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ちゃんと生きてきたのに、壊れた日

ちゃんとやってきたはずなのに、
なぜか息ができなかった。

その日、壊れたのは人生じゃなくて、
“ちゃんとしようとしていた自分”だった。

その日は、特別な日じゃなかった。
いつも通り、朝起きて、顔を洗って、
仕事に行く準備をしていた。

スマホの通知を確認して、
今日やるべきことを頭の中で並べる。

遅れないように。
迷惑をかけないように。
ちゃんとやらないと。

それはもう、
考えるまでもなく出てくる思考だった。

駅までの道。
同じ時間に、同じ顔ぶれが歩いている。

コンビニの前でコーヒーを買って、
いつものように改札を抜ける。

何も変わらない朝だった。

昔から、そうだった。
怒られないように。
嫌われないように。
評価を落とさないように。

“ちゃんとすること”が正解だと、
疑いもしなかった。

それ以外の生き方なんて、
あるとも思っていなかった。

でも、ある日。
本当に些細なことで、全部が崩れた。

仕事で、小さなミスをした。

共有フォルダの更新を、
ひとつ忘れていただけだった。
誰でもやるような、よくあるミス。

上司は
「大丈夫、次気をつけて」とだけ言って、
それで終わった。
それなのに…

その瞬間、
自分の中で、何かが音もなく崩れた。

「ああ、もう無理だ」

頭の中で、同じ言葉が何度も繰り返される。

大したことじゃない。

気にしすぎだ。

そんなの分かっている。

でも…
どうにもならなかった。


帰り道。
信号待ちの交差点で、足が止まった。

青に変わっても、しばらく動けなかった。
周りの人は普通に歩いていくのに、
自分だけ取り残されたみたいだった。

「なんで、こんなにしんどいんだろう」

ちゃんとやってきたはずだった。
遅刻もしていない。
迷惑もかけていない。
言われたことは全部やっている。

むしろ、
人よりちゃんとやっている自信すらあった。
なのに…
どうして、こんなにも苦しいのか。

そのとき、ふと気づいた。
“ちゃんとしよう”としている間、
一度も「自分」を見ていなかった。

誰かの期待。

誰かの評価。

誰かの基準。

それをなぞることばかりに必死で、
自分が何を感じているのか、
何をしたいのか、
問いかけたことすらなかった。

ちゃんとする、というのは、
正しいことだと思っていた。

でもそれは、
“誰かの正しさ”を借りていただけだった。

その日、はじめて思った。
「ちゃんとしなくても、いいのかもしれない」

その瞬間、
少しだけ呼吸が深くなった。


次の日。
同じように朝が来て、
同じように仕事に行った。

世界は何も変わっていない。

でも、ひとつだけ違うことがあった。
“ちゃんとしよう”と、思わなくなった。

遅刻しないようにする。
迷惑をかけないようにする。
やるべきことはやる。

それは変わらない。

ただ、それが
“ちゃんとするため”ではなく、
“ただそうするだけ”になった。

不思議と、少し軽かった。

ちゃんとしようとすると、
世界は急に重くなる。

正しさを背負った瞬間、
全部が責任になるからだ。

でも、ちゃんとしなくなると、
世界は少しだけ軽くなる。

やることは同じなのに、
そこに余計な重さがなくなる。


あの日、壊れたのは、たぶん人生じゃない。

“ちゃんとしなければいけない自分”だった。


それが壊れてから、
少しずつ、生きるのが楽になった。

今でも、ときどき思う。
「ちゃんとしないと」と。

そのたびに、少しだけ立ち止まる。
本当に、それは必要か。

答えはまだ、はっきりしない。

でも、
あの日より少しだけ、
息はしやすくなった気がする。


#創作大賞2026
#エッセイ部門

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