高知能者はなぜ「普通の職場」で消耗しやすいのか
高知能者は仕事ができる。少なくとも、そう思われがちです。
理解が速い。
構造をつかむのが早い。
言葉にもできる。
先回りもできる。
矛盾にも気づきやすい。
実際、その通りの部分はあると思います。
ただ、その一方で、高知能であることと、「普通の職場」にうまく適応できることは別です。
むしろ、能力があるからこそ、職場の粗さ、非合理、責任回避、言葉の曖昧さに強く消耗することがあります。
今日は、そのことを書きます。
高知能者は、仕事そのものより「仕事のされ方」に疲れやすい
まず、ここがかなり重要です。
高知能者が職場で消耗するとき、しんどいのは必ずしも業務の難しさではありません。
むしろ、業務自体は理解できることが多い。
きついのは、仕事の進め方です。
たとえば、
何が目的なのか曖昧なまま進む
誰も責任を取りたがらない
論理より空気で決まる
誤りを訂正するより面子が優先される
「前からこうだから」が理由になる
問題を指摘すると、人間関係の問題にされる
こういうことが続くと、能力のある人ほど疲れます。
なぜなら、これらの構造が見えてしまうからです。
どこが無駄か、どこが曖昧か、どこで詰まるか、どこが責任逃れなのかが、比較的早い段階で見えてしまう。
そして、見えてしまう以上、気になる。
ここが一つ目のしんどさです。
職場が求めているのは、正しさではなく「円滑さ」であることが多い
これも大きいと思います。
多くの職場で実際に高く評価されるのは、一番正しい人ではなく、一番円滑に回せる人です。
もちろん、正しさが全く不要という意味ではありません。
ただ、現実にはそれ以上に、
波風を立てない
誰の面子も潰さない
その場を収める
曖昧な指示でも察して動く
誰が悪いかをはっきりさせすぎない
といった能力の方が歓迎されることが多い。
これは善悪の話というより、組織の性質に近いです。
組織は、真理を探究する場ではなく、人間関係を壊さずに日々を回す場だからです。
でも、高知能者はそこに強い違和感を持ちやすい。
なぜなら、本人の中では、正しいなら直せばいい、矛盾しているなら修正すればいい、責任の所在は明確にした方がいい、が自然だからです。
ところが職場は、必ずしもそう動かない。
このズレが大きいほど、消耗も大きくなります。
高知能者は、矛盾や非合理を「無視する」のが苦手なことがある
「普通の職場」でうまくやれる人の中には、矛盾や非合理に気づいていない人もいますが、気づいていても流せる人もいます。
これはかなり大きい能力です。
まあ、そういうものだと割り切る
いま正しても面倒だから保留にする
全部正そうとすると回らない
相手の理解力に合わせる
いまは勝つより揉めない方が得だと判断する
こういうことが自然にできる人は、組織で強い。
一方、高知能者は、ときにこれが苦手です。
単に融通が利かないという話ではありません。
矛盾を矛盾として認識した以上、それを放置すること自体が負荷になることがあるからです。
自分の中で整合しない。飲み込んでも、胃の中に残る。その場では従っても、ずっと引っかかる。
なので、外から見ると些細なことでも、本人の中ではかなり消耗していることがあります。
説明が通じないことそのものが、強いストレスになる
高知能者にとって、もう一つ大きいのはこれです。
説明すれば分かるはずだと思ってしまいやすい。
もちろん、どこかで全員そう思っています。
ただ、高知能者は、比較的短い言葉でも構造をつかめることが多いので、つい他人にも同じ水準を期待しやすい。
でも、実際の職場ではそうはいきません。
前提が共有されていない
言葉の意味が揃っていない
相手が論理ではなく感情で反応している
理解できないのではなく、防衛している
内容ではなく言い方に反応している
こういうことが起きる。
すると、こちらは「なぜこんなに説明しても通じないのか」となるし、相手は「なぜこんなにきつく言われるのか」となる。
このすれ違いはかなりしんどい。
高知能者からすると、説明が通じないことは、単に不便なのではありません。
世界との接続がずれる感覚に近いことがあります。
自分にとって自然な理解の仕方が、そのままでは通用しない。
これは想像以上に疲れることです。
高知能者は、周囲の「防衛」を、能力不足よりもきつく感じやすい
単純な能力差そのものより、きついものがあります。それは、防衛です。
分からないなら分からないでいい。知らないなら知らないでいい。確認すればいいし、学べばいい。
そこまでは、まだ待てます。
でも実際には、
誤りを認めない
話をずらす
自分の責任を曖昧にする
まず身を守る
内容より面子を優先する
ということが起きる。
高知能者が本当にしんどいのは、能力の低さそれ自体というより、知ろうとしないこと、認めようとしないこと、正そうとしないことだったりします。なぜならそこには、単なる未熟さではなく、知的誠実さの欠如が見えるからです。
ただ遅いだけなら待てる。
でも、防衛と保身で話が壊れると、かなり深く消耗する。
ここは大きいと思います。
「できる人」ほど、余計に背負わされやすい
職場では、能力がある人ほど楽になるとは限りません。
むしろ逆で、できる人ほど余計に背負わされやすいです。
この人なら何とかするだろう
説明役を任せよう
面倒な調整もやってもらおう
先回りして動いてくれるはず
細かいところも拾ってくれるだろう
こうして、処理能力の高い人に負荷が集まる。
しかも、それはしばしば評価というより、便利さとして使われる形で起きます。
高知能者は、できることが多いぶん、どこまで引き受けるべきかの線引きを失いやすい。
その結果、仕事量だけでなく、雑な仕事の尻ぬぐいや他人の未整理の吸収まで引き受けることになる。
これでは消耗しない方がおかしい。
高知能者は、職場に「共同作業」を求めすぎることがある
ここは、少し反省的に見るべき点でもあります。
高知能者は、職場に対して、もう少しまともに話が通じるはずだ、もう少し合理的に動けるはずだ、もう少し誠実であるべきだと期待しがちです。
でも、普通の職場は、そこまで高い水準でできていないことが多い。
これは絶望的な話でもありますが、現実でもあります。
つまり、高知能者が苦しいのは、職場が悪いからだけではありません。
職場に共同思考や知的誠実さを求めすぎているからでもある。
ここはかなり重要です。
職場は、親密圏でも共同研究者でもありません。
多くの場合、利害を調整しながら最低限回す場所です。
そこに深い理解や高い倫理を求めすぎると、こちらが壊れます。
では、どうすれば少しマシになるのか
完全な解決は難しいと思います。
高知能者が「普通の職場」で感じる違和感は、ゼロにはなりません。
ただ、少しマシにすることはできます。
1. 正しさと、通し方を分ける
正しいことを言うのと、通る形で言うのは別です。
ここを分けて考えないと、内容は正しいのに、毎回人間関係で損をすることになります。
2. 全部を直そうとしない
気づいた矛盾を全部正そうとすると、持ちません。
本当に重要なものだけ拾う。流しても致命傷にならないものは流す。
これは敗北ではなく、体力の配分です。
3. 防衛している相手に、論理だけで勝とうとしない
相手が防衛モードのとき、論理は通りません。
その場で勝つより、どういう形なら相手が下りやすいかを考えた方が現実的です。
4. 職場に期待しすぎない
これは冷たい言い方ですが、かなり大事です。
職場は、人生の共同体ではありません。
収入の装置であり、生活を支える手段でもある。
その距離感を持てると、少し楽になります。
5. 知的に通じる相手を、職場の外に持つ
これも重要です。
高知能者が本当に消耗しきるのは、職場でしんどいだけでなく、どこにも通じる相手がいないときです。
だからこそ、全人格的な理解でなくてもいいので、少しでも話が通じる相手、文章、場所を、職場の外に持った方がいい。
たとえば、WAIS-IV(ウェクスラー成人知能検査第4版)を受験し、いわゆる「ギフテッド」と診断された場合は、JAPAN MENSAなどの高知能者向け団体などもあります。
最後に
高知能者は、「普通の職場」でうまくやれないから苦しいのではありません。
見えてしまうものが多いのに、その見え方をそのまま持ち込むと摩擦が大きいから苦しいのだと思います。
能力があることと、適応しやすいことは別です。
むしろ、能力があるからこそ、非合理、曖昧さ、防衛、責任回避に強く疲れることがある。
だから、職場で消耗すること自体を、自分の未熟さだけで説明しない方がいい。
一方で、職場は必ずしも、自分が期待するほど知的にも倫理的にもできていません。
そこを冷静に見て、何を直し、何を流し、どこで線を引くかを決める。
たぶん、高知能者が「普通の職場」で生き延びるには、正しさを捨てることではなく、正しさの使い方を変えることが必要なのだと思います。
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