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豊田市博物館『旅するジョウモンさん』

行ったのが去年の十一月。十二月八日に終わってしまっていますが、縄文土器の鑑賞記録、ということでご容赦を。
東京国立近代美術館『ハニワと土偶の近代』で、縄文土器があんまりなくて物足りなくて、モヤモヤしてたのをリベンジするために見に行きました。

もちろん、縄文土器はハニワや土偶とはちょっと違うけど、あのハニワと土偶の解釈に、自分はどうして満足できなかったんだろう? あの時代の日本の土器に、自分はいったい何を求めているんだろう? といったところが解き明かせればなあ、という感じ。


国宝の火焔土器とその仲間。

笹山遺跡・深鉢形土器(火焔型)国宝

展示室に入って早々コレが飛び込んでくる。
これぞ縄文土器ッ! 最初からクライマックスだぜ!
「ほぉら、コレが見たかったんだろぉ? ドヤァ!」
全くその通りでございます。

口縁の焔が躍る様子、存在しない器の中から立ち上る炎さえ見える。それは、下から表現の濃度がうなぎ上りに上がっていく、デザイン上の演出によるものだろう。
平らな底からスクエアに立ちあがる、ストレートな下半分。そのクールさを強調するストライプ。そんなクールな印象が肩口のオーバーハングで破壊される。その反りかえる曲面の曲線を反復するかのように、グルグルと巻く渦。
口縁から立ち上がる鶏冠のような形は、もちろん炎なんだろうけれど、その下をグルリと取り巻く渦巻模様は、水の表現なのかなあ。単なる水というより、ボコボコと沸き立つ熱湯のようでもある。煮炊きに使われていたのかな? とても実用的とは言えない器形だけど、実際に煮炊きに使われていた土器をモデルにして作ったとか、そういう事かしら。

石神遺跡・深鉢形土器(円筒上層式)重要文化財

こちらはいささか実用的ッポイ。
よく見ると、うっすら粘土に継ぎ目が残り、八段に分かれている。粘土のヒモを輪にして積み上げていくという、成型の方法がよくわかる。積んだ粘土を締めるために、縄を巻いた棒を押し付けるという、縄文の由来まで分かる。内側が赤いから、低音の酸化焼成なんだけど、外側は半ばあたりから炭素が吸着して黒くなっている。下の方を埋めて、周りで火をたいたのかな? そこそこ大きいので、カマドには入らなかったのかもしれない……でもこんなに深いと、底の方にモノが残っちゃって、使いにくそうだけど、どうなんだろう?

道尻手遺跡・深鉢形土器(火焔型)津南町指定文化財

最初の火焔土器に比べて、ちょっとだけ装飾というか、成形が洗練されている。下半分は、シルエットが下に向かい尖るように細くなっていってる。口縁への広がりは、ハッキリと段がついていて、壺と皿に分割できそうなくらいだ。装飾のスジも、エッジの切り込みがクッキリして細くなった。
洗練された結果、炎焔や水の渦といった具体性は薄まって、抽象化されたイメージになっている。

水汲遺跡・台付深鉢形土器(神明式)豊田市指定文化財

こういうタイプは知らなかった。
後世、殷や周の青銅器をモデルにして作った須恵器とかにはこんな感じのモノがあったけど、縄文時代にもうデザインが伝わってきていたのかな?
のちの三宝か高坏みたいな刳りのある足、一旦くびれて張り出した肩には帯型の装飾。口縁は絞ってあって、紐でくくるのにちょうど良さそう。皮か布を蓋にしてあったのかな?
帯型に張り出した部分や胴の上半分には、縁取りされた中に縄文が施されている。下側には装飾が施されていない。床に置かれていたのかな? 見えないところだから省かれた? 
だとするとコレは、儀礼など装飾そのものが目的ではなく、あくまで使用者のための飾りか。そんな人間本位の近代的な価値観が、既にあったんだろうか?
装飾のデザインも、畔に取り巻かれた棚田を思わせる。色々と、縄文土器のイメージを変えるような展示品だ。

火焔土器に至る試行錯誤?

法正尻遺跡・深鉢形土器(大木式)重要文化財
法正尻遺跡・深鉢形土器(大木式)重要文化財
法正尻遺跡・深鉢形土器(大木式)

「神明式」「大木式」など、きちんとキャプションには書かれているけど、種類が多すぎてよくわからない。出土場所の違い? 器形の違い? 年代の違い? まあ、そのどれでもあるんだろう。ちゃんと勉強すれば、お互いどのように影響しあって、どういう変化をもたらしたか、ちゃんと読み解けるんだろうけど、今すぐそこまでするのは無理そうなので、第一印象で決めつけちゃう。

間違っている事を前提に、ここに書き留めておいて、後で色々わかったら、答え合わせする。
何時になるかわからんが。

境A遺跡・深鉢形土器(上山田・天神山式)重要文化財
境A遺跡・深鉢形土器(上山田・天神山式)重要文化財
境A遺跡・台付深鉢形土器(上山田・天神山式)重要文化財

器形が初期の尖底土器に近くて、火焔や胴の筋などの装飾も控えめなものって、初期なのか晩期なのか? 尖底土器に、装飾がつけられ始めたのなら初期だろうし、デザインがスッキリした弥生式に近づいていく段階なら、晩期だろうけど。

大木式とか上山田・天神山式とか書かれている物は、装飾が控えめに見えるけど、筋は細くてクッキリしていて、器体の厚みも薄く、焼成時の火力もそこそこ強かったように見えるなあ。装飾が単純化していった、時代的には後の方になるのかな?

台付深鉢土器の台が気になる。高坏からの派生だろうか? でもこんな台がついてると、カマドには据えづらそう。
「壺や鉢を乗せる器台というのがあって、それが円筒埴輪の原型になりました」
という説を聞いた事があるけれど、その器台のさらに原型?

問題は、これと、最初に出てきた台付深鉢土器くらいしか、器台ッポイ造形が見当たらないこと。円筒埴輪の原型になるくらいなら、この手の造形、もっとたくさんないとおかしくないか?

多摩ニュータウン遺跡・深鉢形土器(曽利式)
津金御所前遺跡・深鉢形土器(曽利式)
上小用遺跡・深鉢形土器(曽利式)

火焔の装飾は、どんなふうに成長したんだろう? 最初は、単純な尖底土器だった。カマドで煮炊きする為のものなら、余計な装飾は使いにくいばかり。
この曽利式というやつ、尖底土器ッポイから、このあたりが始まりなのかな? カマドに据えた時、下に落ちないように口の方は広げて、持ち上げやすいように輪をつけて。
縦に細い溝を切っているのは、カマドに癒着しないように、熱が上まで抜けるように、隙間をあけるためかしら。
でもそれにしては、繊細な装飾だ。この前段階に、荒い溝を切られ、無骨な輪のついた尖底土器があったのかも。

島崎遺跡・深鉢形土器(唐草文系)長野県宝
上岩野遺跡・深鉢形土器(唐草文系)
赤保木遺跡・深鉢形土器(下伊那タイプ)

これらは、カマドに据えたら、せっかくの唐草文が見えなくなる。もったいない気がする。しかし床に置くには、こんな尖った底ではころんじゃいそう……いや、当時の住居に平らな床ってあったのかな? 竪穴式住居にゴザ敷いてた時代だ。備蓄の壺や瓶も、底の周りに土を盛って据えるとか、ヒモで括って吊るすとかしてたのかもしれない。

火焔土器の完成と変質。

沖ノ原遺跡・深鉢形土器(火焔型)新潟県指定文化財
諏訪前遺跡・深鉢形土器(火焔型)
野首遺跡・深鉢形土器(火焔型)新潟県指定文化財

これほどになると、火焔型はもう、煮炊きだの貯蔵だのとは無関係だろうなあ。実用は考えてないよね。装飾がメイン。どれだけカッコイイ土器がつくれるか。
そんな非実用的な事を、色々考えたり試したりできるのは、やっぱり豊かさの表れなんだろうな。

道尻手遺跡・深鉢形土器(王冠型)津南町指定文化財
野首遺跡・深鉢形土器(王冠型)新潟県指定文化財
法正尻遺跡・深鉢形土器(火焔型・大木式)重要文化財

大きく開く火焔型から、差別化を図ろうとしたのか、それとも土がゆるくて、大きく開くと垂れちゃうとか、煮炊きする食材や燃料の違いで、泡の盛り上がり方や、湯気の立ち方の様子が違うのを表現したのか。
球を巻くように、火焔部分が起ち上って包み込むような形。透かしじゃなくて、渦巻き模様を上縁まで積み上げていく。

下原遺跡・深鉢形土器(勝坂式)
下原遺跡・深鉢形土器(勝坂式)
多摩ニュータウン遺跡・深鉢形土器(勝坂式)
多摩ニュータウン遺跡・深鉢形土器(勝坂式)
境A遺跡・深鉢形土器(勝坂式)重要文化財

こっちは口縁の装飾ではなく、胴の装飾に凝るタイプかな。胴の下半分は縦の溝だけだったのが、腰から肩にあった渦巻模様が大きく伸びて、器の全体をグルグル巻いている。もう口縁の装飾は、スッパリなくしてしまう、あるいはドカンと単純なのをつけてキメるレベルの潔さ。土器よりも、むしろ銅鐸を思わせるようなデザイン。

深鉢形土器(加曽利E式)
多摩ニュータウン遺跡・浅鉢形土器(加曽利E式)
多摩ニュータウン遺跡・深鉢形土器(加曽利E式)

器形も尖底土器に似てて、装飾も少ない。しかし成型技術は段違い。輪積みも細かく、器体の厚みも薄く、なによりも、シルエットのエレガントさが尖底土器とは雲泥の差。
しかもそれを強調するかのように、胴にはごく薄い線描や、霧のように細かい縄目のみ、口縁部にクールだけどしっかりインパクトのある紋様をグルリと巻いて、引き締めている。
もう、デザインの何たるかを完全に分かった上で、自覚的に作ってますよねコレ。

多摩ニュータウン遺跡・深鉢形土器(咲畑式[中富式])
多摩ニュータウン遺跡・深鉢形土器(大木式)
多摩ニュータウン遺跡・深鉢形土器(連弧文)

装飾だけでなく、器形も少しずつ変化してきています。尖底土器よりも、後の弥生式土器の壺に近づいてきている。
火焔式の開いた口縁が、別パーツになったみたいに、浅鉢形土器もでてくる。
浅鉢や高坏などが出てくるという事は、煮炊きや貯蔵以外の用途でも、土器が使われ始めたという事か。生活がドンドン向上していくのが感じられる。

多摩ニュータウン遺跡・浅鉢形土器(大木式)

先鋭化していく火炎土器。

深鉢形土器(阿玉台式)
道訓前遺跡・深鉢形土器(焼町系)重要文化財
道訓前遺跡・深鉢形土器(焼町系)重要文化財

火焔式の、口縁から弾けるように立ち上がっていた部分は、その形を絞り込んでいった結果、太いドーナッツ型や円盤型になって、存在感を最大限に主張するようになった。
上に伸びる部分が減った分、胴には太い畝が貼り付けられ、s底近くまで深い渦巻模様が刻まれるようになった。

道訓前遺跡・深鉢形土器(上山田・天神山式)重要文化財
法正尻遺跡・深鉢形土器(上山田・天神山式)重要文化財

逆に、器形のシルエットを極限まで単純化しておいて、表面処理のように、細く幾何学的な筋をみっしりと描く、というパターンも。
縄文土器とは思えないレベルの、モダンなデザイン。
火焔式の名残は、シルエットにわずかに残るくらいだ。

尖石遺跡・抽象文土器 長野県宝
笹山遺跡・獣面把手付深鉢形土器 十日町指定文化財

そんな、抽象化を極めたようなデザイン土器がある一方で、蛇や獣の姿を模した装飾もでてくる。いや、今までの装飾も何かを描写していたのかもしれないが、具体的なモチーフがハッキリわかるレベルの造形は、珍しいみたい。
技術的な問題なのかな。それとも、蛇や獣に対する意識に何らかの変化があったんだろうか。具体的なモチーフを、器に刻むことに、意味をもたせるようになった?

装飾に、これまでになかった意味付けがされるようになり、ただパッションに任せた装飾ではなく、何かメッセージ性があるような、読み解きを求めるような、そんな表現になってきたみたい。
その一方で、単純化の流れも、止められないレベルで進み続けている。

槻沢遺跡・深鉢形土器(阿玉大式)重要文化財
槻沢遺跡・深鉢形土器(大木式)重要文化財
槻沢遺跡・深鉢形土器(大木式)重要文化財
槻沢遺跡・深鉢形土器(浄法寺類型)重要文化財
槻沢遺跡・深鉢形土器(火焔型)重要文化財

弥生式と異形へ二極化?

赤保山遺跡・深鉢形土器(唐草文系)
赤保山遺跡・台付鉢形土器(上山田・天神山式)

単純化していく流れに、もうほとんど弥生式のような土器が登場する。尖底土器も薄手で軽そうだ。深鉢形土器も、ほぼ壺じゃないか。
台付鉢といいつつ高坏にしか見えないし、穴の開いた筒形の足は、コレが筒型埴輪の元だと言われたら信じちゃいそう。

深鉢形土器各種と、鮫歯・獣骨・貝殻による製品。

鮫の歯や獣の骨、貝殻を加工した道具などの展示物。土器がいくら弥生式っぽくても、狩猟採集の縄文時代なのだ。でも小物も造りが繊細で、デザインもスマートだ。デザインなどは、もうすっかり弥生時代なのかなあ。

月見松遺跡・顔面把手付深鉢形土器 長野県宝
多摩ニュータウン遺跡・顔面装飾
当麻遺跡・土偶装飾付土器(子背負い)
竹宇I遺跡・顔面把手付深鉢形土器

しかし一方で、こんな呪術的な、装飾過多の土器も作られている。呪術的ではあるものの、器形は近代の壺とほぼ同じ、装飾の配置も、花綱やメダイをモチーフにした近世の磁器にそっくりだ。

赤保木遺跡・台付深鉢形土器(唐草文系)
多摩ニュータウン遺跡・壺形土器(加曽利E式)

装飾へのパッションや技法は、間違いなく洗練され発達しているけれど、火焔式のシルエットは、もうほぼ残っていない壺と、薄い線彫りに面影を残してるけど、器形はもう完全に弥生式土器にしか見えない壺。

多摩ニュータウン遺跡・深鉢形土器(勝坂式)
尖石遺跡・蛇体把手付深鉢形土器(勝坂式)長野県宝

この器は、ストンと直線的な器形と、口縁を折り込み分厚く見せているせいか、木製品のように見える。木製のこういう器は、この頃もうあったのかな?

曽利遺跡・蛇頭半人半蛙交会文深鉢(勝坂式)
赤保木遺跡・動物意匠付鉢形土器(上山田・天神山式)

ここまでくると器であることがもう、言い訳みたいになっていて、ホントは彫刻とか塑像を作りたかったんだろうなあ、なんてレベルだ。創作への誘惑が抑えきれない感じが、ひしひしと伝わってくる。
なぜそう感じるか、理由は上手く説明できないので、勝手な思い込みである可能性は高いけど。この土器に込められているのは、創作への情熱じゃなくて、宗教的儀式への熱意かもしれないし。

大砂遺跡・釣手土器
曽利遺跡・釣手土器

分からないと言えば、この釣手土器、専門家でも
「なんでこんなモノ作ったのか、さっぱり分からない」
とのこと。
動物や人の顔みたいなのがチラチラ見られるけれど、それは神様なのか食物なのか。何に使ったかもわからないらしい。灯火か何か、ともしたのかなあ。とはいえ、造形にこれだけインパクトがあって、しかも謎の存在というのが、なんとも面白くってたまらない。
縄文土器の中で、一番好き。

上岩野遺跡・釣手土器
上岩野遺跡・釣手土器

ヒトガタと怪物。

石神遺跡・板状土偶 重要文化財

釣手土器の用途は呪術的なものかもしれない、といわれても呪術的に扱われてたらしい土偶は、また別にあるのだった。いや、この土偶の場合は、呪術的用途というほど重たいモノでなかったかも。
この土偶、頭の後ろに穴が二つあいていて、ヒモを通して、首から掛けられるようになっている。単なるアクセサリーという可能性もナンボかあるわけだ。
髪はデコボコに表現されてるけど、巻き毛だったのかしら。三つの突起は、乳とヘソなのかな? 体は完全に記号化されちゃってるのに、顔だけ妙にリアルなのが、ちょっと怖い。
丁字形の眉毛と鼻筋はともかく、横長に穴をあけたような、眼と口の表現は、ちょっとハニワっぽくもある。

井ノ上遺跡・男女人体文付深鉢形土器(部分)糸魚川市指定文化財

棒状の装飾として、横っ腹に貼り付けられているのは、男性と女性、二人の人物全身像だ。小さな逆三角形の顔に、穴が三つの目と口。
呪術的な装飾としては、ちょっとゾンザイすぎないか?
単純に、飾りとして貼り付けただけかなあ。

唐渡宮遺跡・人体絵画土器(部分)

こちらの土器には、女性の姿がサラサラと描かれている。
これも、呪術目的としては雑すぎだよな。やっぱり、落書きと考えた方が、この見た目に合っている。
気楽に落書きできるとは、この手の土器もありふれたものになったという事かなあ。

上岩野遺跡・有孔鍔付土器

こういった流れをぶった切るように、突然、現れるのがこの有孔鍔付土器だ。なんだこれ。
何か、具体的な動物植物人物をモチーフにした装飾だとは、まず思えない。
というか、この成形の技法もおかしい。輪積して、ロクロで回しながら整える、じゃないだろう。こんな幾何学的立体の構成? タタラ板の貼付け? それは基本的な技術だけど、今までの展示には、全く見かけなかった。
デザインの根本的な考え方からして、初めて見るのだ。
にたようなモノとしては、河井寛次郎の晩年の、現代陶器の作品がそうかな? いや、それならなおさら、なんでそんなものが縄文時代に?
本当に、この土器だけ他から浮きまくっているんだよなあ。

長峯遺跡・有孔鍔付土器 長野県宝

縄文時代という時代の最後の、イメージの爆発から生まれた異形かもしれない。

異形じゃない、実用的な土器は、もうすっかり弥生式土器になっちゃいました。紋様はまだ残っているけど、線刻は浅く控えめで、消える気マンマン。

北一色遺跡・注口付鉢形土器
水汲遺跡・深鉢形土器(称名寺式)豊田市指定文化財

私たちは古代の上を歩いている。

矢作川河床埋没木

かくして、縄文は終わり、弥生時代へと移り変わっていく。

今回の展示、国宝や重要文化財がいっぱいあったのも特徴ですが、それ以外に、豊田市から三河一帯、瀬戸から美濃あたりまでの遺物がたくさんあったのも、地元民としては嬉しい事でした。

土器以外にも、貝塚の断面や丸木舟など、当時の生活をより明確にイメージできるように、様々な工夫が凝らされていました。今回の展示の象徴的な存在は、どんな土器でもなく、この矢作川河床埋没木だったかもれない。

矢作川は地元の河。三河平野を作ったのもこの子。
この埋没木は、ここ、豊田市博物館のすぐそばに埋まっていたとのこと。ひょっとしたら、自分は気づかずにその上を、しょっちゅう歩き回っていたかもしれません。いや、今でも私は、何も気づかないまま、何千年も前の土器や貝殻や、埋没木を踏みつけて暮らしているのでしょう。

それは恐ろしいような、誇らしいような。

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