素敵な夜でしたね

「素敵な夜でしたね」と知らないおじさんに言われた。
急にそんなことを言われて「へ、ありがとうございます」と返したが、今考えるとそのおじさんはぼくたちに何もしていないから返答としてはおかしい。お騒がせしました、も違うし、おかげさまで、も違う。はい、素敵な夜でした。が正解だったかもしれない。

奥さんの誕生日兼退職祝いをしようということで、中華料理屋に行った。そこは前にランチで行ったことがあり、いわゆる町中華とはまた違った雰囲気がある。キッチンを囲むように配置されたカウンター7、8席と4人がけのテーブルがふたつのこぢんまりとした料理屋だった。店内は黒で統一されていてカウンターにはスパイスの小瓶が並ぶ。人に見られることを意識した、汚れのなく綺麗に整頓されたキッチン。料理の説明をしてくれたり、「なにで知ってくださったんですか」と気軽に話してくれる店主。好きな人に連れて行かれればますます好きになり、苦手な人に連れて行かれれば全てがいけ好かなく感じる、そんなお店。

おじさんはその雰囲気に呑まれた。おじさんはおそらくその店の常連で、その店の雰囲気の一端を担っているという自負がある。確かにそのお店の一部であることは間違いない。そのお店の雰囲気を作っていると同時に、彼がその雰囲気に乗っ取られている。何か素敵なことを言わなくては、若い二人に思い出を残してあげなくては、そんな当事者意識から出た一言だったかもしれない。

我々がカウンターの左端のL字の部分にいて、おじさんはその逆側の端にいたが、ケーキを出してもらったり写真を撮ってもらったりしていたので狭い店内では僕達が何かのお祝いで来ていることは筒抜けだった。
そしてレジはカウンターの横、つまりおじさんの真隣にあった。お会計の時に「素敵な夜」発言があった。

でも確かに素敵な夜ではあった。





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