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Vol.1 九州の田舎から東京へ出てきたポンコツは、35才の金無し、職無し、家族あり。。。そして会社を立ち上げた話し。



来年無事に15期目を迎える事が出来そうです。
株式会社リバティープロ代表の福森です。

化粧品の販促物を作る会社と、WEBの広告運用、スポーツジムを経営してます。

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ポンコツ店長、女子高生と付き合うってヤバくね??

生まれは九州の宮崎で、20才からドラッグストアーで10年店長してました。(宮崎で初めてのドラッグストア)
きっかけは二十歳の成人式後の同窓会で友達から誘われて軽い身持ちでそのまま入社。今ではどこにでもあるドラッグストア。

当時は全てが初めてのチャレンジだから、陳列方法からチラシ作り、ポップの書き方、セールストーク全てがトライアンドエラーの連続。
高速でPDCAを回す毎日。周りに参考になるお店も情報も何もない!だって宮崎県で初めてのお店だから仕方ない。

その時に出会ったのが、17才のアルバイト女子高生(ひがちゃん)。後のリバティープロの天才CFOである。
この人に会わなければ今の会社は存在してない。

そして今現在は影のボス。あの頃からずっと助けてくれてる(汗)

ひがちゃんとは結局4年付き合って、自分が28才の時結婚した。
当時アルバイトだった高校生だったバイトちゃんは結婚するときお年頃の21才になってた。
成績優秀だったひがちゃんは、高校卒業したら地元で昔から続く会計事務所に就職してバリバリに会計を学んでいた。
付き合う時は何度か断られたが※4年お付き合いして、そのまま結婚した。というか出来たって感じ。
※付き合う前、告白したら「怖い」という理由で2回は振られたかな?(俺が娘の父親なら間違いなく通報してる)

新婚旅行はバリ島、何故かサーフィンの先輩と3人で行った。ハネムーンなのに一泊1000円の宿だった。

月給15万で結婚

彼女の両親は離婚、母親ひとりと3人兄弟の長女。別れたお義父さんの借金もあってかなり苦しい生活だった。そこに月給15万の男が結婚したいと言ってきたもんだから、お義母さんと下記のようなやり取りがあったのを覚えている。

お義母さん
「いくらぐらい貯金しちょると?300万は無いとうちの子とは結婚させんよ」

「借金200万です」

お義母さん「・・・」

ネットバブル全盛期


楽天、ソフトバンク、ヤフー(現在のZホールディングス)、ライブドア(旧オン・ザ・エッジ)や光通信といった新興企業がメディアや投資家から注目された。
2001年、私が働いていたドラッグストアーが業務転換したのもその頃。
裏の事務所でパソコン相手にポチポチやってたその時の専務が実は同級生で今でも親友のY。(彼が同窓会で誘ってくれたお友達)
楽天に出店して、店で売れているダイエットのお茶やサプリメントなどお困り商材をLP(ランディングページ)を作ってコツコツ販売していた。
当時ランディングページは画期的だったらしい。おそらく日本でも最初の方にこの手法を取り入れたので、楽天の200万点の中で常に商品は1位を獲得していた。(その当時は他社でLPを見た事なかったから1番に近いと思う)

そしてドラッグストアー4店舗分の売り上げが、Yがポチポチやってるパソコンとやらに追い越されたのもあっという間だった。

昨日までドラッグストアーだった私たちの会社は、ある日インターネット通販の会社になった。

当時インターネットが普及し始めたばかりで、あの楽天が立ち上がった頃。ダイヤル回線で、画面が見えるのに何分もかかった時代。今では到底考えられない。

インターネットで購入した物が(本当に)家にちゃんと届くのか、半信半疑だった頃(笑)

そこで任されたのは化粧品部門の、リアル店舗直販部門。
当時通販で売れている物は店頭であまり見かけない時代だった。
ネット販売の勢いは物凄くて、ほんの数ヶ月で5万本10万本は当たり前のように売れていた。
(当時の楽天の売り上げの5〜10%がうちの商品だったみたい。)

15人ほどのドラッグストア正社員が2年でインターネット販売の会社となって150人になる勢い。
そんな中自分に与えられたミッションは、自社でバズった楽天ランキング1位の商品を
アル店舗、マツキヨやロフトで商品を販売するべく、「ネットで爆売れ中の商品です!」と色んな化粧品卸の会社に営業に行く事だった。

当時の感覚だと、宮崎の田舎から「東京」は「ニューヨーク」の感覚。

飛行機に乗って、福岡も、大阪も、名古屋も飛び越えて行くなんて想像しただけで緊張して吐き気がした。

ネットでの販売実績を引っさげて、九州の田舎から東京の市ヶ谷にある(現在麹町)井田両国堂という日本最古の化粧品卸の会社に商談に行くことから化粧品メーカー営業の5年間が始まった。(この頃から時給550円から年俸になった)

この5年で卸とメーカー業の特殊な関係性や、販売のテクニック、販促の抑えどころを学んだ。
東京営業所も立ち上げて、表参道の事務所には10人ほど常駐して営業活動した。

当時30才だった自分が学んだこと。


『金の管理はカミさんに任せろ』だ。

色々あって本体を切り盛りしているYから連絡が、、、。どうやら社内でゴタゴタしてるから戻って来い。
随分前からアイツはヤバいとアラートを出していた数名が、しっかり主犯格となってゴタゴタを引き起こしていた。

九州の本社に帰ると荒んだ社内の雰囲気に、すっかり萎えてしまい1秒もここで時間を使いたくないと思い、カミさんに東京に行きたいと言った。 

しかし金が無い。

今までもらった給料は生活費以外を全て使い切り、何なら税金を払うために借金しないといけないような状況だった。(当時年俸1000万)

カミさんは一言、「東京のキャバクラで入店体験3万見つけたから大丈夫。行こう!」

と言ってくれた。当時こどもは5才と3才。
この時のクレイジーなカミさんの後押しが無ければ東京には出て来れなかったと今でも思う。

Yの計らいで退職金が100万出た。
辞める前に2人でサシ飲みした時

私 「俺会社もう辞めたい。東京行きたい。」
Y 「オッケー!もう心に決めてるんやろ。止めても行くんよね。俺も応援するわ。明日すぐ段取りしよう!」

いやいや、何ヶ月は引き止めるだろ!
友達だろ!展開はえーよ!と心の中で叫んでしまった。

しかし数日のうちに段取りが終わって、

金無し、職無し、家族ありのコンプリート

金無し、職無し、家族ありのコンプリートした状態で唯一の財産であるファミリーカーワゴンに家族4人と荷物をパンパンに詰め込んで夜逃げのようにフェリーに乗って、東京に出てきた。

何とかコネで入れてもらった神楽坂の販促を得意とする印刷会社。外資のスポーツブランドを一手に引き受ける優秀なセールスプロモーションの印刷会社。

自宅から片道90分の通勤時間。35才のおっさんにバイトがあるだけでも感謝だった。交通費も通信費も全てバイト代には含まれてないから、手持ちの現金無くてコインパーキングから出られなくなる事も何度かあった。

コネで入っただけあって、そこの社長はぶっちゃけ俺のことは大嫌い。
そこの社員も右に習え。

仕事のやり方は現場の職人に聞くしかなかった。
隣の営業さんたちは(皆んな年下)
社長の教育もしっかりしてたので、良い距離感(フルシカト)で接してくれた。だから必然的にそうなった。

そんな会社の特徴は、嘘みたいにトイレが汚い。

自分がやれる事。仕事がなかった事もあったけど
朝早く行ってトイレ掃除して、やれる雑用を一つづつやる事。
前職で繋がった取引先に連絡して何か販促で制作物が無いか聞くこと。
そして職人さんたちと仲良くする事。である。

2年目のある日、前職で付き合いのあったお友達の印刷会社のJ社長が
「超炎上案件なんだけど福ちゃんやってみる?」と6,000万の案件を持ってきた。
すでに何個かトラブルを抱えていて600万ほど赤字になってる案件だった。

捨てるものは何もない!
自分に技術も自信も何もないけど、何とかなる!

そこから起業への第一歩が始まった。
(その時は事務所のトイレはピカピカ!もちろん雰囲気も良くなってた!)

35才で独立を決意して、起業するまであと少し!次につづく。。。

もしこの記事で「売れる売場づくり」に少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ一度、私たちの取り組みをご覧ください。
現場で“手に取られる理由”を設計する、化粧品什器のリアルを公開しています。

株式会社リバティープロ 公式サイト
https://www.liberty-pro.co.jp/

■著者紹介

福森 シンジ|株式会社リバティープロ 代表
ドラッグストア店長として現場の最前線を経験後、化粧品メーカー営業責任者を経て独立。現在は化粧品什器の企画・デザイン・製造を軸に、「売れる売場づくり」「売れる化粧品什器」を支援。流通・販促・現場オペレーションまで一気通貫で設計できることを強みとし、リアル店舗での“最後のひと押し”を科学している。


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