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私が「命は全て等価」と考える、多分ちょっと変わった理由

子どもの頃、田舎に帰ると望遠鏡で星・月とか星雲、、、見てました。中学生になると月刊天文ガイドを読んだり、大学時代は文系なのに背伸びしてブルーバックスも。その後就職・結婚・子育てと忙しいあいだも天文への関心はきっとどこかにあったのでしょうね、1999年、ハワイのすばる望遠鏡がファーストライトを迎えた時のNHK特集もしっかり見ました。
そしてその時は夢にも思わなかったことに、その後の25年間を天文学を支える仕事に従事して過ごすことになりました。

たまに「浮き世離れしてる」と言われることがありますが、それは私のなかに個人的にも仕事上も天文レベルのスケールがあることで、何事も極端に広く、遠くから見るのが習慣になっているからだと思います。

そんな私は「命」をこう考えます。

私たちは星の誕生や死で生まれた様々な原子でできている。
原子≒物質は宇宙のなかにほんのちょっとしかなくて、さらにそのうちの微か〜な一部がこの星にあって、微かななりにいろいろなものを形作っている。たとえば今私がフライドチキンを食べたとしよう。そのチキンは多分先週あたりは養鶏場でとうもろこしを食べていたことだろう。するととうもろこしはチキンになった。同じように私が食べたチキンはもはやチキンではなく私だ。

40億年前に生命が誕生して以来、それは常に流転していてその時その時の仮の姿に過ぎないというふうに思うのです。そこにあるのはただ物理の、奇跡とも言える法則だけで、全ての命がその法則に従っている限りそこに上下などあろうはずもない。

この考え方は日常生活においては、動物も植物も私の仲間だと思うことや、その命をいただくことへの感謝、仲間がみな束の間の生を穏やかに全うできるようにと願う気持ちに表れています。

そしてまたそれは、娘たちと共有している私の終活Google doc.に

「散骨してください。
そうすれば巡り巡ってまたあなた達の近くにいることもあるでしょう。」

と書いている所以でもあります。

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