2026年が怖い私の、現在地
私は、ある不安に苛まれて、何もかも手につかない時期がありました。
考えないようにしても、同じことが頭の中を回り続けて、不安は雪だるま式に大きくなっていきました。
それでも、子どもがいますから、日常生活は止められません。ごはんを作り、洗濯をして、送り出し、仕事をして、犬の散歩をして、またご飯を作る。
無心でやらなければならない時間が、私を現実につなぎ止めてくれていたのだと思います。それは、本当にありがたいことでした。
けれど、不安は消えませんでした。
迫りくる期限を前に、押しつぶされそうになり、夜中に目が覚めては、何度もうずくまっていました。
今までは、そのことを誰にも話せませんでした。話したところで解決しない。相手を困らせるだけだと思っていたからです。事実、相手がこの問題を解決できるわけでもないからです。
それでも、このままではいけない、と感じました。ひとりで抱え続けるやり方では、もう持たないと思ったのです。
勇気を出して、話せる人に話しました。声は震え、涙が止まらず、言葉はうまくまとまりませんでした。それでも、「話せた」という事実だけが残りました。その事実が、「まだ私は諦めていない」という意思に思えて、自分自身にエールを送りたくなりました。
ただ、現実は変わっていません。
問題は解決しておらず、不安もそこにあります。不安は、問題が解決しなければ消えない。それも、私は分かっています。
向き合うのは、自分ひとりではありません。けれど、最終的に向き合うのは、やはり私自身です。そう分かっているからこそ、踏ん切りがつかない。ただ自分は逃げたいだけじゃないか、甘えているだけじゃないだろうか、今までなんでもっと努力をしてこなかったんだろう。そう自分を責め続けます。けれど、もう過去には戻れない、今からできることをするしかないのです。
さらに、その相手に幾度か話を聞いてもらうようになった頃、「もう何度も同じこと言われたら、こっちがやる気なくすわ」と言われてしまいました。
そうだよね、さすがにそうだよね、そう思いました。
もうこれ以上話すことはできない、とも。
なんとか前を向きたいのに、前を向くことがものすごくむつかしいのです。
精神科の先生には、更年期もあるかもね~なんて言われてしまいました。まあね、それもあるでしょう。でも、それだけで済まされる話でもないんですよね。
この状況から目を逸らせたらどんなに良いか。でも現実を生きるためには、動かなきゃならない。でも、どう進めばいいのか分からず、立ち尽くしています。
「前に進むしかない」という言葉は、私にとって希望ではありません。祈りや運ではどうにもならない、とにかく行動を起こすしかないという覚悟が決まらなくて駄々をこねているから、呪文のように「前に進むしかない」と唱えているのです。
今もまだ、ポジティブになれたわけでも、覚悟が決まったわけでもありません。私は、怖いという事実と一緒に、現実と向き合っています。
立ち上がれてはいないけれど、背を向けてもいない。今は、その位置にいます。
実は、2026年になるのが怖かったんです。始まってしまうその雰囲気が。私にとって激動の一年になるというのが、決まっている気がしているからです。根拠もちゃんとある上で、それでも生きていかなければならないという気持ちに押しつぶされそうになっています。
そんな私の目にはどんな光が見えるのでしょう。何をたぐり寄せていくのでしょう。その軌跡的思考を書きつづけられたら、と思っています。
一つ一つ、小さなことをコツコツと、毎日を生きていこう、そこで幾度となく私は生きる事について考えるでしょう。今の私は怖さを味わい尽くしています。
その赤裸々を共有したくて書きました。あなたにも同じような気持ちが潜んでいるのなら、私も一緒ですと伝えたい。立ち止まっても良いのだけれど、生活は待ってくれないのが現実です。
生きていてくれてありがとう、と自分自身が自分に言えるような思考をこれからもシェアしていきたいと思います。
もちろん、たあいのないことも呟きながら。
それがあなたの光になっていくといいな~と思いながら。
いつも読んでくれて、ありがとうございます。
その存在が、私のエネルギーです。
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