「普通」という言葉は、何を曖昧にしているのか
「普通はこうでしょ」とか、「それくらい普通にできるでしょ」とか、人はよく言います。便利な言葉です。短いし、説明した気にもなれるし、相手を黙らせる力もある。
ただ、私はこの「普通」という言葉を、かなり危ない言葉だと思っています。
なぜなら、この言葉は説明しているようで、実際には何も説明していないことが多いからです。しかも、曖昧なわりに強い。ここが厄介です。
平均を言っているように見える。世間一般の基準を言っているようにも見える。
でも実際には、その場の価値観、立場、苛立ち、都合を、無名の権威に偽装していることが少なくありません。
今日は、この「普通」という言葉が、実際には何を曖昧にしているのかを整理します。
「普通」は、平均の言葉ではなく、規範の言葉です
まず、ここを分けた方がいいです。
多くの人は「普通」を、平均とか多数派とか、客観的な基準のように使います。でも実際には、そうではないことが多い。
「普通」は、平均の報告ではなく、規範の押しつけとして使われやすいです。
たとえば、
普通はその言い方はしない
普通はそのくらい気を遣う
普通は言われなくても分かる
普通はそこまで確認しない
普通はもっとちゃんとやる
こういう言い方をされたとき、そこで言われているのは統計ではありません。本人が正しいと思っている行動様式を、説明抜きで正当化しているだけです。
つまり、「普通」は中立語に見えて、実際にはかなり主観的です。それなのに、主観であることを隠せる。
だから強い。そして雑です。
「普通」が曖昧にしているのは、基準の出どころです
「普通」が一番曖昧にしているのは、その基準がどこから来たのかです。
家庭なのか。育った環境なのか。職場文化なのか。性別役割なのか。年齢感覚なのか。本人の気分なのか。
何が根拠なのかが、ほとんど示されない。
それなのに、「普通」と言われた側は、まるで自分が世間全体から外れているように感じやすい。ここがかなり危ういです。
本当は、こう聞いた方が正確です。
それは誰にとって普通なのか
どの場面での普通なのか
いつから共有されていた基準なのか
それは事前に言語化されていたのか
外したときに減点されるだけの妥当性があるのか
でも現実には、そこまで分解されない。だから、「普通」という一語だけが先に立って、基準の出どころが隠れます。
これはかなり便利な言葉です。
便利なぶん、乱用されやすい。
「普通」が厄介なのは、説明責任を飛ばせるからです
本来、相手に何かを求めるなら、ある程度は説明が必要です。
何が嫌なのか。どこが困るのか。どうしてほしいのか。
ここを言葉にする責任があります。
でも、「普通」を使うと、それが飛ばせてしまう。
「普通は分かるでしょ」
この一言で、本来必要なはずの説明が消えます。
すると何が起きるか。
言う側は、自分の基準を説明しないまま相手を減点できる。
言われる側は、知らされていない基準で採点される。
これはかなり不公平です。
つまり、「普通」という言葉は、しばしば説明責任を回避するための省略記号として使われています。
しかも、言っている側はそれを省略だと思っていないことが多い。本人の中では本当に普通だからです。だから話がややこしい。
恋愛や結婚では、「普通」が後出し批判の土台になりやすいです
恋愛や結婚でこの言葉が危ないのは、事前共有されていない基準が、「普通」という形で後から出てきやすいからです。
たとえば、
普通は先に相談するでしょ
普通は一言あるでしょ
普通はそのくらい気づくでしょ
普通はそこまで言わせないでしょ
こういう言い方です。
本当に必要なのが、
「それは先に共有してほしい」
「そこは決める前に話してほしい」
「その言い方は嫌だから避けてほしい」
という話なら、本来はその運用を先に言語化した方がいい。
でも、それをしないまま、外したあとで「普通」が出てくる。すると、相手からすると知らされていないルールで減点される感じになります。
これが続くと、かなり削られます。
なぜなら、毎回「次はどこで普通を外すのか」が分からないからです。共同生活なのに、評価基準だけが相手の頭の中にある。これでは安定しません。
要するに、「普通」は親密圏ではしばしば、後出し批判を正当化する言葉として機能します。
仕事でも、「普通」は責任逃れの言葉になりやすいです
職場でも同じです。
普通はそこまで聞かない
普通は空気を読む
普通はそこは察して動く
普通はそんな言い方をしない
普通は前例に合わせる
こういう言い方が多い職場は、だいたいしんどい。
なぜなら、仕事の話をしているようで、実際には曖昧な文化への同調圧力をかけていることが多いからです。
しかも厄介なのは、「普通」が責任の所在をぼかすことです。
誰が決めたのか分からない。何を優先したのかも分からない。
でも「普通はそうだから」で通す。これはかなり雑です。
仕事で必要なのは、本来、
何を目的にしているのか
どこまでが役割なのか
どういう基準で判断するのか
を明確にすることです。
そこを「普通」で飛ばすと、結局、曖昧さに強い人か、空気を読むのが得意な人だけが得をします。真面目にやろうとする人ほど疲れます。
高知能者が「普通」で消耗しやすいのは、曖昧さを曖昧なまま飲みにくいからです
ここで、高知能者の話につながります。
高知能者は、一般に言葉の曖昧さや、基準の飛躍に気づきやすいです。だから、「普通」という言葉を聞いたときに、そこで何が省略されているかが見えやすい。
それは平均なのか、価値観なのか
共有されていた基準なのか、後出しなのか
本当に世間一般の話なのか、あなた個人の感覚なのか
説明を省いて相手を従わせようとしていないか
こういうことが見える。
すると、単に従えば済む場面でも、ずっと引っかかることがあります。
しかも高知能者は、自分の中で整合しないものを、そのまま飲み込むのが苦手なことがある。
だから、「普通」という言葉で雑に処理されると、思っている以上に疲れます。
外から見ると大げさに見えるかもしれません。でも本人の中では、ただの口癖として流せない。
なぜなら、その一語の中に曖昧な規範、説明責任の回避、責任の押しつけがまとめて入っているからです。
「普通」を使う人が本当に言いたいことは、もっと具体的です
ここも重要です。
「普通」と言う人が、本当に言いたいことは、多くの場合もっと具体的です。
私はそのやり方が嫌だ
私はその順番を重視している
そこは先に確認してほしい
その言い方はしんどい
その場では空気を優先したい
私の中では、それは配慮不足に見える
本当はこういう話です。
つまり、「普通」を分解すると、
好み
価値観
不快感
役割認識
期待
のどれかであることが多い。
ここまで下ろせれば、話はかなり前に進みます。
逆に、そこを下ろさず「普通」で押し切ると、相手は何を直せばいいのか分からないまま減点されることになる。
だから、「普通」が出てきたときに本当に必要なのは、反発でも服従でもなく、具体化です。
では、どう扱えばいいのか
私は、「普通」という言葉を全部禁止する必要はないと思っています。日常語として便利なのは事実です。
ただ、判断や評価の根拠として使うときは、かなり分解した方がいいです。
少なくとも、こう問い直した方がいい。
それは本当に普通なのか
あなたの好みや価値観ではないのか
それは事前に共有されていた基準なのか
外したあとに減点するだけで妥当なのか
具体的には何をしてほしいのか
この問い直しが入るだけで、「普通」はだいぶ弱くなります。弱くなるというより、本来の大きさに戻る。
つまり、曖昧な権威ではなく、一つの基準案に戻るわけです。
そして、自分が「普通」と言いたくなったときも、一度立ち止まった方がいい。
そこで本当に言いたいのは何か。嫌だったのか。困ったのか。価値観が違うのか。事前共有が必要だったのか。
ここを分けるだけで、かなり話しやすくなります。
最後に
「普通」という言葉は、便利です。便利だからこそ、かなり多くのものを曖昧にします。
平均と規範。共有された基準と個人の価値観。説明責任と後出し批判。
こういうものが、一語の中でごちゃごちゃになりやすい。
だから、この言葉が増えるほど、人間関係は雑になります。
恋愛でも、結婚でも、仕事でもそうです。
特にきついのは、「普通」が説明ではなく減点の道具になるときです。
本当に必要なのは、「普通」をやめることそのものではありません。「普通」の中身を具体化することです。
何が嫌なのか。何を求めているのか。どこまでは共有されていて、どこからは後出しなのか。そこを分けることです。
たぶん、人を疲れさせるのは「普通」という言葉そのものではなく、それで済ませてしまう雑さなのだと思います。だからこそ、言葉を一段深く下ろして、基準の出どころを見た方がいい。
そこが見えると、「普通」でいつも削られていた理由も、かなりはっきりしてきます。
