高麗山県民の森・高麗山城堀切
高来神社の裏手から、高麗山へと登り始めた。すぐに男坂と女坂に分かれるが、つい見栄を張って男坂を選んでしまう。登り始めてほどなく、「これは選択を間違えたかもしれない」と思うような急坂が続き、正直なところ少し後悔した。

息を整えながら登り切ると、高麗山の山頂にある大堂に着く。高麗山は、平塚市と大磯町にまたがる標高167.3メートルの山で、歌川広重の『東海道五十三次・平塚宿』にも、背後の山として描かれているという。

山頂一帯は、高麗山城の主郭にあたる場所だ。永正7年(1510)、伊勢宗瑞、のちの北条早雲が、扇谷上杉氏との対立の中でこの山に城を築いたと伝えられている。また、永禄4年(1561)には、上杉謙信も小田原城攻めの際に、高麗山に本陣を据えたという話が残っている。

山頂から湘南平方面へと歩を進めると、地形が少しずつ変わってくる。曲輪跡を思わせる平場が広がり、その中央を横切るように、両側を切り落とし、土橋だけを残した堀切のような地形が現れた。説明板がなくても、「これは城の遺構だろう」と直感的に分かる場所で、思わず足を止めて眺めてしまった。



高麗山県民の森は、気軽なハイキングコースでありながら、歩いていくと、信仰の山であり、城の山でもあったことが、地形そのものから伝わってくる。登りはきつかったが、その分、山が持つ歴史の重なりを、身体で感じられた一日だった。
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