徳川美術館『現代クリエイターとの遭遇』
現代アート×徳川美術館?
『ムジナバケール』というのは、この春まで放送されていた、中京テレビ深夜帯の15分番組。知らなかったなあ……毎回、現在活躍中の、様々なジャンルのクリエイターが、徳川美術館の収蔵品から、新しいアート作品をつくっていたのだそうです。
今回は、そのクリエイターたちの作品と、元になった徳川美術館の収蔵品を、一緒に鑑賞できるという企画展。現代アートには疎いのだけど、覗いてきました。
安居智博氏。

(左)バルーン鎧兜 安居智博
紙や色々なパッケージで、ロボットを作るという。今回は尾張徳川家初代、徳川義直の着用した具足を、バルーンで作ったという。
展示方法が面白くて、具足の展示ケースの前にバルーン鎧が立っているのだけど、その姿が展示ケースのガラスに映るので、写真のように向い合せることができる。
見出し画像のように、ポスターなどのキービジュアルもこのイメージなので、これは意図的なものでしょう。今回の展示というか『ムジナバケール』という企画そのもののコンセプトの表現になっています。
ただ自分は、そこにメッセージ性を強く感じすぎて、バルーン鎧と義直の具足を「二つで一つの作品」と見てしまい、バルーン鎧を独立した作品として認識できませんでした。
やっぱり自分には、現代アートの鑑賞は、まだまだ難しいです。
長江惣吉氏。

金時代の天目茶碗。家康から義直へとうけつがれた大名物。
「曜変天目と呼ばれてきたけれど、斑紋は細かいし、縁取りに虹色の釉調も目立たないから、油滴天目なのかな?」
みたいな、ちょっと曖昧な作らしい。
曜変天目の復元をしている、長江惣吉氏は今回、その技法を応用した茶碗を出品。

「油滴かな、曜変かな?」みたいな、曖昧な扱いに対して「油滴というのはこういうのだ」と、ハッキリ斑紋を見せる作品が展示されていました。
曜変天目だと、斑紋の縁取りのように出る虹のような釉調が、一つ一つの斑紋の中に、螺鈿細工か魚鱗のように浮かんでいるのがなんとも豪快というか、美しいというか。

虹色に変化する釉の、大きな粒が留まれば油滴天目になったけれど、縁から中心に向かって、細かな霧雨のように流れ落ちたらどうなるか。細い放射状の、禾目天目になる。
しかし赤から緑に、そして青から紫へと、こんなに鮮やかに輝きを変化させられると、禾目という呼び方では追いつきませんね。曜々……星々、あるいは燦々という意味のこの言葉は、この器にふさわしいと思います。

こちらの器になると、流れ落ちるのではなく、星はそのまま星雲のように夜空にとどまっているみたい。口を広く開けた平茶碗にすることで、流れ落ちないようにしたのかな? まるっきり垂れていないわけじゃないけど、釉の筋より光沢の方が目立つので、底に向かう動きは感じない。
曜変天目なら、漆黒の中に斑紋があり、その縁取りが虹色なのだけれど、この器は虹色の中に虹色の斑紋がある。禾目になったり斑紋になったりという、形の変化を抑え込んで、色と輝きの変化を見せることに特化した感じ。
古家野雄紀氏。

「日本画の古典様式の美と現代的なカワイイが同居する作風で様々な企業とのコラボも積極的に行っている」という。
古典的な美術でも、キャラクターは多用されてきたし、目的はディスプレイだった。現在のコマーシャル・アートに、確かに繋がるものが、そこにはあると思います。
だけどそういう解釈でいいのかな? それならば、額装よりもポスターや看板とか、もっとディスプレイ的な作品になっていそうだけど。

赤ずきんのマイメロ感。頭のまわりをグルリと、赤白が波打つように色分けされて、頭のてっぺんには緑の葉っぱ。イチゴ以外のなにものでもない?
桐や鳳凰もパッチワークで描かれているせいで、なんとも絵本っぽい……

唐獅子も、ギョロ目やキバやツメのせいで、一見怖そうだけど、追っかけているのはチョウチョウで。三つ葉葵の紋が回りが花びらみたいに描かれて、花輪になっているのもカワイイ。
このあたりのセンスは、十分に古家野氏の作品にも反映されていると思います。しかし、こういったモチーフはやっぱり、衣装として着てナンボじゃないかなあ、と言う気がします。
頭巾の垂れの鳳凰は、首を振るたび羽ばたき、羽織の裾の獅子は、走り回るたびに跳ねたでしょう。
快歩氏。
こちらは、特殊メイクとコスチュームのクリエイターの方だそうです。作品を着用したモデルの写真が飾られていました。

モチーフはこちらの神農。一年半ほど前には、とんがった作品を特集した企画展で、メインビジュアルを務めていた、ここの収蔵品でも特に個性が強いヤツ。

説明に「モデルの表情を活かすため、極めて薄いマスクが使われている」とありました。アクの強いキャラクターに扮する……しかも人外なんだから、ここはガッツリと分厚いマスクを作り込んで、人間の気配を消すのかな、と思ったらその真逆。
同時に開催されていた企画展は「能楽」に関するものでした。能面はバッチシ作り込んであって、役者の顔の大きさすら無視していたのに、ずいぶん違いますね。メイクアップの延長みたいなイメージなのかな?
像の、目の周りの色が違うあたりとか、それでもしっかり再現されているし、写真を見る限り、モデルさんもちゃんと人間ではない存在の雰囲気が出ていました。作るべきところを、的確に作っているという事なのかな。さすがです。

半神半人の衣装。この状態で見ると、あんまり「それらしくない」のだけれど、着た状態の写真はすごく良かった。モデルさんが着て、ポーズを取った時に完成するものなのですね。生で見たかったな……
ともだあやの氏。

刀の刃紋を、切り紙で作り込んでいます。刃紋をそのまま切るのではなくて、刃の光る感じ、ひんやりした感じを、花や星のような小紋で表現しているみたい。
よく見ると、白と濃いグレー、二重に作られている……見るのも大変なのに、コレを切ったなんて、とんでもないなあ……ただ、工作がしっかりしているほど、紙の質感が伝わってくるので、あんまり刃物っぽくないかも。刃紋の美しさは分かるんだけど、刃物の持つ恐ろしさ……どこか、人を拒むような雰囲気……そういうのは感じられなかった。というか、そう言うのをナシにして、刃紋の面白さだけを表すために、紙で作る事を選んだのかな?
番組を見ていればよかった……
他にも、様々な作品がありました。だけどやはり現代アートはよく分からない……特に動画やARとか、特に何も思いつかなかった……オブジェとかも、アイデアは面白くても、それを見る側は、何をどう膨らませればいいのか? なんて疑問も。
他にも「ポップでカジュアルであることは必須なんだろうか?」「発想がグッズ製作に寄り過ぎてないか?」「それはその品物でなければできないことなのか?」とか、色々と戸惑う事が多かったです。
たぶん、番組内で制作風景とか、発想のプロセスを見ていれば、きっとすごく面白かったんだろうなあ、という感想がずっと付きまとっていました。
やっぱり私には、現代アートは向いていないのかもしれません。
