉のハゲていない個体に寄ることができた。
この世にはたくさんの昆虫がいるけど
僕はどうしても、蝶を多めに撮ってしまう。
僕たちが住むこの地球上には、知られているだけで約100万種以上の昆虫が存在する。全生物種のなんと約6割を、昆虫が占めている。と言えば、その世界の広大さが少しは伝わるだろうか。
オサムシやゴミムシたちが選んだ
「地面を這うという適応」とは対極にある、
空を舞うという進化。
同じ森の中に、
まったく異なるアプローチで生き抜いてきた形の蝶が同居することは、昆虫ではよくある事だ。
カラフトタカネキマダラセセリの幼虫は、「イワノガリヤス」というイネ科植物を食べると記されている。山野を歩けばイワノガリヤスなど、どこにでも見かけるありふれた草だ。
シロオビヒメヒカゲもまた、
ヒメノガリヤスや、ヒカゲスゲなどの
湿地草地の植物を食草としている。
しかしデジタルという技術が発展しても、
例えば、「カラフトタカネキマダラセセリの幼虫が、イワノガリヤスを食べる…」
そんな写真を撮っている人は、殆どみられない。
そう考えるとその場所が
どれほど孤独で、どれほど強固な「彼らだけの聖域」であるかが、わかってくるのだ。

中学生の頃、日高敏隆さんの『チョウはなぜ飛ぶか』を読んで、初めて「自然を研究する」という世界の覗き方を知った。
あの本が教えてくれたのは、蝶という存在の美しさだけでなく、記録することの重みだった。
あれから時が経ち、今、僕はカメラを手にするようになった。
本を開いたあの日からずっと抱えている「なぜ?」という問い。
図鑑にある情報をそのまま「事実」として鵜呑みにするのではなく、丁寧に記録していきたい。
*2022年7月の日記から再編
