妻はぼくのせいだと言う。 ―ぬいぐるみ増殖事件の真相―
妻はぼくのせいだと言う。
「私はもともとかわいいものなんか好きじゃなかった」って。
「あなたが可愛いものが好きだから、私も好きになっただけだ」って。
その主張が正当なものだと、ぼくはあまり考えていない。いや、それが正しいかどうかはどうでもいい。
問題は、家中にぬいぐるみやキャラクターグッズが増殖してしまい、置き場を失いつつあることだ。ぼくらはそのことに対する責任の押し付け合いをしている。

増殖の前夜
最初はアンパンマンのぬいぐるみがきっかけだった。
正確に言うと、誰が最初に買ったのかはもう覚えていない。
たぶんぼくではないのだけれど、もしかしたらぼくだったかもしれないし、妻だったかもしれない。じいじばあばだった可能性もある。
とにかく、ある日気がついたら、小さなアンパンマンのぬいぐるみが家にあった。
娘はアンパンマンが好きだった。
それはそうだ。
一歳や二歳の子どもにとって、アンパンマンは空気みたいな存在である。
テレビをつければアンパンマン。
おもちゃ屋に行けばアンパンマン。
スーパーのお菓子売り場にもアンパンマン。
どこにでもあって、逃げ場がない。
我が家も例外ではなかった。
娘のために録画したアンパンマンを流していたら、なぜかぼくが毎日観るようになった。
平日は一日一時間くらい。
今思うと、なかなか異常な視聴習慣だったと思う。
その結果、ぼくはアンパンマンに妙に詳しくなった。
ばいきんまんが努力家であることも。
どのキャラクターが出てきたら、どういう展開になるかということも。
意外とストーリー展開のパターンが多いことも。
ばいきんまんの真の天敵はアンパンマンではなく、おくらちゃんやプリンちゃんのような穏健派のキャラクターであることも。
ロールパンナの設定が重すぎることも。
だいたい理解してしまった。
問題はそこではない。
ぬいぐるみである。
最初はアンパンマンだけだった。
それがいつの間にかドキンちゃんが増えた。
コキンちゃんが増えた。
ばいきんまんが増えた。
しょくぱんまんも増えた。
めいけんチーズもいた。
レアチーズちゃんもいた。
もう途中から把握できていない。
増殖、という表現が一番正しいと思う。

その中でぼくが買ったと記憶しているのは、しらたまさんのぷりちぃびーんずSサイズと、アンパンマンミュージアム限定ばいきんまんぬいぐるみだけだ。
少なくとも、ぼくの認識では。

アンパンマン以外も油断ならない。
我が家の場合、旅行やテーマパークは危険スポットである。
なにせ、出かけるたびにぬいぐるみが増える。
記念だから。
限定だから。
ここでしか買えないから。
もっともらしい理由はいくらでも存在した。
例えば、三重県志摩半島の志摩スペイン村に行ったときのことだ。
志摩スペイン村は中世スペインを題材にしたテーマパークで、ドンキーやサンチョ、ダル、フリオなど、たくさんのキャラクターがいる。
ぼくは娘たちにしっかりサンチョとフリオのぬいぐるみを買わされた。
やけくそになって、ぼくも自分のためににじさんじのVTuber、周防サンゴちゃんの期間限定ぬいぐるみを一つ買った。
ぼくが自分のために買ったのは一つだけである。
本当に一つだけだ。
少なくともぼくの認識では。

すこし話はそれるが、ぼくは志摩スペイン村が好きだ。
初めて行ったときは、ただ妻と義理の両親の旅行について行っただけだった。
正直なところ、その時点では志摩スペイン村について何も知らなかった。
ところが、一度行ったら気に入ってしまった。
風光明媚で、ご飯が美味しい。
そして何より、あまり混んでいない。
気に入りすぎて情報を調べまくり、その半年後にもう一度行った。交通アクセスの悪さが難点だが、ほんとうにいいところだから何回でもいきたいと思っている。
話を戻そう。
当時のぼくは思っていた。
いずれ娘たちがアンパンマンを卒業すれば、このブームも終わるだろうと。
ぬいぐるみの増殖も止まるだろうと。
ぼくはその考えがいかに甘かったかを、後になって知ることになる。
そのときのぼくは、まだ何もわかっていなかった。
アンパンマンのぬいぐるみ程度なら、まだかわいいものだったということを。
大阪で、とある大きなイベントが始まろうとしていたのである。
そして、そのイベントにはミャクミャクというキャラクターがいた。
ターニングポイント
2025年は大阪府民にとって特別な年だった。
大阪・関西万博2025である。
根が引きこもりのぼくは、本来あまり外出したくない。
適応障害になってからはなおさらだった。
人混みは苦手だ。
自分の処理能力を超える量の情報が一気に流れ込んでくると、頭が疲れてしまう。
だから万博にも特に興味はなかった。
テレビやニュースで話題になっていることは知っていたが、自分から行こうとは思わなかった。
しかし妻は違った。
もともと海外旅行が好きで、知らない場所や知らない文化に触れるのが好きな人だ。
万博にも興味津々だった。
ガイドブックを買い、Instagramで情報を集め、どこのパビリオンが面白いかを調べていた。
そんな様子を見ていたら、少しくらい行ってみてもいいかなという気になった。
妻が行きたいと言うので、重い腰を上げることにしたのである。
最初の万博は夫婦二人だった。
娘たちは妻の両親に預けた。
小さな子どもを連れて万博に行くのは大変そうだったし、そもそも面白いかどうかもわからない。
開幕前はパビリオンの建設遅れや安全上の理由が懸念され、無事に開催されるのか危ぶまれている雰囲気があった。
また、当時はアンチがたくさんいて、思ったより面白くないという声もあった。
もし面白かったら、今度は娘たちを連れてもう一回来よう。そういう話は予めしていたけども、正直なところ、ぼくはあまり期待しておらず、軽く味見をしてみるだけのつもりだった。
昔の大阪万博は岡本太郎の太陽の塔が目玉だった。あれは何回見てもとんでもない異質さがあるのだけども、今回の万博の目玉は大屋根リング?
まぁ、そんなもん大したことないだろう。
そう思っていた。
ところが行ってみると意外と面白かった。
実際に見た大屋根リングはとても巨大で、現地に行かないとわからない迫力と魅力があった。
展示はどれも面白かった。
意味がよく理解できないものもあったけれど、作った人たちの狂気が漏れ出しているものが多かった。
「夜の地球パビリオン」なんて待ち時間ゼロで入れるのに、鳥肌が立つくらいのものすごい展示が見られる。
あれはよかった。
でも、その日一番印象に残っているのは「夜の地球」ではなく、サウジアラビア館だった。
館内にDJブースのような空間があった。
ぼくらが入ったとき、その部屋には音楽が流れていなかった。
だから周囲の人たちは足早に通り過ぎていった。
でも、DJ経験者の妻は言った。
「ちょっと待ったら音楽かかるんちゃう?」
そんなわけないやろと思った。
だが実際にしばらく待っていると音楽が流れ始めた。
なんの音楽かはわからない。
気がつけば周りには誰もいなくなっていた。
展示の流れから完全に置いていかれたのである。
妻は音楽に合わせて踊り始めた。
ぼくもやけくそになって踊った。
数分間の出来事だったけれど、妙に楽しかった。
サウジアラビア館のスタッフの方が「素敵なダンスですね」とお世辞を言ってくれたような、くれなかったような気がする。
あれはたぶん、その日一番記憶に残った出来事だったと思う。
日本には昔からこんな言葉がある。
踊る阿呆に見る阿呆。
同じ阿呆なら踊らにゃ損々。
そんなこんなで、ぼくら夫婦ははじめての万博に満足していた。
人混みやパビリオン待ちの待ち時間は大変だったが、午後3時以降の入場なのに5個以上のパビリオンが見られた。
ミャクミャクの像と写真を撮ったりして、予想以上に万博の雰囲気を満喫した。
あのとき、意外とミャクミャクというやつは可愛いんだなと思ったのを覚えている。
ただ、帰り道は疲労困憊で、へとへとになりながら終電に近い電車に乗った。
楽しかったのは間違いない。
だが、その代償は想像以上に大きかった。
「子連れでもう一度行きたいか?」とあの日のぼくに問うたら、いったいどう答えるだろうか。
大人二人だけで行っても、めちゃくちゃ大変なのである。
子どもを連れて行ったらいったいどういうことになるのか。
それを想像する気力と体力は、あの日のぼくにはなかった気がする。
でも、子どもたちにこの経験をさせないのも、少しもったいない気がした。
だから娘たちを連れて、あと一回だけ万博に行こう。
それで終わりだなと思った。
たぶん、次の日だったと思う。
妻が言った。
「通期パス買おうかと思うねん」
ぼくはなにも言えなかった。
ぼくの想定は「あと一回」だった。
妻の想定はどうやら違ったらしい。
「何回か行ったら元取れるし、行った直後に買うと安いねん」
と彼女は言った。
彼女は何回、万博に行くつもりなんだろう。
その全体像はぼくにはまったく見えなかった。
もちろん、ぼくには迷いがあった。
楽しかったのは間違いないし、ぼくらが見たパビリオンは全体のごく一部に過ぎない。
ほかにも面白そうなパビリオンはたくさんあった。
でも、人気のところは一時間待ちや二時間待ちがざらだし、抽選に外れたら見られないものも多い。
しかも、これから暑くなる。
人も増える。
待ち時間も長くなるだろう。
そんなところに子どもたちを連れていくのは大変な苦行になるだろう。
そんなことを何回もやるのか?
妻との関係を良好に保つことは、ぼくの人生における重要ミッションである。
そのためには、時として合理性だけでは説明できない判断も必要になる。
ぼくは許可を出した。
今振り返ると、その判断が運命の分岐点だったのかもしれない。
そのときのぼくは、まだ何もわかっていなかった。
「もう一回来よう」と「通期パスを買おう」には、とてつもなく大きな隔たりがあるということを。
そして万博には、ミャクミャク以外にも危険なキャラクターたちが潜んでいたということを。
その頃のぼくは、まだポムポムプリンのおしりに印があることすら知らなかった。
売り切れを見ると余計欲しくなる
万博の通期パスを買ったぼくたち家族は、本当に何度も万博に通った。
ちゃんと数えてはいないけど、半年弱の間に10回近く行ったのではないだろうか。
夫婦二人で行くこともあったけど、ほとんどは娘たちを連れて行った。義母と一緒に行ったこともある。
ほとんどいつも暑かった。
雷を伴う通り雨が降ることもあった。
人の混雑とパビリオンの待ち時間はどんどん増していった。
飲食物はとにかく高価だし、子どもたちが疲れて泣き叫ぶことも多かった。
決して楽な場所ではない。
それでも、ぼくらはいつも楽しかった。
日傘や暑さ対策グッズ、折りたたみ椅子などでベビーカーを過積載ぎりぎりにしながら、万博会場を東へ西へと歩き回った。
気がつけば、ぼく自身も万博にかなり詳しくなっていた。
あの広い会場のどこに何のパビリオンがあるか。
どこにレストランやショップがあるか。
どこへ行けば子どもたちを遊ばせられるか。
何時にどのパビリオンの予約枠が開放されるか。
そういう知識ばかりが増えていった。
万博といえばミャクミャクである。
会場の東西にはオフィシャルショップがあり、ミャクミャクグッズやお土産が山積みになっていた。
ショップはいつも長蛇の列だった。
長いときには三十分以上待たなければ入れない。
せっかく来たのだから何か記念に買おう。
そう考えるのは自然なことだと思う。
しかし、周囲を見渡すと、皆が皆、恐ろしい量の買い物をしていた。
財布の紐が緩むという次元ではない。
財布の底が抜けているか、財布そのものが壊れているんじゃないかと思うくらいだった。
しかも会場では現金が使えない。
キャッシュレス決済だから、財布から現金が減っていく感覚もない。
万博の経済効果の恐ろしさを、ぼくはあそこで強く実感した。
ミャクミャクが発表された当時、インターネットでは「気持ち悪い」「怖い」と散々な言われようだった。
ぼくも最初に見たときは、正直「なんやこれ」と思った。
赤と青の毒々しい色。
大きく横に開いた口。
そして無数の目。
子ども向けというより、ホラー映画のキャラクターみたいだった。
ところが、実際に万博が始まってみると不思議なことが起きる。
あの会場にいると、みんなミャクミャクを好きになってしまうのである。
少なくとも、ぼくらはそうだった。
会場ではミャクミャクのぬいぐるみが当たるくじも人気だった。
三等でも十分大きなぬいぐるみがもらえる。
二等はさらに大きく、一等ともなると、小さな子どもくらいの大きさがある。
そのくじを引くために、皆が長時間並んでいた。
ぼくたち家族も炎天下の中、二時間近く並んだ。
暑さで不機嫌になった娘たちをなだめながら並ぶ時間は、正直かなりの苦行だった。
結果は全員三等。
我が家にはミャクミャクのぬいぐるみが四体増えた。
二体はじいじとばあばにプレゼントした。
それでも家には、ほかにも子ども用に買ったミャクミャクのぬいぐるみがある。
いま何体あるのかは、もう数える気にもならない。
知らぬが花である。

さて、それよりも恐ろしいのがコラボレーションである。
ミャクミャクとサンリオ。
考えた人は天才かもしれない。
あるいは悪魔かもしれない。
ポムポムプリンやシナモロール、クロミやマイメロディにミャクミャクがくっついている。
なんとも説明しがたい見た目だった。
だが、それが人気だった。
とても人気だった。

妻はその頃から、新大阪駅のオフィシャルショップの情報を頻繁に確認するようになった。
今日は何が入荷した。
今日は何が売り切れた。
そんな話を毎日のようにしていた。
ぼくはその頃、まだ他人事だった。
「売り切れてた」
と妻が言う。
残念だったね、と返す。
普通はそこで終わる。
だが、どうも妻は違ったらしい。
売り切れている。
だから欲しい。
売り切れている。
だから次に見かけたら、なんとしても買わなければならない。
そういう思考回路だったようである。
彼女はお得に目がない生粋の関西人である。
その一方で、非日常では驚くほど気前がいい。
人生で大事なのは、お金や地位ではなく思い出だ。
彼女はそういう考え方をする人だった。
だから、期間限定。
地域限定。
数量限定。
そういう言葉に弱い。
ぼくも弱い気がしないでもないが、この際その話は置いておこう。
ある日、妻は言った。
「コンプリートした」
何をだろうと思った。
小さいサイズのサンリオミャクミャクぬいぐるみだった。どうやら、ノーマルカラー6種をすべて購入したらしい。
ほかにいくつカラーバリエーションを購入しているようだったので、全部で何個買ったのかは定かでない。でも、ひとまず彼女はそれで満足したらしい。
なぜ彼女が突然サンリオにハマったのか、そのときのぼくにはよくわからなかった。
でも、本人はとても嬉しそうだったので、「まぁ、ええか」と思うことにした。

ちなみにだが、妻はサンリオキャラの中で1番好きなのはポムポムプリンらしい。
小太りのボディとおしりの印がたまらないのだそうだ。
知らない人のために補足すると、ポムポムプリンのおしりには「*」のような印が付いている。
妻はあれがたまらなくかわいいらしい。
ぼくにはよくわからないのだが、きっと愛犬家の方ならば共感できるのだろう。
最近、妻と子どもたちがポムポムプリンの1番くじを引いたら、2等賞のぬいぐるみが立て続けに2本出た。確率的にはかなりラッキーな出来事だったらしい。
彼女らはとても喜んでいたが、ぼくは「やれやれ、またぬいぐるみが増えたな」と心の中でつぶやいた。
もっとも、そのぬいぐるみを抱いて寝ている娘たちを見ていると、「まぁ、ええか」とも思う。

万博コラボのサンリオミャクミャクぬいぐるみに話を戻そう。
好きなものに夢中になれるのは良いことだと思う。
ぼくはそう考えていた。
万博なんて人生で何度も経験できるものではない。
少なくとも大阪で開催される万博は、ぼくらが生きている間にはもうないかもしれない。
だから欲しいものがあるなら買えばいい。
迷って買わなかったことを後悔するより、その方がいい。
たしか、そんなことを言った気がする。
今振り返ると、あの発言は軽率だったかもしれない。
なぜなら、それ以降もサンリオグッズは増え続けたからである。
万博が終わり、あの夏の暑さが少しずつ思い出になってからも、妻のサンリオ熱は下がらなかった。
ポムポムプリン。
シナモロール。
クロミ。
マイメロディ。
はぴだんぶい。
気がつけば我が家には、アンパンマンとは別の勢力が誕生していた。
サンリオ軍である。
妻はぼくのせいだと言う。
しかし、この時点ではまだ、ぼくは納得していなかった。
犯人はだれだ
万博とともに過ごした半年間が終わった。
あれだけ通った夢洲にも、たぶんもうしばらく行くことはない。
暑さにうんざりしたこともあった。
子どもたちが泣いて困ったこともあった。
二時間並んだパビリオンもあった。
でも振り返ってみると、不思議と楽しかった記憶ばかりが残っている。
思い出というのは、案外そんなものなのかもしれない。
ぼくはある時からリュックサックにミャクミャクコラボのクロミちゃんのぬいぐるみをつけるようになった。

万博グッズを身につけることは、万博をより楽しむための良い方法の一つだからだ。
いつからつけ始めたかは定かでないが、外すのも面倒だったので、万博が終わってからもそのままになっている。
坊主頭でヒゲヅラのコワモテのおっさんが、クロミちゃんのぬいぐるみを付けたリュックサックを担いでいる。
なかなか異様な光景なのか、わりといろんな人がクロミちゃんのことを会話のネタにしてくれる。
知らない人とも一瞬で打ち解けられるので、わりと便利である。
怖くないよ、というアピールになっているのかもしれない。
知らんけど。
実はこのリュックサックには、そのほかにもじゃらじゃらとキーホルダーが付いている。
まるで女子高生のカバンみたいだ。
でも、ぼくのカバンに付けてあるぬいぐるみやキーホルダーのほとんどは、ぼくが買ったものではない。
妻が買ったものだったり。
娘たちが「これ付けて」と言ってきたものだったり。
ぼくのリュックなのに、ぼくだけのリュックではなくなっていた。
ただ、一つだけ例外がある。
仙台空港で買った、ハンギョドンのキーホルダーである。

このハンギョドンは伊達政宗の格好をしている地域限定品である。
ぼくの出身地は宮城県だ。
宮城県民は戦国武将・伊達政宗のことが大好きだ。
彼らがどれほど伊達政宗のことを好きか、ほかの地方の人にはわからないと思うし、彼ら自身もよくわかっていないと思う。
宮城県民は、伊達政宗が好きになるように子どもの頃から無意識のうちに教育されている。
いや、教育というより洗脳かもしれない。
眼帯と三日月の兜飾りを見たら、宮城県民は「ウヒョー!カッコいい!!」と興奮してしまう愚かな生き物なのだ。
ぼくは帰省したとき、仙台空港で伊達政宗コラボのサンリオキーホルダーを見つけた。
妻はサンリオだから欲しい。
ぼくは伊達政宗だから欲しい。
珍しく利害が一致した。
あれはぼくが買った。
帰省旅行の疲れがあったのだろう。
正常な思考力が失われていた。
ヤケクソになって五種類か六種類か、伊達政宗コラボのサンリオキーホルダーを買った。
ついでに伊達政宗コラボのちいかわのキーホルダーも三種類くらい買った。
あの大人買いだけは、ぼくの犯行だった。

そのときに買ったキーホルダーのうちの一つが、前述のハンギョドンなのである。
リュックサックに付けられた他のキーホルダーのことについて話そう。
ある日、妻が一人でショッピングモールに行った。
どうやら回したいガチャガチャが何かあったらしい。
「行列してるガチャがあったから、なにかなと思って見てみたら仮面ライダーやってん。せっかくやから回してきたわ」
そう言って、ぼくに2個のカプセルを放った。
「好きやろ? 仮面ライダー。あげるわ」
彼女は満足げだった。
妻は仮面ライダーのことなんて何も知らないのだが、ぼくが喜ぶと思ったらしい。
カプセルを開けてみると、出てきたのは仮面ライダーWと仮面ライダーオーズだった。

「これ、俳優の菅田将暉が出てた仮面ライダーやで」
「そーなんだ。どっち?」
「黒やったかな、緑やったかな……」
「どっちの人形も黒いし、緑色の部分もあるよ?」
「それはその通りやけど、ちゃうねん」
妻はオーズを指差す。
「ちゃう」
「じゃあこっち?」
「せやねん。そっちで間違いない。でも、どっちやったかな」
「どういうこと?」
「あ、思い出した。黒と緑のやつの、緑のほうや」
「緑?」
「二人で一人の仮面ライダーやねん」
「どういうこと?」
説明すればするほど、わからなくなっていく。
その二つのガチャガチャも、いまはリュックサックについている。
オーズを見るたびに、
「タカ・トラ・バッタ! タ・ト・バ! タ・ト・バ!」
という歌が頭の中で流れる。
別に妻はその歌を知らない。
ぼくだけが勝手に盛り上がっている。
気がつけば、我が家のキャラクターはずいぶん増えた。
アンパンマン。
ミャクミャク。
サンリオ。
ちいかわ。
カービィ。
マリオ。
そして仮面ライダー。
それぞれ好きになったきっかけは違う。
買った人も違う。
でも、全部が家族の思い出と結び付いている。
妻はぼくのせいでサンリオを好きになったと言う。
ぼくは、そうは思っていない。
たしかにアンパンマンは見た。
スペイン村も好きになった。
ミャクミャクグッズを買っていいと言った。
伊達政宗コラボのハンギョドンも買った。
でも、サンリオを選んだのは妻自身だ。
ぼくは仮面ライダーは好きだけど、ガチャガチャを回すことは滅多にない。お金がもったいないと感じているからだ。
でも、あのキーホルダーを見ると、妻がぼくのためにガチャガチャを回してくれたことを思い出して、すこし笑顔になる。
結局のところ、夫婦というのはそういうものなのかもしれない。
相手の好きなものを少しずつ受け入れているうちに、自分の好きなものも少しずつ変わっていく。
だから今のぼくのリュックサックには、ぼく一人では絶対に選ばないようなキャラクターたちがぶら下がっている。
でも、それを見るたびに思い出す。
ああ、これは家族と一緒に過ごした時間なんだな、と。
ぼく一人では、このリュックサックは完成しなかったものなのだ、と。
このエッセイの最後に、万博の後日談というか、現在進行形の出来事を一つ書いておく。
時間が前後するが、万博が終わって一、二か月後、妻が「ちょっと相談があるんだけど」と言い出した。
ぼくはすこし嫌な予感がしつつも、笑顔で彼女に応対する。
「ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの年間パスポート買わん?」
ぼくは、またか、と思った。
でも、反対はしなかった。
また大阪港へ通う日々が始まる。
そしてきっと、我が家には新しいキャラクターが増えていくのだろう。
