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vol.11【捲る景色、捲られる景色】サボるくらいなら、愛してみろよ。


僕は、札束でぶん殴ったみたいな部屋が好きじゃない、とても器の小さな男だ。

ACTUS行って全部揃えました。みたいな。
それと、リーンロゼ、ルイスポールセン、イサムノグチとか。
物はいいし、僕だって喉から札束持った手が出てきそうなほど欲しかったりもするが、あまりに流行りすぎている。当然と言えばそうなのだが、こうやってタイムレスな良品が流行するのは、少々退屈だ。
情報があふれ、ベタが街とSNSを侵食していく現代にこそ、必殺「お気に入り」が必要なのではないだろうか。

家具は買えるが、景色は買えない。

その景色を作るのは、たぶん「お気に入り」だ。
それがノイズになるのか景色になるのか。
もしかしたらこれを読めば、その明暗を分ける秘密がわかるかもしれないし、わからないかもしれない。
というわけで、今日は僕のお気に入りの一つを紹介する。

出会いはネット上。
本格的にインテリアに惹かれ出した僕は、日課のようにイケてる部屋を探す癖がついていた。
その日課の中で見つけた、妙に惹かれる一枚の写真。
僕の目はただ一箇所、このフリップカレンダーが鎮座する部分に釘付けになっていた。

僕はカレンダーが好きだ。

なぜなのかは本当にわからない。
けど、律儀に毎年買ってる。
毎月ちゃんと捲って、1年をちゃんとカレンダーと共に並走している。
何がそんなに好きなのか。

それはたぶん、時間に、毎日に、手触り感がでるからかもしれない。

木製フレームの気品ある佇まい。
正面には三つの窓があり、そこから麻布に印字された曜日、日付、月がそれぞれ顔を出す。 

夏の早起きな太陽より少し前に目覚め、まだ薄暗い部屋の中にその姿を見付ける。
窓の奥の「THURSDAY」の文字に、ふと心が躍る。
金曜日を呼び寄せるように、指先で金属のノズルを回すひんやりとした感触。
カチッという回転音が、長髪を束ね露わになった早朝の耳に響く。
そして、回す速度に合わせて現れる今日が、眩しそうな顔した両目に知らせてくれる。

「始まるぞ。」

きっとスマホからは、得られない体験だ。

ちなみに、月初は毎月大体30日分の昨日を巻き戻さないといけないので、結構大変だ。
これが世に言う月末処理大変ってやつかもしれないなと感慨深くなったりもしながら、こうやってちゃんと1/12の重みがある感じも気に入ってる。

このアナログ感がたまらない。
毎月から毎日へ。
これ一つ置いただけで僕の生活はだいぶ丁寧になった感じがする。
なんてったって去年より353回も多く毎日と向き合っていけるのだ。それに、毎月一回の反省会みたいな30秒間もある。

そうすると、日々の手触り感が変わる。
いや、
なんだかこうやって丁寧に暮らしていけるアリエッティになれそうな気持ちになるのだ。
このたった一つの小さな変化が、僕を小人になって床下でハーブでも摘んで生活していけそうな気分にさせてくれる。

モノが部屋を変え、部屋が生活を変え、生活が部屋を育てる。

だけど、たまに疲れて帰って来ると、昨日と変わらない日付を見付けたりする。
それを見て、今日という一日が慌ただしく始まったことを思い出す。
「残り数時間だけど、ちゃんと回そう。」
ノズルを一つ回すだけで、昨日が引っ込んで今日が現れる。
これだけでリセットできた気になれたりすることもある。
そして明日の朝、また新しい気持ちで一日を捲れる。
この手で。

例えば、世に溢れるモデルルーム、僕もよく眺める雑誌の一コマや、インスタの写真。
確かに美しいし、インスピレーションだって貰える。
けれど、そこで営まれる暮らしをリアルに想像するには、あまりに温度が足りない。
温もりを欠くのはきっと、時間を止めた静止画の美だからなのかもしれない。

僕がやってる部屋作りは、少し違う。

僕が今作ってる部屋は、綺麗事だけじゃなくて、地続きで、常に変化し続けている有為転変な空間だ。
同じ瞬間は二度と来ない。

カレンダーが、毎日違う顔を見せるのと同じように。
陽の光が、昨日よりも少し傾いてたり、明るかったり、暖かかったり、顔を見せてくれなかったり。
開け放った窓から吹き込む風が、今日の夏の匂いを連れてくるように。
リモコンが見当たらないと嘆くのだって、部屋の変化についていけてない証拠で、部屋が変わってる証明であるとも言えるし。
アボカドがちょうどいいからドロドロに変わる瞬間も、そこには絶対存在する。

そうやって部屋は、生活とか季節とかその空気感とかと共にグラデーションのように変わっていく。
その事実が僕に「生活をサボるな、愛せ。」と知らせに来る。

この「生活を愛する」という向き合い方一つで、昨日には気付けなかった影を見付けられる。夏の匂いを連れてきた風と、揺れるカーテンの音だけで過ごしてみたり。たまに隣人の献立が分かってしまう日もある。
待てど暮らせど、お裾分けを知らせるチャイムは鳴らないが。

すると、昨日と同じはずの部屋が違って見えだす。
それは、そこにまだ見えていない、奥ゆかしくて愛すべき美しさが隠れていると、知れることなのかもしれない。

僕は、
その積み重ねが人生を彩ると信じてる。
今を生きてる手触りになると信じてる。

だからこそ、ただ飾るんじゃない。
変化していく毎日を、どう愛して、どう整えるかに向き合い続ける。
結局、生活をサボらないこと。
それがすべてなのかもしれない。

僕は、そうやって一瞬の映えを消費するより、変わり続ける日常そのものを丁寧に面白がりたい。
昨日と今日の陽の入り方が違うことに一喜一憂していたい。
そして、カレンダーを捲った先に待つ今日が、どんなに荒れ果てていようと、僕はその今日を愛す。
心の江里子と共に。



「捲らなければアボカドの消費期限も伸ばせるかな。」
「きっと、それは伸ばせないよ。」




最後まで読んでくれてありがとう。
僕もスキです。

また会おうね。

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