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【船の墓場】🇺🇿アラル海観光2026

みなさんは旧ソ連の中央アジアに位置する、アラル海という場所をご存知だろうか。あの辺りは黒海とかカスピ海とかアラル海とか色々あってややこしいので混同している方もいるかもしれないが、この画像を見れば「あ〜!これか!」となることだろう。

左が1989年、右が2014年のアラル海

そう、某スターリンによる"自然改造計画"でみるみるうちに水位が減り、消滅寸前となってしまった湖である。
具体的には、大量の水を消費する綿花を育てるためにこのアラル海に注ぐ河川の水を引っ張って無理な灌漑を行ったのである。かつてのアラル海には多様な生態系があり、ほとりには漁業で栄えた村も沢山あったもののほぼ全てが壊滅してしまった。悲しいね…

で終わらなかった。

このアラル海、干上がったと同時にかつて水に含まれていた塩分を風に乗せて周りの地域に飛ばしまくったのだ。これでは農業まで被害を受けてしまう。それだけでは無い。アラル海が広大だった頃、この湖の中にはたくさんの島があり、それが「アラル海」という名称の語源にもなっているのだが、なんと地理的なアクセスの難しさに目を付けたソ連政府が、その中の島のひとつに生物兵器の開発と実験を行う施設を建てた。
しかも後始末を怠ったせいでこの施設で保管されていた細菌等有害物質すらも拡散してしまった。
なんてこったい。

この塩害と細菌のダブルパンチで今でも地域住民の健康と生活に悪影響を与えてしまったアラル海の消滅事件は、後世にこの事件の壮大さを伝える土産物を置いていった。

船である。

アラル海の消滅があまりにも早かったために、今もこの荒地にはいくつもの漁業で使われていた船が残されているのだ。

というわけで、見に行こう!

タシケントからヌクスへ

重要なことを言い忘れていた。アラル海はソ連崩壊後、おおよそ半分ずつカザフスタンとウズベキスタンの領土となった。今回向かう「船の墓場」は、ウズベキスタンはカラカルパクスタン共和国のモイナクという町(というか村?)にある。
カラカルパクスタン共和国とは何ぞやという事になるが、カラカルパク語を話すカラカルパク人が住む、ウズベキスタン内の自治区といった感じだ。もっともこれはロシア帝国及びソビエト連邦の適当?未熟?な民族調査によるもので実際はカザフの文化にかなり近く、民族として独立した存在にしていいかはかなり怪しいようだが、つまりウズベキスタンの中にあるウズベク人じゃない人が住む領域、とさえ覚えてくれれば問題はない。

というわけで船の墓場のあるモイナクに向かうため、まずは近くに位置するカラカルパクスタン共和国の首都、ヌクスに向かうことにした。
基本的なアクセス方法はウズベキスタンの首都タシケントから夜行列車でヌクスに向かい、そこから4時間ほどローカルなバスに乗ることでモイナクに到着出来る。ヌクスには国内線が発着する空港があったり、カザフスタンのアクタウからの夜行列車も来たりと他にもアクセスの方法はあるが、タシケントから向かうのが一般的だろう。

タシケント中央駅で見かけた素晴らしいデザインのソビエト製電気機関車、ВЛ60

交通の要衝、タシケントにはメインターミナルが2つある。タシケント中央駅(Ташкент Пасс)とタシケント南駅(Ташкент Южный)だ。アルマトイのように駅を数字で区別するなんて暴挙は行っていないようで、大変ありがたい。

今回はタシケント南駅を16:00に出発し、翌朝8:26にヌクスに到着する夜行列車に乗車した。

ヌクスへ向かう54ФА列車

ヌクスへの旅で乗車する列車はかなりの超大編成で、郵便車?と食堂車を含む客車18両を重連型の機関車が引っ張るとても迫力のある客車列車だった。日本ではほぼ絶滅した客車列車が幹線を走るなんて、これも中央アジア旅の楽しさのひとつである。

狭すぎる

なお、プラッツカルタと呼ばれる3等寝台(開放寝台、上下2段)の上段を予約すると、ろくに体を動かせない棺桶(上に登るためのハシゴすらない!)で眠ることになるので気をつけよう。寝る時以外食堂車に居座り続ければ多少はマシだが。

ところで今回乗車している列車の終点はヌクスではなく、クングラード行きとなっている。今回の旅の出発の前に中央アジアの地名はある程度頭に入れていたはずだか、聞き覚えがない。
地図アプリを開いて見てみよう…あれ?

実はヌクスに行く必要はありませんでした!いかがでしたか?

ここで一旦、今回の目的地であるヌクスとモイナクの周辺の地図を見て頂きたい。

おっと…?

あれ?モイナクに行くならクングラードに行った方が近くね?

いや待て、その考えは安直だ。モイナクへのアクセスはヌクスからの方が便利なのかもしれない。もう少し地図を拡大して道路を確認しよう。

クラングラードからの方がアクセスしやすそうでは…

後述するが、今回乗車したヌクスからモイナクまでのバスはクングラードを経由した。しかも

ヌクス▶︎2h▶︎クングラード▶︎2h▶︎モイナク
・クングラードで停車、客の乗降あり

という具合だったので、モイナクのみを目的とするならヌクスに行くと時間を損する。クングラードまで列車に乗り続けるのがベストだ。

ただ言っておきたいのは、ヌクスはカラカルパクスタン共和国の首都であり美術館やバザールなどが充実している歩いていて楽しい街である。
対するクングラードは地図を見てもバスからの車窓を見ても観光できるところは一切無いように思える。
個人的にもヌクスは気に入ったし訪れる価値はあると思う、ただあくまでアラル海のみを目的とするなら必ずしもヌクスに行く必要は無い。これが意外とどの旅行記にも書いていなかったので、ここに情報を置いておくことでポストアポカリプス的なモノにしか興味のない変なオタクの助けになれば幸いだ。

ヌクス着

ヌクスに着くと、牽引機は電気機関車からディーゼル機関車に変わっていた

さて今回は日程に余裕を持たせたかったためヌクスで一泊することになっている。もっとも夜行列車で朝到着したならばその日のうちにモイナクへ行くことは簡単である。
さて、ヌクスを少し観光してみよう。

駅前広場

駅前を見る限りそこまで大きな街には思えないが、これは駅が街の南の端に位置するためであって中心部に向かえば人も交通量も増えてくる。

ソ連/ロシアの名車、ラーダ・ニーヴァ

このように建物を見たり車を撮ったりふらふらしていると、現地の人に英語で「迷ったのか?助けはいるか?」と声をかけられた。今回中央アジアを3週間旅したのだが、カラカルパクスタンの人達は特に親切だった気がする。もっとも中央アジアでは他の場所でも旅人として過ごしていると優しくされることが多かった。鉄道オタク以外ではまだまだマイナーだが、旅が好きな人達には是非訪れて欲しい(ただし駅や空港の白タクの勧誘には気をつけろ)

モイナクへ

さて1泊して、翌日はいよいよモイナクへ向かう。モイナクへ向かうバスは郊外のСаранчаバスターミナルから出発する。

この場所を検索すると複数の候補が出てくるが、上の図のアイコンの位置が正しい

街外れにあるため中心部からは乗合バス(マルシュルートカ)を利用する必要がある。Yandex Mapと呼ばれるアプリを使えば中央アジアの都市の市バスなどのルート検索も出来るので便利なのだが、このアプリは情報が古いことが往々にしてあり、ヌクスのマルシュに関してもバス停の位置が違ったりルートが誤っていたりと散々であった。
というわけで私は同じく中心部にあるDehkanマーケットに向かった。ここは多くのマルシュの始発/終着点となっており、乗り場ごとに行き先が別れている親切設計。困ったらここに行けば目的地に辿り着けることだろう。

赤のアイコンの場所がバザール(マーケット)

というわけでマルシュで移動してСаранчаバスターミナルに到着、ここでモイナク行きのバスに乗り換える。
発車時間や本数は調べてみても情報が錯綜していたのでいい時間にバスがあるか不安だったが、なんとモイナク!モイナク!と客を呼んでいるバスがあるではないか。急いで飛び乗って向かうことにした。

結論として、ヌクス▶︎モイナクのバスは

9:00発 11:00発 13:00発 15:00発

の1日4本。私が捕まえたのは13:00発のバスだった。料金は車内で支払う形式で、うろ覚えだが5万スム(日本円で650円程)よりは少なかったはずだ。バスやタクシーの値段が安いのは大変ありがたい。

乗り心地はかなり酷かったが、車両よりも路盤に問題があるようだった。

所要時間は4時間程。クングラードの街が見えたら折り返しだ。このバス、かなりレトロでいい見た目をしていたので写真撮ったのだが、SDカードの破損によってデータが吹き飛んでしまった。これを直そうと格闘していたため、モイナク到着後は宿に引きこもっており船の墓場の観光は翌日に持ち越しとなった、無念。

代わりに同じ車種と思われる車を貼っておく。
「テイクアウトコーヒー販売中」
ゲストハウスでの夕食。味もボリュームも大満足。

「船の墓場」

いよいよ「船の墓場」へ向かう。南北に長いモイナクの町を北に40分ほど歩くと、六角形の建物が目に入る。アラル海歴史博物館だ。かつて漁業で使われていた道具、かつて生息していた渡り鳥の剥製、大漁の魚と漁師の写真…
ただひたすら荒地が広がっているこの土地がかつて巨大な湖だったという事実はにわかには信じ難いが、それでもここには間違いなくこの証拠が残っている。

在りし日の漁村モイナク

博物館を出るとそこには高台があり、ひたすらに続く荒野と…船。錆びている、というよりは朽ちている。しかし間違いなくかつて使われていた船、1日で数十メートルも後退した水に置いていかれた船。アラル海が自らの悲劇を伝えるために作り上げたかのような遺産が、そこにあった。


おわり。


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