【クラシックの教養】クラシック初心者が、クラシック音楽を学んでいく
クラシック音楽と聞くと、少し格式高く、難しいものに感じるかもしれない。
コンサートホール、オーケストラ、指揮者、楽譜、作曲家の名前。どれも少し遠い世界のように見える。
しかし、クラシック音楽は「知識がある人だけが楽しむ音楽」ではない。むしろ、ヨーロッパの歴史、美術、宗教、都市文化、人間の感情が音として残された巨大な文化遺産である。
「クラシック音楽」という言葉には、大きく二つの意味がある。広い意味では、西洋の伝統的な芸術音楽全般を指す。一方で、狭い意味では、モーツァルトやハイドン、初期ベートーヴェンなどが活躍した18世紀後半から19世紀初頭の「古典派音楽」を指すこともある。
つまり、クラシック音楽という大きな箱の中に、「古典派」という一つの時代がある、と理解するとわかりやすい。
クラシックは「時代の空気」を聴く音楽
クラシック音楽を学ぶとき、最初から楽典やコード理論に入る必要はない。むしろ、まずは「どの時代に、どんな空気の中で生まれた音楽なのか」を知ると、一気に見通しがよくなる。
クラシック音楽は、音だけで独立して存在しているわけではない。その背景には、ヨーロッパの宗教、宮廷文化、市民社会、美術、文学、建築、舞台芸術の流れがある。
西洋美術に、
ルネサンス
バロック
ロココ
新古典主義
ロマン主義
印象派
などの流れがあるように、音楽にも時代ごとの雰囲気がある。ただし、ここで注意したいのは、美術史の区分と音楽史の区分は、似ている部分はあっても完全に一致するわけではない、という点である。
音楽史では一般に
ルネサンス音楽
バロック音楽
古典派音楽
ロマン派音楽
近現代音楽
といった区分がよく使われる。美術でいう「新古典主義」と、音楽でいう「古典派」は、どちらも秩序、均整、明晰さ、形式美を重んじるという意味では近い時代精神を持っている。しかし、厳密には同じ運動ではない。音楽の古典派は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらを中心とする18世紀後半から19世紀初頭の音楽様式として理解するのがよい。
それでも、芸術全体の大きな流れとして見ると、共通するリズムがある。
ルネサンス
神中心の中世的世界観から、人間、理性、身体、調和への関心が高まった。美術では遠近法や人体表現が発達し、音楽では声の重なり、宗教的な響き、調和の美しさが重視された。
バロック
バロックになると芸術はより劇的で、装飾的で、ダイナミックになる。美術や建築では、曲線、光と影、豪華な装飾、劇的な構図が目立つようになり、音楽でもバッハ、ヴィヴァルディ、ヘンデルのように、緻密でありながら強い推進力を持つ音楽が生まれた。バロックは、秩序というよりも、動き、緊張、劇性の時代である。
古典主義的
その後、古典主義的な感覚が強まると、芸術は一度、明晰さや均整へ向かう。美術や建築では、古代ギリシャ・ローマの美が理想とされ、過剰な装飾よりも、比例、秩序、構成の美しさが重視される。音楽でも、モーツァルトやハイドンに代表される古典派は、明るく、整っていて、無駄が少ない。聴いていて「美しく整理されている」と感じる音楽である。
ロマン主義
しかし、人間は秩序だけでは満足しない。19世紀に入ると、ロマン主義が広がっていく。文学では、個人の内面、孤独、恋愛、苦悩、自然への憧れ、民族意識が重要になる。美術でも、荒々しい自然、崇高な風景、人間の感情の揺れが描かれるようになる。音楽でも、ロマン派では、理性や形式だけでなく、個人の感情、憧れ、絶望、幻想、民族性が前面に出てくる。
この意味で、ベートーヴェンは非常に重要である。彼は古典派の形式を受け継ぎながら、そこに個人の意志、苦悩、運命、闘争のようなものを流し込んだ。つまり、古典派からロマン派へ向かう橋渡しのような存在である。クラシック音楽が、宮廷や教会のための音楽から、個人の内面を表現する芸術へと広がっていく転換点として見ると面白い。
印象派・近現代
さらに19世紀後半から20世紀にかけて、印象派的な表現も登場する。美術の印象派が、輪郭をくっきり描くよりも、光、色彩、空気、瞬間の印象を描こうとしたように、音楽でも、ドビュッシーやラヴェルのように、はっきりした物語や構造よりも、響きの色彩、揺らぎ、余韻、空気感を重視する表現が生まれた。印象派絵画では、鮮やかな色彩や光の表現が従来のアカデミックな絵画とは異なる感覚を生み出したとされるが、音楽でも似たように、明確な輪郭よりも「雰囲気」そのものを聴かせる方向へ広がっていく。
つまり、クラシック音楽を聴くということは、単に美しいメロディを聴くことではない。
その背景にある、ヨーロッパの価値観の変化を聴くことでもある。
神への祈りから、人間への関心へ。
装飾と劇性から、秩序と均整へ。
理性と形式から、個人の感情と内面へ。
そして、明確な物語から、光や空気のような曖昧な印象へ。
この大きな流れを知っておくと、クラシック音楽は一気に身近になる。
古典主義とロマン主義――美術・文学・バレエともつながる流れ
クラシック音楽を美術や文学と並べて見ると、かなり理解しやすくなる。
美術や建築における古典主義、特に新古典主義は、古代ギリシャやローマの美を理想とした。秩序、均整、比例、理性、簡潔さ。過剰な装飾よりも、整った構成や普遍的な美しさが重視される。
音楽における古典派も、これに近い感覚を持っている。モーツァルトやハイドンの音楽には、明るさ、透明感、バランス、形式の美しさがある。音楽が過剰に感情を爆発させるというより、整った構造の中で美しく響く。
その後、19世紀に入るとロマン主義が強くなる。文学では、個人の内面、孤独、恋愛、苦悩、自然への憧れ、民族意識などが重要になる。美術でも、古典的な秩序より、荒々しい自然、崇高な風景、人間の感情の揺れが描かれるようになる。
音楽でも同じように、ロマン派では、理性や形式だけでなく、個人の感情、憧れ、絶望、幻想、民族性が前面に出てくる。ショパンのピアノ曲、シューベルトの歌曲、チャイコフスキーの劇的な音楽、ワーグナーの神話的な世界観などは、まさにロマン主義的である。
バレエもこの流れと接続して考えると面白い。『ラ・シルフィード』や『ジゼル』に代表されるロマンティック・バレエでは、妖精、精霊、死後の世界、叶わぬ恋、幻想的な女性像などが重要になる。『ジゼル』は1841年に初演された作品で、ロマンティック・バレエを代表する作品として知られている。
一方で、『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』のような古典バレエでは、大規模な構成、技巧、様式美、群舞の秩序が整えられていく。『白鳥の湖』は1877年の初演時には大成功とは言えなかったが、1895年のマリウス・プティパとレフ・イワノフによる版によって、今日知られる代表的な古典バレエとして定着していった。
ここで少し面白いのは、バレエの場合、美術や音楽のように単純に「古典主義からロマン主義へ」と一直線に並べにくいことである。バレエでは、19世紀前半にロマンティック・バレエが発展し、その後、19世紀後半のロシアで古典バレエが大成していく。つまり、幻想的なロマン主義の物語性と、古典的な形式美・技巧美が、それぞれ別の形で発展したと見るとわかりやすい。
このように見ると、クラシック音楽は、音楽だけの世界ではなくなる。
美術の古典主義を知ると、モーツァルトの均整がわかる。
文学のロマン主義を知ると、ショパンやチャイコフスキーの感情がわかる。
印象派絵画を知ると、ドビュッシーの響きの曖昧さがわかる。
バレエを知ると、音楽が身体表現や舞台芸術と結びついていることがわかる。
クラシック音楽の教養とは、作曲家の名前を暗記することではない。音楽を入口にして、ヨーロッパの歴史、美術、文学、宗教、都市、宮廷文化、市民社会、人間の感情表現をまとめて理解していくことなのだと思う。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンで流れをつかむ
初心者がクラシックを学ぶなら、まずは「バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン」の三人を入口にするとわかりやすい。
バッハ
バロック音楽の巨大な山である。音が緻密に組み合わさり、数学的な構造美すら感じる。エンジニア的に言えば、複数の処理が並列に走りながら、全体として美しいシステムを構成しているような音楽である。
モーツァルト
古典派の明るさ、均整、透明感を代表する存在である。メロディは親しみやすく、構成は整っていて、聴いていると無駄のない美しさを感じる。美術や建築でいえば、過剰な装飾よりも、バランスや秩序を重んじる世界に近い。
ベートーヴェン
ベートーヴェンは、古典派からロマン派への橋渡しのような存在である。整った形式の中に、個人の苦悩、情熱、運命、意志のようなものが入り込んでくる。クラシック音楽が、単なる宮廷や教会の音楽から、個人の内面を表現する芸術へと広がっていく大きな転換点として見ると面白い。
この三人を並べるだけでも、クラシック音楽の流れが見えてくる。バッハは構造の音楽、モーツァルトは均整の音楽、ベートーヴェンは意志の音楽。もちろん単純化ではあるが、初心者の入口としてはかなり有効である。
ロマン派と印象派―感情と風景の音楽へ
19世紀に入ると、ロマン派音楽が広がっていく。
ロマン派では、理性や形式だけでなく、感情、憧れ、孤独、自然、民族性などが強く表現される。ショパンのピアノ曲には繊細な感情があり、チャイコフスキーには大きなドラマがあり、ワーグナーには神話的な世界観がある。
このあたりから、クラシック音楽はかなり「人間くさい」ものになる。恋愛、絶望、故郷への思い、人生の高揚と沈み込み。難しい理論を知らなくても、感情の波として聴くことができる。
さらに19世紀末から20世紀にかけて、ドビュッシーやラヴェルのような印象派的な音楽が登場する。
印象派の絵画が、輪郭をくっきり描くよりも、光や空気、瞬間の印象を描こうとしたように、音楽でもはっきりした物語より、色彩、揺らぎ、雰囲気が重視される。
ドビュッシーの「月の光」などは、まさに音で描かれた風景のようである。クラシック音楽は、時代が進むにつれて一つの型に収まらず、多様な表現へと分かれていった。
初心者は「代表曲を少しずつ」でいい
クラシック初心者は、最初から体系的に全部を理解しようとしなくてよい。まずは、聞いたことのある曲から入ればよい。
ヴィヴァルディ(18世紀イタリア/バロック音楽)の「四季」
バッハ(18世紀前半ドイツ/バロック音楽)の「G線上のアリア」
モーツァルト(18世紀オーストリア/古典派音楽)の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
ベートーヴェン(19世紀ドイツ/古典派音楽)の「交響曲第5番「運命」 第一楽章」や「交響曲第9番の第4楽章」
ショパン(19世紀ポーランド/ロマン派)の「別れの曲」
クロード・ドビュッシー(フランス(19世紀後半-20世紀初頭)/印象主義音楽)の「月の光」
ラヴェル(20世紀フランス)の「ボレロ」
有名曲には、有名になるだけの理由がある。旋律が覚えやすい。感情が伝わりやすい。映画やCMで使われるほど、現代人の耳にも残りやすい。最初は「この曲、聞いたことがある」くらいで十分である。
クラシック音楽の教養とは、作曲家の名前を暗記することではない。音楽を通じて、ヨーロッパの歴史、美術、文学、宗教、都市、宮廷文化、市民社会、人間の感情表現を知ることである。
そう考えると、クラシック音楽は遠い世界ではない。美術館に行くように、映画を見るように、バーでカクテルの背景を知るように、一つの文化の入口として楽しめばよい。
クラシックは、難しい音楽ではなく、長い時間を生き残ってきた音楽である。何百年も前の人が感じた祈り、喜び、苦悩、憧れが、今も音として残っている。そこに耳を澄ませることが、クラシック音楽を学ぶ第一歩なのだと思う。
