第17回:【現場の視点】医師の「働き方改革」という制度の隘路 〜緩和ケア医の労災判決から考える、形骸化した宿日直の実態〜
先日、医療界に大きな衝撃を与えるニュースがありました。 過酷な宿直勤務の末に倒れた緩和ケア医の労災認定を巡り、東京地裁が国の不支給決定を覆し、宿直時間を「労働時間」として全面的に認める判決を下したのです。
🔗 医師の宿直は労働? 認めなかった国敗訴、「働かせ放題」に警鐘
(https://news.yahoo.co.jp/articles/c644477bab112009579414178b8b0e52223c2546))
月100時間を超える時間外労働の末にくも膜下出血で倒れ、寝たきりとなってしまった医師。この悲劇の背景には、2024年4月から本格始動した「医師の働き方改革」という制度と、現場の絶望的な乖離があります。
行政が示した「宿日直許可」という名の回避路
今回の判決で最大の焦点となったのは、病院での「宿直時間」の扱いでした。
本来、医師の働き方改革は「医師の健康確保」と「持続可能な地域医療の提供」を両立させることを目的としています。しかし、24時間365日の対応が求められる医療現場において、現行の勤務体制のまま労働時間の基準を厳守することは物理的に不可能です。
そこで行政側が提示した「道筋」が、労働基準監督署による「宿日直許可」の活用でした。 これは、業務が断続的でほとんど労働を必要としない場合に限り、その時間を労働時間としてカウントしないことを認める仕組みです。医療機関側が主体的にこの形を選んだというよりは、制度の型に収めるための唯一の法的手段として、行政側が定義したこの枠組みに従わざるを得なかったのが実情でしょう。
しかし、今回の判決が示した通り、実態は**「これまでと同様に呼ばれることが前提の業務」**であるにもかかわらず、事務的には「ほぼ業務がなく、眠ることができるため体力的、精神的な負担の少ない宿日直(オンコール)」として処理されてしまいます。この形骸化した運用を維持するために、施設ごとに膨大な届出を行い、勤務先を細かく分けて時間を分散させるなど、本質的ではない「手続き」ばかりに現場の労力が割かれています。
緩和医療の現場に突きつけられた現実
私自身、長年大学病院の外科系の現場に身を置き、肉体的な負担の大きさを肌で感じてきました。そのため、こうした過酷な労働実態は、急患や緊急手術が常態化している一部の科に特有の問題だと思い込んでいた部分があります。
しかし、今回のニュースで衝撃を受けたのは、(私個人の勝手な印象ではありましたが)比較的穏やかな時間が流れていると思われがちな「緩和医療」の現場でも、全く同じ構造の過酷な勤務実態が存在していたことです。
深夜の急変、看取りの対応、ご家族への説明。これらは決して「断続的な業務」などではなく、極めて高い緊張感を伴う連続した労働です。今回の判決は、医療のどの分野においても、現在の「働き方改革」の枠組みを無理やり当てはめることの限界が露呈した結果だと言えます。
誰のための、何のための改革なのか
医師の働き方改革の本来の理念は、長時間労働を是正することで、医師の心身の健康を守り、ひいては安全な医療を国民に提供することにあります。
しかし現実はどうでしょうか。 ルールを守ろうと当直回数を減らせば、地域の救急体制や、記事のような看取りを含む緩和医療、そして産科医療などを支えてきた病院の運営は立ち行かなくなります。
また、多くの医師にとって当直アルバイトの給与は生活を支える重要な柱です。私自身も二人の息子を大学へ通わせ、教育ローンなどを抱える身として、その収入減がどれほどの死活問題となるか、現場の切実さは痛いほどよく分かります。さらに若手医師にとっては、当直明けの帰宅が義務化されることで、症例を経験し研鑽を積む時間が物理的に削られ、技術の習得が遅れるという深刻な懸念も生じています。
現場が抱える「究極のジレンマ」
そもそも、**「24時間の医療体制を維持する」という前提が変わっていない以上、労働時間そのものを減らすことはできません。**また、多くの大学病院の医師が、自分の勤務先での当直以外にアルバイト先で当直をすることで生活を維持している、というシステムも急に変えることはできません。
その上で、もし本当に「働き方改革の基準を満たしながら、医師の生活の質も下げない」ことを目指すのであればどうなるか。
答えは一つしかありません。医師の生活を維持するための大学の基本給と、決められた当直枠を無理なく埋めるための医師の数を、大幅に増やすことです。しかし当然ながら、これらは現実には不可能です。
制度上の「数字」を整えるために、現場にさらなる手間と矛盾を強いている今の状況は、一体誰のためになっているのでしょうか。
今回の判決は、現状の形骸化したシステムに一石を投じる大きな意味を持ちます。医療という特殊な業態に、一般企業と同じ論理を無理やり当てはめる今のやり方は、もはや限界に来ています。現場の医師が心身ともに健やかに、かつ誇りを持って技術を磨き続けられるような、実態に即した抜本的な制度の再設計が今こそ必要だと強く感じています。
