ヨコタ博物館『秋の朗読&音楽コンサート』
ヨコタ博物館とは。
Vtuberに企業勢と個人勢があるように、美術館や博物館にも、国や自治体、企業ではなく、私人によって設立された個人勢のミュージアムというのがありまして。
こちらも故横田正臣氏が、今でいうFIRE……成功していた事業を早期にたたんで、自分の楽しいことをしたいと、世界をさまよっているうちに、東南アジアの陶器と出会い、コレクションが高じてついに博物館の設立、タイをはじめとした東南アジア諸国との文化交流、教育支援にまで至ってしまったとか。

その故横田氏の著書には、生い立ちから国際的な活動にまで至る様々な出来事が書かれていました。また後日、改めてご紹介したいと思います。
色々な紆余曲折の後、今は愛知県新城市、旧作手村エリアの「鬼久保ふれあい広場」に建っています。決して大きな設備ではないのですが、横田氏のコレクションの展示の他、地域の文化交流イベントなどに活用されています。
秋の朗読&音楽コンサート。

左手はショップ、その奥がスタッフルームと収蔵庫。
右手には展示室が三つ。
今回は、朗読会とミニコンサートを開催すると、ご案内をいただきました。
以前、二胡をメインとしたアンサンブルのミニコンサートも楽しませていただきました。音響を意図して設計された建物ではないと思うのですが、音の響きも通りも良い感じで、快適に聴けたので、きっと素敵だろうというわけで。
当日、観客は私を含めて十人前後。天気が悪かった事もあり、やや少なめ? それでも、用意された椅子の八割は埋まっていました。元々、ここでのイベントは小規模なのです。
以前の、二胡アンサンブルのコンサートも盛況でしたが、二十人いたかどうか?
私の他は高齢の女性が多く、娘とその子供……小学校高学年と低学年くらいの兄弟……を連れた方もいました。
朗読はお三方。
主催は、地元で活動をしている朗読グループ「音響(おとだま)」の皆様ということで、朗読もそちらの方々、お三方によるものでした。
一作目は、芥川龍之介『蜜柑』。
芥川作品は、よくYouTubeの朗読動画でも上がっています。『羅生門』『蜘蛛の糸』あたりが多いでしょうか? でもこれも、汽車が走っていく情景の変化、登場する娘の描写が生き生きしていて、朗読で聞くのに良い作品でした。暗いトンネルを抜けて、明るい風景の中に、パッと散る蜜柑の色の鮮やかさ。しつこいように繰り返される、娘の頬の色が、最初は暗くかさついていたのに、ラストでみずみずしく光り輝くようになる。
朗読された方も、そのあたりをしっかりと表現してくださいました。
二作目は、向田邦子『字のない葉書』。
家族について、特に父について書いた向田邦子の作品としては『父の詫び状』が有名ですが、これは知らなかった。
調べてみたら、中学の教科書にも載っているようです。戦時下、疎開した末娘と父親について書いた話。姉のはずなんだけど、妙に突き放したように見えます。だけど、ちゃんとつながっている。そんな距離感も面白い。
そんなドラマチックな出来事を、細部に至るまでしっかり覚えておきながら、肝心の手紙はどこかへやってしまった、というのが生々しいというか、現実的というか。
三作目は、原田マハ『魔法使いの涙』。
原田マハさんというと『たゆたえども沈まず』『楽園のカンヴァス』『ジヴェルニーの食卓』みたいな、画家をテーマにした作品と言うイメージだったけど、こういう現代日本の日常に起こるようなお話もあるのか、とチョット驚いた。その作風からして、いつも世界を飛び回っている印象があるから、なおさらだ。
いや、これもクリエイターの物語だ。その点は変わらないと言えるのかな?
小学生の兄弟には、難しい単語や物語の展開があって、色々と厳しいだろう……そう思って時々見ていたのですが、特にグズる事もなく、興味深そうな顔をしてジッと聞き入っていました。意味は分からなくとも、色々と通じるものなのだなあ。
オカリナとギターのミニコンサート。
オカリナ奏者のアキラさんと、ギターのチャボさんのデュオ。ギターの伴奏に、ボーカルじゃなくてオカリナが歌う。
セットリストはこんな感じ。
讃美歌『いつくしみ深き』・ 宮沢賢治『星めぐりの歌』
唱歌『里の秋』『赤とんぼ』『浜辺の歌』
オリジナル『星のささやき』『まごころの文』『春野の風』
坂本九『見上げてごらん空の星を』・中島みゆき『糸』
そもそも、生の演奏を聴く機会そのものが希少です。そんな機会があっただけでも嬉しいのに、ミュージアムであるというところが、またイメージを膨らませてくれます。
文学者である宮沢賢治の歌や、オリジナル曲でも手紙をテーマにしたものなど、朗読会の余韻を生かすような心配りも素敵で、優しい音色がますます優しくなるようでした。
しかし、優しすぎたのか子供らが落ち着かない。朗読の時までは大人しかった弟の方の子が、ソファの上で体をくねらせはじめました。心地いい音の響きで、眠くなっちゃったのかも。兄の方は、頑張って注意したりするんだけれど、全く効き目ありません。
そこで、オカリナとギターのお二人はアンコールに、となりのトトロ『さんぽ』を演奏されました。効果てきめん。
楽しそうに手を叩いてリズムを取り始めたので、それに合わせて、私を含め観客みんなで合唱し始めるという展開。
生で対面しているからこそのアドリブ。観客もみんな、案内状を受け取って集まった、このミュージアムのファンなので、そのあたりの一体感もあったのでしょう。
とても楽しいひと時でした。
民族衣装と織物。

展示も見て回ります。
あまり学術的な説明は書かれていません。その代わり、現地の人が実際にその衣装を着たり、道具を持っていたりする写真がありました。
そしてその隣に創設者の故横田氏が、並んで写っていたりします。

どの村の展示品だったか、展示の説明に「かなり離れた隣の村までしょっちゅう行き来している」などと書かれていました。博物館の展示品の説明書きに「かなり」とか「しょっちゅう」とかいう言葉は、普通は使わないと思いますが……

というか、説明書きが手描きというのは、村の資料館とかそういう感じ……展示品そのものが、使ってるのをその場でもらってきました、という雰囲気がプンプンしてます。横田氏が東南アジアをめぐっていたのは、もうずいぶん昔のことのはずなのに、まだその村の空気をまとっているみたい。村人の汗の匂いまでしてきそう。
東南アジアの土器・陶器。

匂いをまとっているどころか、こちらは東南アジアの各地の、土そのもの。陶は人の手によって、土と水で練られ、風で乾かされ、火で焼かれる。その土地と時代の、地水火風人のエッセンス。
器の中に込められたものは、日々の生活の糧から、神仏への祈りの捧げものまで、その世界に生きた人のすべて。

パレスタイプの弥生式土器みたいなスマートな器形なのに、縄文土器を思わせる、激しく渦巻く紋様。ベンガラの赤は、作られた当時は、それこそ炎そのもののように真っ赤だったのでしょう。でも曲線は、水の渦のようでもあり。細い縞模様は、拡大された指紋のようでもあり。

黒いのは土の成分によるものか、それとも焼成時に炭素が吸着したのか? 日本の、釉薬から作る黒は輝くけれど、こちらの土そのものの黒さは、光をひたすら吸い込むようです。
焼き物というのは、土を焼き固める……つまり、人工的に火成岩を作っているようなもの。この表面の、自然に発生した荒れた様子は、本当に自然石のようです。

こちらは、黒褐釉で黒くしたクメール陶器の壺。
釉薬だけじゃなく、化粧土も使っていたのか、剥離が目立ちます。いっそ黒色土器の方が黒かったような気すらします。
特徴は、やたらリアルな象の頭。反対側にはシッポもありました。
黒色土器と違い、釉薬がかかっているので、できたばかりの時はもっと黒くて、テカテカ光ってたのではないでしょうか?
実際の象さんも、もっと色ツヤが良かったはずなので。

六寸ばかりの鉢。しっとりした、油揚手を思わせる地とか、うっすら青みがかった黒い呉須のような絵付けとか、なんだか青花を低温で焼き損ねたみたいな、不思議な色。
この魚なのか芋なのか分からない、見込みの絵柄も面白い。その周りをグルリと巻く、波間にサメの背びれが出てるのか、それとも葉っぱの絵が変化したものなのか、よく分からない文様も不思議。
こういう絵付けしたいなあ。

日本の茶室でも、宋胡録と呼ばれて珍重された碗。
細いヘラを使って、縁に沿って繊細に描かれた草花紋様、太いヘラで、外側に麦藁手のように大胆に刻まれた縦縞。
そして厚くかけられた褐釉が、還元焼成で青緑色になり、細かな貫入が綺麗にまんべんなく入っているところが、確かにこれは珍重されると納得できる。
しかし……展示台のクロスが擦り切れてしまっているのは、個人経営ゆえの金欠によるものか……
収蔵品による企画展示。

第三展示室は、企画展ということで、収蔵品をテーマに沿って交代で展示するスペース。
以前来たときは、楽器の特集がされていた。一展示室のみとはいえ、企画展として説得力のある数をそろえられるとは、いったいどれだけ収蔵品があるんだろう?
今回は『色彩の東南アジア』と題した企画展で、織物や工芸品の中でも、特に色彩が魅力的なものを選んで展示されていた。

タイの漆芸品。日本のものに比べて、朱漆が白っぽい? 螺鈿細工が非常に細かい。敷物の織もいいかげん細かいけど。
十二角形で足がドームのような高坏? あんまり見たことがないデザイン。輪を描いた花と蔓って、微妙に西洋ッポイような気もする……
いつごろ作られたのか、どこで入手したのか、細かい情報が一切なくて「タイ・アユタヤの器」という一言しかないので、解釈のしようがない……
しかし、細かい仕事を丁寧にこなしている、美しい作品。

織のこまかいこと! しかしいつ頃のモノなんだろう?
ガラス玉は、色の違うものを重ねたり貼り付けるなどして、その後まるく成形したのかな?
織は非常に細かいのだけど、年代も地方も分からないと、単なるオーパーツっぽくなっちゃう……ただ、額装されているという事は、最初から輸出用として作られたものではないのだろう。

黒いシャツそのものは、別に作られていて、それに刺繍を加えた作品だろうか? あるいは、細かい紋様を織り込んだ布を、あとから重ねて縫い合わせたのかな。
蓋つきの壺は、お菓子でもいれるのかな? この蓋の形や、胴のラインとか、広い面を均一な格子で埋めるとか、どこか西洋のデザインの雰囲気があるように見える。

一方は、ゼンマイのような草花紋。裏にも面にも。空間恐怖の恐ろしさを知る者が一定数いた。 キジでいいのかな?
絵付けの色が変わるのは、なぜだろう?
どちらも酸化が少し残った還元焼成に見えるのだけど……
上の作品の絵付けは緑で、下の作品は青。
他にも色々、不思議な違いが見つかる。とても同じ文化圏でつくられたものと思えないくらい……これは、どう解釈していいのか分からない。

蒟醤(キンマ)は、竹で編んだ原型に、漆を何層にも塗り重ね、模様を彫って、それを顔料で色付けした漆で埋めて、紋様を作ったものだとか。
いくら何でも細かすぎる……
上の長方形の入れ物は、作られてすぐは、もっとビシッとまっすぐだったのかな? 漆は乾くと縮んでしまうのかな。
だけど、下の円筒はほとんど歪んでいない。
このあたり、まだまだ色々な謎がありそうです。
しかしその前に、この細密さ、漆あつかいの上手さに、驚かずにはいられない。これからも、もっと色々な、びっくりするようなものを見せてほしいと思います。
