「バカとは何か — 時代に変えられないために」
一昔前のTVCMに、
ふと心を持っていかれたことがある。
日清のカップラーメンのCM。
ビートたけしさんの言葉。
こんな時代にバカをやる。
それ自体に意味なんてない。
叩かれて、叱られるだけだ。
でも、オレたちはバカをやる。
それは、時代を変えるためじゃない。
時代に、テメェを変えられないためだ。
いまだ!バカやろう!
バカになる。
それは自分をさらけだすことだ。
しがらみなんてとっぱらって、
常識とか忘れたフリして、
アンタ自身の生き方を貫くってことなんだよ。
世間の声とかどうでもいい。
大切なのは自分の声を聞くってことだろ?
おりこうさんじゃ時代なんか変えられねぇよ。
CRAZY MAKES THE FUTURE.
諸君! いまだ!バカやろう!
時代を変えるためではない。
時代に、自分を変えられないため。
この一言の重み
ここにすべてが詰まっている。
私たちは気づかないうちに、
常識
空気
周囲の目
に影響されている。
知らないうちに、
考え方が変わり、
行動が変わり、
生き方が変わっていく無意識の同調。
気づけば、「それが普通」になっているのだが、
果たしてそれは本当に自分なのか?
ここでいう“バカ”とは何か?
それは
自分をさらけ出すこと
しがらみを外し、
常識を一度外し、
周りの評価を一度横に置き、
自分の声を聞く。
大切なのは世間の声ではなく、
自分の声
正しさだけでは、
おりこうさんだけでは、
たどり着けない場所がある。
常識の延長線上には、同じ未来しかない。
ここで武と繋がる。
武とは差だった。
周りと同じである限り、
差は生まれない。
つまりバカとは、差を持つことでもある。
自由との関係
自由とは、
好き勝手することではない。
本当の自由とは、
自分で選ぶこと。
時代に流されるのか?
時代の中で立つのか?
その違いは
ほんのわずかな “意識” の差。
コントロールできるものは、ただ一つ。
それは自分自身のみ。
環境も、
他人も、
時代も、
コントロールできない。
だからこそ自分を持つ。
バカでいるというのは、ただ外れることではない。
常識と非常識のあいだ。
その境界に立ち続けること。
最後に
バカをやる。
それは反抗ではない。
自分を守るための行為であり、
時代に変えられないため、
自分であり続けるため、の選択である。
だからこそ一歩踏み出そう。
いまだ、バカやろう。
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