「できる人」をやめたら、起きたこと。
「できる人だね」と言われることが、昔はうれしかった。
子どものころから、家族に言われてきた。
頼りになる。しっかりしてるね。
大人になって社会に出てからも、言葉は変わった。
気が利くね。お願いしやすいね。
そんな言葉をもらうたびに、誰かの期待に応えようと、もっとがんばった。
気づけば、人が望む役割を引き受けることが、当たり前になっていた。
でも、その役割を続けるほどに、どこか疲れていく自分もいた。
断れない。空気を読んでしまう。
自分より先に、相手のことを考える。
優しさだと思っていたものの中に、
「期待を裏切りたくない」という気持ちも混ざっていたのかもしれない。
気づけば、じぶんが何を感じているのか、わからなくなっていた。
疲れたじぶんを見逃せなくなったとき、
他人の目より、じぶんのこころの目を信じてみようと思った。
少しずつ、「できる人」でいることを降りてみた。
返事をする前に、ワンクッション置いて、じぶんと対話する。
「無理してない?」
「本当はどうしたい?」
長年背負ってきた役割を手放すのは、そうそう簡単じゃない。
まるで、だれからも必要とされなくなるような不安。
居場所がなくなるような恐れ。
時間をかけて、少しずつ役割を手放していった。
恐れていたことは、起きなかった。
むしろ、人と心地よい距離感で対話できるようになった。
そして気づいたら、こころの中が静かになった。
湖の表面は揺れていても、深部はは静かなように。
人に合わせて動く時間が減ると、自分の気持ちが少しずつ聞こえてくる。
「できる人」でいることは悪いことじゃない。
それはじぶんの一部であり、すばらしいことだから。
でも、その役割がわたしを疲れさせていることに気づいたら、
一度降りてみてもいい。
じぶんらしくいられる日は、役割に気づいたところから始まる。
