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幸せは、あと10分からはじまる

幸せだと思うことが、ひとつでもあればそれでいい。

そんなこと、って思うようなことこそ、幸せだと認識し直してみたいと思いました。

朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めた日。
「あ、あと10分寝られる」と思うあの瞬間。

子どもがご機嫌で、意味のわからないダンスをしている時間。

午後からはせっせと働かなければいけないけれど、午前中は少しだけコーヒータイムが取れそうだと思えた朝。

スーパーで、1品だけ自分の好きなお惣菜をカゴに入れた瞬間。

たぶん10分後には、その幸せはもう「幸せ」としては感じていない。とるにたらないことになってしまうのです。

だからこそ、その瞬間に「これは幸せ」と名前をつけておきたいのです、


缶のハイボールを1缶買って、冷蔵庫に入れる。

これは帰ってきてから呑もう、と思う。
それはご褒美であり、仕込みであり、小さな目標。呑む瞬間を思いながら、一旦お預けです。

何かしらのご褒美を先に仕込んでおくって大事だ、と思ったりして。「そこまで辿り着く」が今日のゴールになる。

ゴールが見えると、少しだけ強くなれる。やってやろうじゃないか、なんて。

しかしその日は良かれと思った言動に対して、まったく違う反応が返ってきた日だったりして。

極度のストレス。
そして、良かれと思った傲慢な自分を責めたりするのです。

あぁ、バカみたいだなと思う。

どう切り替えていいかわからないまま、結局いい人を演じて終わる。意志が弱いなぁ、とも思う。同時に、この“ややこしい私”をそろそろやめたい、とも思う。

だからこそ、今日うれしかったことは、私しか知らないという瞬間があっていいのです。むしろ、そんなものかもしれない。

うれしかったことを、どこの誰にも報告しないのだけれど、それが、妙に自分を安心させてくれることもあるのです。

1人の時間に見た動画。
涙した本の一節。

共有するほどでもないけれど、私だけが知っている贅沢。それは自尊心につながるほどに。

とくに、食べたり呑んだりすることは、本当に幸せだと思っています。それを自分で選択できるのは、大人の特権だな、とも思うのです。

八百屋を2件、スーパーを2件、パン屋を1件。歩いて梯子して食材ストックを買い集めた日のこと。

トマト、わかめ、玉ねぎ、りんご、ブロッコリー、
じゃがいも、ほうれん草、人参、しょうが、アボカド、もやし大袋、卯の花、白和え、ちょっといいパン。爆買いといっても、鮮度や価格はちゃんと見る。ものすごくスッキリする。

冷蔵庫に収める瞬間、「来週の私の味方を揃えた」というやり切った感があります。未来の自分に仕送りしているみたいです。

そんな時ふと、人って、自由が何よりのご褒美なのかもしれないとも思いました。

休みたい日に休めること。
働きたいときに働けること。
食べたいものを選べること。
推しに全力でいられること。

なんだか誰かがうれしい話をしている時は、この辺にあるんだなぁ、と感じます。自由に選べる、ということは自分を尊重されている自信にもなるのです。

正直にいえば、それを勝ち取った人を、羨ましく思います。私も、もう少し自由になりたい。


私の目の前の幸せは、あと10分とか、1缶のハイボールとか、カゴに入れた1品とか、誰かに伝えるほどでもないうれしさ。そんなものでできています。

そんな時には、「こんなもの」と言わずに「これでいい」と許してみます。

たぶん、それがいちばん難しくて、いちばん大事なことかもしれません。

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こゆき(koyuki) いつも温かいサポートありがとうございます。大切な時間をくださって、すごくうれしいです。これからも心を込めて書いていきます。