豊田市民芸館『おいしい民窯』
端午の節句の豊田市民芸館。
豊田市民芸館は大好きな行きつけの施設なので、何度も記事にしております。今回は特に焼き物、それも民窯の特集という事で、コレは行かずばなるまいと。
行ったのは、ちょうど五月の頭なので、ワークショップの皆さんが染めた鯉幟が風に泳いでおりました。


奥は手織り講座の教室設備。


一階の窓は連子格子、二階の窓ガラスは明治時代のもの。

現在でも、ワークショップで使われています。

桜の名所でもあり、紅葉もまた美しく、特に展覧会がなくても来て損はない場所です。
とはいえ今回は、自分の大好きな焼き物……特に、ごく普通の市井の人々の、平凡な日常の生活に供されていた品々の展示なので、絶対に来たかったのでした。
民窯とは。

「民窯」というのは、狭義では中国で朝廷が管理していた、王侯貴族などに献じる陶磁器を作っていた「官窯」に対する言葉。日本でも、幕府や藩の運営による「御用窯」、一般販売を禁じた「御留焼」、藩主自ら作陶にふけった「御庭焼」などは、広義の官窯といえるかもしれません。
その対比なので「民窯」は、民間による運営の、一般庶民の需要のために陶磁器を作っていた窯元のこと。

そもそもの民藝運動の始まりからして、瀬戸の「馬の目皿」などの、普段使いの品、日用雑器の美を再発見することから始まっているので、今回の展示は原点に帰るようなもの。
木綿の紺染の織物なども、そんな日用の美の背景として存在しています。
尺皿たち。

普段使いと言っても、その熟練はたいしたもので。例えば、こんな大皿とか分かりやすい。
粘土は言うまでもなく柔らかいものです。だから、薄く横に広げていくと、当然ペロリと垂れてしまう。
それを垂れないように、薄く横に広げていくのは難しい。
しかも、陶磁器を「焼く」というのは、つまり粘土の粒子を
溶かす行為。火山の噴火口から出るマグマのようにドロドロにして、もう一度冷ますと固まるという原理。だから、窯の火加減を失敗しても、ペロリと垂れてしまう。なので、古来「皿は一寸倍」なんて言葉がありまして、一寸直径が大きくなるたびに、値段が倍になる。
尺皿……直径三十センチの皿を作れるようになって、ようやく一人前といえるかどうか。そういう世界。
……小鹿田焼が多いなあ。やっぱり民窯の品として分かりやすいからかなあ。
お皿以外の色々。

合子は蓋物。まだラップが無かったころ、匂う漬物とか入れてたヤツ……だと思う……飴釉のはソレでいいとしても、青と白の釉でツートンに仕上げた合子は、漬物を入れるには、ちょっとオシャレすぎるかなあ。飴とかがよさそう。
台付小鉢も、煮物とか和食は似合わなそう。このデザイン、洋食器をモデルにしているっぽいもんなあ……

土鍋は小さめ。一人分の雑炊つくるのにちょうどいいかな。ピッチャーは、洋酒もいけそう。先の台付小鉢に合わせて。
普段使いなので、和食のマナーに拘る事もないわけだ。
飲みたいもの、食べたいものを、楽しく味わえるように。
そういう、使う人に合わせた発想が嬉しい。

これを見て初めて知ったんだけど、薩摩の方言で土瓶の事を茶家(チャカ)って言うんですね……
くらわんか皿は、淀川を行く大きな船に小舟で寄せて、
「くらわんか、くらわんか」
と食い物を売りつけるのに使われたとか。(今ググった。)
確かに、ぶ厚くてガッチリしてて、船の上で使っても割れなさそう。いろんな地方の生活に触れるきっかけになるのも、また楽しい。

沖縄のやちむん。抱瓶(だちびん)は、泡盛の携帯容器。
腰にフィットするように三日月型。
これ結構入りそうなんだけど……泡盛ってかなり強いんじゃなかったっけ……暑い沖縄の野外で飲むの? 下戸の自分には、色々と想像できない。
しかしこの造形は素晴らしくて、飲めないけど欲しい。
でも麦茶は似合わないかな。やっぱり、泡盛じゃないと絵にならなさそう。

船徳利は底が広い。やっぱり、揺れる船の上で転ばないようにこんな形なんだろうな。跳び鉋で、鉄板のパンチング加工みたいな傷がつけてあるのも、滑り止めかしら。船が揺れたタイミングで、手を滑らせて落としたりしないように。
土佐弁でせっかちの事を「いられ」というの初めて聞いた。ドーナツ型の花器とかは見た事あるけど、こういう大きさは見た事なかったなあ。火を逃がして熱を廻すのか。

葵図は、細くて薄い線で丁寧に描かれている。そてつ図は、濃い呉須、中くらいの筆で、スパスパとリズミカルに、勢いよく描かれている。その特徴ある絵付けを乗せた白い釉に、薄ぅく透けて、ほんのりと肌の色に染めている、下地の土の愛らしさ。
それにしても……酒関係のモノが多いなあ……
お茶を一服。

第一民芸館の展示を一通り見終わって、終わりかけのツツジを横目で見ながら、民芸館付属のお茶室へ。
勘桜亭という名の通り、床柱には桜の幹が建てられ、春には矢作川の端に並ぶ、満開の桜並木を眺める事ができる。
最近は秋の紅葉の美しさでも知られるようになった。
今の季節は、秋には紅に染まる紅葉の、今年生まれた葉が、梅雨前の明るい緑に光っている。

お茶の世界では、五月はもう夏なのだそうだ。だから茶碗も口がやや開いたものに。掛物も田植えの絵。
五月雨の そそぐ山田に
早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗 植うる 夏は来ぬ
酒以外も色々あります。

ワザとじゃないと思うんだけど、どんな企画展の時も、第一民芸館はどこか現場っぽいというか、展示物が実際に使われていた時の空気の匂いが濃い。それに比べて、第二民芸館はちょっと美術館に近づいた感じ。美術品っぽい。

この赤絵の土瓶とか、普段使いではあるにしても、ちょっとめでたい日とか、それなりの客があった時に、って感じだ。くらわんか皿や抱瓶みたいに、汗臭い感じがしないなあ。
それ言ったら、葵やソテツの染付徳利も、ちょっとオシャレではあるんだけど。
この、尺五寸はありそうな大皿も、祝いの席とかで使われたんじゃないかしら。なんといっても目出度い図柄だし、この大きさはご馳走を山盛りにしてこそ映えるだろう。
上の土瓶は江戸時代の犬山焼。なんとなく聞いた事がある。猿投から、あちこちに広がっていった古窯のひとつ。
下の大皿は、瀬戸の石皿だ。やはり江戸時代のもの。
そして瀬戸の民具の老舗の窯元の『瀬戸本業窯』の、現行の作品がこちら。

実は最初のテーブルから、ケースや台の上に普通に展示物として並べられている品まで、皆、時代と産地と窯元の表示があって、今でも作陶を続けている窯元の品は、購入も可能となっていました。
昔のモノも今のモノも区別なし。
人の営みというのは変わらないものなので、それによりそう品物も変わらないのですね。

徳利は左馬。縁起物だなあ。
手前の四角いのは、鰊箱というものだそうだ。鰊を加工するために、木材など水や脂を通すものではだめなので、陶器で作った箱なのだそうで。今は流石に使っていないかな。
このへんは、過去のモノっぽい。
でも、陶の角箱なんて貴重だ。鰊を入れる以外でも、色々と使えそう。
陶というのは粘土なので、平らにするのは難しい。曲がるし歪む。それなのに、こんな真四角によくまあ作ったものだ。

めっちゃワイルドな品々。山形、秋田、宮城。
これも多分、過去のモノ。
切立(きったち)は、文字通り切り立っている器。湯飲みにはよくあるんだけど、こんなデカいのは見た事なかった。
隣りの小壺と同じくらい。径一尺あるかないか?
茶色いのは、土自体に鉄分が多いせいかな……黒いのは鉄釉? 青白いのは灰釉?
説明書きがほとんどないの、たまにちょっと悩ましい。
だけど、平鉢のこのドロドロがたまらないな。派手に目跡が残っているけど、いったい何に使ったんだろう?

こちらは現行、でなくとも、最近のものだろうなあ。
ちょっとオシャレな昭和の高級喫茶店にありそうだ。
昔の人の素朴な生活雑器が、今のオシャレな工芸に繋がっていく感じが面白い。自分の生活、歴史、美術。それらは本来シームレスなモノなのだ。
今も活躍する民窯の作品たち。


でも、実際にこういうものを生活に取り入れるには、どうすればいいんだろう?
普段使いの食器には、やっぱり大仰っぽいし。食器だけ豪華でも、乗せる食材が追い付かないし。
だからお酒の道具が多いのかな?
お酒の席なら、ちょっといい器を使うのも楽しそうだし。
でも自分は下戸なんだよなあ……
立ち去り際に振り返ると、そんな自分を見送るように、季節の花がピッチャーに活けられていたのでした。

