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イージーと世界のバグ

文:井上雑兵
絵:スーパーログ

 ぼくとイージーが暮らす安アパートの近所には小さな児童公園があって、休日は親子連れの憩いの場となっているんだけれど、平日の真っ昼間はほぼ無人。
 公園に面した道路脇で、イージーは彼の愛車である年式不明のマニュアル原付にまたがり、半ヘルのあご紐を締めながらぼくに言う。

「いいか、俺が狂人だと思われないよう、これから試みることを伝えておく」

 神妙な面持ちでぼくは頷く。

「スマホに繋いだ車載スピーカーから『DANZEN!ふたりはプリキュア』を最大音量で流しながら、公園内のシーソーに時速60キロで突入して地上2メートル地点までジャンプする」

 完全に狂人の所業だったけれど、それが「条件」なのだろう。ぼくは深く追求することをやめる。原付の車載スピーカーってなんだよとか、なぜプリキュアなのかとか、そういうことを気にしてはいけない。

「それで、今回はどこに行ってくるの?」
「それはわからない。予想では北のほう……遠くても北海道あたりだろう」
「わかった。とりあえず困ったら電話して」
「ああ」

 イージーが原付のアクセルをひねると、絶対に50CC程度のエンジンには出せない凶暴な排気音が響き渡る。同時にノリノリなプリキュアの主題歌と、それと競い合うかのような甲高いスキール音。華奢なイージーを乗せた違法改造原付が途方もない加速で無人の児童公園に侵入する。
 イージーの身体が傾き、手前側に傾いたシーソーに突っ込むコースに入る。ひときわエンジン音が大きくなり、原付の前輪が少し浮く。角度をつけた原付の前輪と後輪が、まるで噛みつくようにシーソーに接触する。
 板状の遊具をジャンプ台にして、イージーの原付は高く宙を舞い、そして消える。ようやくイントロが終わりかけたプリキュアソングと排気音が混ざりあった混沌きわまりない騒音も、いっさい余韻を残すことなく途切れる。

 イージーが消えた空間のあたりには、へたくそな水彩画を何枚も重ねたような虫食いじみた奇妙な「ほころび」が見えているけれど、それはすごい勢いで薄れていき、まるで何事もなかったように修復、あるいは取り繕われる。
 世界のほころび。
 あとで知ったのだけれど、このときイージーは北海道どころかオーストラリアに飛ばされており、ぼくと再会するのは二週間もあとのことになる。

「死ぬかと思ったが、あのエアーズロックとかいう場所はまた見にいきたい」

 浮浪者のような姿で帰還したイージーは、訥々とそんなことをうそぶく。

 イージーと出会ったのは、大学を卒業してすぐのことだ。
 一年で最も心地よい気候がつづく門出の季節。うららかな日々。
 そんな中で就職もせず実家にも帰れず、やりたいこともないぼくは、ただその日暮らしのコンビニバイトに明け暮れている。
 とうに過ぎ去ったはずの冬を思い出したかのように肌寒い深夜のシフトだった。いつものようにワンオペであくびを噛み殺しながら品出しをしていると、店の奥側から異音が聞こえる。
 やや緊張しながら裏口を開けて顔を出してみると、すぐ横にある業務用ダストボックスに頭から突き刺さった状態の男がいる。
 それがイージーとぼくとの出会いだ。
 薄汚れたライダースを着たその男は、不機嫌というか深刻というか、なにかとてつもない難問に挑む偏屈な学者めいた不機嫌さを身にまとっている。ダストボックスから這い出て、すぐそばに横倒しになっていた小型のバイクを引き起こし、ぼくに一瞥をくれることもなく去っていく。
 それからというもの、ぼくが夜間シフトに入っているときに限って裏口でイージーが「刺さって」いる。

 二回目に会ったとき、ぼくとイージーは初めて言葉を交わす。

「きみはそこでなにをしてるの?」
「……あんたには関係ない」
「いや、この前もそうだったけど、めちゃくちゃになったゴミ置き場を片付けるのはぼくなんだけど」

 イージーは無言のまま少しだけバツの悪そうな表情を浮かべ、派手に散らばった周囲のゴミを自分の身体と入れ替えるようにボックスに詰めていく。
 その仏頂面の横に並び、ぼくも黙々と片付けを行う。
 彼が自らをイージーと名乗ったのは三回目か、それとも四回目に会ったときだったかな。

「えっ……もしかしてバイクに乗ってるから? イージー・ライダーってこと?」
「いや、単に名字が伊地知いじちだからだな」

 たしかに彼の原付バイクはハーレーとは程遠いし、ピーター・フォンダほどワイルドなもみあげもない。
 そうしてバイト先の路地裏で会うたびに、ぼくたちは下手くそなキャッチボールみたいな話をするようになり、夏の頃にはなぜかいっしょに暮らすようになる。
 思い返してみても、どういう流れでイージーと共同生活を営むことになったのか、いまいち判然としない。
 意気投合というほどにぼくたちの関係は陽キャじみてはいないし、割れ鍋に綴じ蓋とか言うのもちょっとばかり気持ち悪い。
……けれど、ぼくたちにはなにかしらが欠けているのはたしかだ。
 少なくともぼくは、自分に欠けているものをイージーに見出している。
 彼がどう思っているのかは、わからない。
 今もわからないままだ。
 もしかすると、永遠に。

 ぼくらが暮らしている日本、いや世界のそこかしこには「見えないどこでもドア」がいくつも点在している。
 ふだん、そのドアは固く閉じられていて、普通の人々は存在すら知らない。しかし、ある条件が揃うと出現し、どこか別の場所につながるのだという。

「世界のバグと、俺は呼んでる」

 イージーはそう語る。
 それはいつの日のことだっただろう。
 たぶん、二人で住むには微妙な広さの1DKの片隅に置かれた中華製液晶テレビでネットフリックスを流していたときのことだと思う。
 お互いに貧乏フリーターのくせに、ぼくたちは月額料金を折半して動画配信サービスに入っており、もとを取ろうと必死に大量の映画やらアニメを毎晩流している。

「バグ? あの瞬間移動が?」

 突拍子もない話だけれど、イージーが乗っていた原付ごと消えるのを何度か目撃していたし、なぜかバ先のコンビニの裏路地にとつぜん出現してダストボックスに突っ込む姿も目の当たりにしていたから、その現象に驚いたり疑ったりするような段階はとうの昔に過ぎている。

「そうだ。特定の条件下によって発現するプログラムのエラーだ。つくったやつが意図したものじゃない」
「つくったやつ、って……神様とかそういう話?」
「そんな御大層な話じゃない。世界がこんなザマだから、俺がバイトをクビになるのも仕方がないって話だ」
「はあ? またクビになったの?」

 イージーは人付き合いがとにかく下手で、アパート近隣や勤め先でしょっちゅうトラブルを起こす。ぶしつけ、ぶっきらぼう、無愛想の3Bが揃っているし、決められたルールを守ったり、予定通りにものごとをこなすということが苦手なのだ。

「おまえはすごいな」

 そうイージーは真顔で言う。
 変哲もない高校と大学を卒業して、ただコンビニのバイトを無難にこなすだけのぼくに対して、嫌味や揶揄ではなく本当に称賛の意をこめて、そう言うのだ。

「……べつにすごくなんてないよ。イージーだって、そのバグ探しってのをやめて、普通に暮らせばいいんだよ。スーツ買って就職活動でもしてさ」

 そうしてほしいなんて一ミリも思っていないくせに、ぼくはそんなことを言う。

「それは、そうだな」

 イージーは不機嫌そうな顔で考え込む。

 空間に隠されたほころび。
 イージーに言わせれば「世界のバグ」。
 けっこうな大発見というか、世間に知られたらちょっとした事件になるだろうし、なんならお金儲けのネタになる気もするけど、イージーにそういう気は毛頭ない。
 ひたすら「バグ」を見つけて、それがどこへ通じているのかたしかめる。ただそれだけ。
 イージーには、なぜか「バグ」の発生条件がわかる。
 プリキュアの歌を流したり、マラカスをフェンダーにくくりつけたり、大量の空き缶を引きずったりしながら原付で一定の速度を出す。
 よくわからないけど、とにかくなんらかの奇行を伴いながら原付を猛スピードでぶっ飛ばすと「バグ」が起きて、どこかに瞬間移動する。
 どこに移動するのかは完全に予測不能。イージーいわく、なぜか空中や海の上とかに放り出されることはないらしいけど……。

「ぜったい危ないよね。運が悪ければ死んでもおかしくない」
「まあ、そうだな」

 仏頂面でイージーはうなずく。
 例によってイージーが「バグ」によってどこかへ消えて、数日後の深夜にアパートに帰ってきたときのことだ。
 発色の悪い液晶テレビには、アメリカのどこかが舞台の古いロードムービーが流れている。
 ぼくは問うてみる。

「どうしてそんなことをやってるの?」
「わからん」

 蒸し暑い六畳間の中央に寝っ転がりながらイージーは答える。

「わかんないのかよ」

 ぼくはため息をつく。

「わからんが……たぶんこれは、俺にしかできないからな」

 珍しくイージーが彼なりにがんばって言葉を紡ごうとして、ぼくは黙ってそれに耳を傾ける。

「俺にしかできないことが目の前にあったから、俺がやるべきだと思ったんだ」

 気負うふうもなく、イージーは電話帳の番号を読み上げるように淡々と言う。

「わかる気がする」

 ぼくもイージーと同じように、畳の上に大の字になってみる。

「きっとぼくも、ぼくにしかできないことがあったら……それをやると思う」

 おそらくそのときだ。
 ぼくがイージーに対してはっきりと羨望の念を抱いたのは。

 その日の朝、イージーはアパートの軒先で原付をいじっている。

「こいつは『連射名人高橋くん』という」
「え……高橋くん……?」

 イージーは鉛筆ほどの長さの棒状の器具を持っている。えんじ色のプラスチックでできたそれは、先端に黒いゴムの突起がついている。

「その昔……ファミコンのコントローラーに取り付けて驚異的な連射を実現するために開発されたハードウェアだ」

 イージーが器具のスイッチを入れると、やかましいモーター音が鳴って先端部分が激しく振動しはじめる。
 うん……なんていうか……超小型の電動マッサージ器……みたいな……?
 なんとも言えない感想を抱いているぼくに向かってイージーは説明をつづける。

「この高橋くんを稼働させながらガソリンタンクの裏側に貼り付けて走るのが、バグの条件だ」

 毎度毎度「世界のバグ」とやらの発生条件がけったいすぎる。だからこそ、ずっと世間に気づかれずにいるのだろうけど。

「よくそんな珍妙なことを考えつくね」
「べつに俺が考えてるわけじゃない。ただ、なんとなくわかるんだ」
「なんとなくね……はは」

 ぼくは笑う。笑うしかない。

「おまえはすごいな」

 表情を変えずにイージーが言う。

「なにがだよ」
「たいていの人間は、俺が話をすると怒り出すからな」
「怒りはしないけど、呆れはしてるよ」
「ふ」

 そのとき、ぼくは初めてイージーがその顔に笑みを浮かべるのを目にする。

「じゃあ、ちょっと行ってくる」

 そんな会話をしている間も、タンクの中に仕込まれた「高橋くん」が一秒間に十六回以上の速度で激しく振動しており、かんかんかんかんとアホほどやかましい。

「次の家賃の支払いまでには帰ってきてよ」

 イージーは軽く片手をあげながら、近所迷惑な音をたてる原付を駆ってアパートの前から去っていく。
 そして彼は二度と戻らなかった。

 その日のお昼のバラエティ番組に差し挟まれた緊急速報。
 ライブ映像が流れている。
 どこかの高速道路を上空から映している。
 信じられません、という語句を連呼するナレーター。

 そこには大きな「ほころび」が広がっている。

 おそらくはイージーが発生させた世界のバグ。周囲の光を複雑に屈折させながら、まるで道路のど真ん中に生じた巨大な万華鏡のようにゆらめいている。
 ふと、それはどんどんと小さく収縮していく。
 だれかが急いで取り繕っているかのように、ぼやけ、薄れて、なにごともなかったかのように消え去ってしまう。

 そこには見覚えのある原付バイクだけが残されている。主を失って横倒しになり、ゆっくりと前輪が回転しているのがテレビのぼやけた液晶越しに見える。
 イージーのやつ、原付で高速道路に乗り入れたのか。
 この世界からイージーが消えたことを告げるニュース。その映像を眺めながら、ぼくはそんなことをぼんやりと思う。

 残されたイージーの原付は、どういう経緯をたどってか、ぼくの元に戻ってくる。
 戻るという表現はおかしいけど、主を失って抜け殻のようになったその旧世代のマニュアル式原動機付自転車は、今はぼくの前に停められている。
 ハンドル角度の加減のせいか、なんだかうなだれているように見える。
 それはぼくも同じだ。
 なんというか、けっこうがっくりきている。

 イージーは家賃の支払日に帰って来なかったけれど、家賃の支払先であるところの大家さんが部屋にやって来て、ぼくはこっぴどく叱られる。行方不明になったイージーの件で、警察から大家さんに連絡があったのだという。
 アパートの部屋はぼくの名義で借りていたのだけれど、イージーと二人で住むのは賃貸の規約違反だったらしい。長々と文句を言われたすえにアパートを追い出されることになり、ぼくはあっさりと帰るべき家を失う。

 もともと荷物は多くない。
 何冊かの本とささやかな家具を処分したら、例の安っぽい中華製液晶テレビだけが残る。
 ネットフリックスのサブスク期間は残っているけれど、電源がつながっていなければなんの意味もない。
 どうしてだろう。
 意味がないからといって、ぼくはそれを手放すことができない。
 不合理きわまりない。
 そう考えながら、ぼくはうなだれている原付のリアキャリアに液晶テレビをくくりつける。
 寝具や服がつまったザックを背負い、ぼくはしばし原付をしげしげと見つめる。
 イージーの原付は小さな傷を除けばとくに故障もしていない。キーは刺さったままで戻ってきている。
 近所のドンキで買ったチープな半ヘルをかぶり、慣れないDカン式のあご紐を締める。
 それからぼくは、おそるおそる、生まれて初めてバイクというものにまたがってみる。
 大学にいる間になけなしのバイト代をつぎ込んで普通免許は取得していたけれど、教習所を卒業してから今の今まで自動車はおろか原付なんか運転したこともない。

 動画で調べた手順に従い、差したキーを捻ってエンジンを始動。
 小型の車体からは想像もつかない野太い轟音が、ぼくの尻の下から響いてくる。
 それは「どっ、どっ」と鼓動のように脈打ち、ぼくの身体を強制的に揺さぶり、震わせる。
 左手のクラッチレバーを握り、左足のペダルを蹴ってギアを一速に入れる。
 がちり、と力強くギアが噛み合う感触。
 まるでぼくがバイクを通じて大地とつながったような。世界に接続されたような。

 いつしかうなだれるのをやめて、低く咆哮しつづける原付のフレームに手を乗せる。

「おまえ、持ち主のところに帰りたいよな」

 語りかける。あるいは自分に言い聞かせる。

「きっと、そのためにぼくのところにきたんだよな」

 イージーはもうこの世にいないかもしれない。
 仮に死んでいなくても、別の宇宙とか異世界に飛ばされるぐらいの目には遭っているかもしれない。
 それでもいい。
 イージーを探して、愛車であるこの原付を届けて、その代わりにぼくが立て替えた家賃とサブスク代を取り立てる。
 しょうもないことだけれど、それはきっとぼくにしかできないことだから。

 ぎこちなくクラッチをつなげ、大きな道へと走り出す。
 ある夏の終わりに訪れた、ぼくのささやかな門出。
 ちっぽけな旅立ち。
 行くあてなんてないけれど、とりあえずはエアーズロックにでも行ってみようか。
 イージーが見た景色を、ぼくもこの目でたしかめたい。

 荘厳なファンファーレもなければ、気の利いたBGMも流れない。
 だからせめて、下手くそな口笛を吹いてみる。
 向かい風に吹き散らされてしまうけれど、ぼくにだけ聞こえていればそれでいい。


初出:HeNoVe 21
イラスト:スーパーログ


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