社会から半分降りる。 その先に見えたもの
これは私が、1年前に逃げるように会社を辞めてから、空っぽの時間の中で、少しずつ自分なりの社会との距離感を見つけていくまでの話です。
会社を辞めた翌朝、何もない自分に気づく
2025.5月末、会社を辞めた。
翌朝、私はいつもより遅く目を覚ました。
スマホには、何の通知も来ていなかった。Slackも、Teamsも、上司からのチャットも、朝イチの会議のリマインドもない。
静かだった。
自由になったのだと思った。ずっと欲しかったはずの時間が、ようやく目の前に広がっていた。
けれど、その自由に私は少し怯えた。
今日、何をすればいいのかわからなかった。何時に起きてもいい。何を食べてもいい。どこへ行ってもいい。誰にも報告しなくていい。そのはずなのに、私は布団の中でじっと天井を見ていた。
会社員だった頃の私は、毎朝、自分で起きているつもりだった。でも本当は、予定に起こされていた。会議に起こされていた。締切に起こされていた。誰かの期待に起こされていた。
それらが全部なくなった朝、私の中には、驚くほど何も残っていなかった。
世間的には「いい会社」と呼ばれる大企業に勤めていた。年収も、30代にして1000万円を超えていた。
そう書くと、きっと「恵まれていたじゃないか」と思われるのだと思う。実際、恵まれていた。生活に困っていたわけではない。欲しいものを買えないわけでもない。世間的に見れば、私はかなり良い場所にいたのだと思う。
だからこそ、苦しかった。
「辞めたい」と思うたびに、私は自分で自分を責めた。何が不満なの。こんなに恵まれているのに。ここまで来るのに、どれだけ頑張ったと思っているの。辞めたら、何者でもなくなるよ。
その声は、誰かに言われたものでもあり、自分の中から聞こえてくるものでもあった。
肩書きは、いつの間にか私の顔になっていた。会社名は、名刺の上だけでなく、私の自信の代わりにもなっていた。
年収は、自由の証明ではなかった。ぶら下げられたニンジンのように、それが辞められない理由を作っていく。
私はたぶん、ずっと「ちゃんとした人」であろうとしていたのだと思う。
評価されること。選ばれること。期待に応えること。忙しいこと。必要とされること。失敗しないこと。そういうものを一つずつ集めていけば、いつか安心できるのだと思っていた。
でも、手に入れれば入れるほど、自分がどこにいるのかわからなくなっていった。
周囲の期待に応えすぎて、自分の好きなものがわからなくなった。休みの日に何をしたいのかもわからなくなった。疲れているのか、飽きているのか、悲しいのか、怒っているのかもわからなかった。
立ち止まる暇もなく、次の会議、次の資料、次の返信に追われていた。私はただ、毎日をこなしていた。
会社を辞めたのは、何か大きな夢があったからではない。次にやりたいことが明確にあったわけでもない。独立して成功したかったわけでも、華やかな第二の人生を始めたかったわけでもない。
むしろ、何もなかった。本当に、何もなかった。
それでも私は、いったん降りることにした。全部を捨てて遠くへ行くほどの勇気はなかった。社会と断絶するほど強くもなかった。ただ、今まで立っていた場所から、半歩だけ下がりたかった。
社会から、半分降りる。
これは、大企業を辞めて自由になった人間の成功談ではない。高年収を手放して、夢を叶えた話でもない。むしろその逆だ。
肩書きを失くしたあと、自分には何も残っていないと気づいた人間が、空っぽの時間の中で、少しずつ自分の感覚を拾い直していく話である。
第一章_社会に入るために、"期待に応える人"になった
けれど、最初から私は、そんなに「ちゃんとした人」だったわけではない。
大学生の頃の私は、もっとわがままで、マイペースだった。好きなことを優先して、人にどう見られるかより、自分が楽しいかどうかを大事にしていた。今思えば、扱いにくい人間だったと思う。でも、あの頃の私は、今よりずっと自由だった。自分の時間を、自分のものとして使っている感覚があった。
それが大きく変わったのは、就職活動だった。
就活は、うまくいかなかった。周りの友人たちは、少しずつ内定をもらっていった。誰かが「決まった」と言うたびに、私は笑って「おめでとう」と言いながら、自分だけが取り残されていくような気がしていた。
面接を受けても、落ちる。エントリーシートを書いても、通らない。そのうち私は、だんだん思うようになった。このままの自分では、選ばれないのだと。
好きなことを好きなように話す自分。気分で動く自分。納得できないことに、うまく合わせられない自分。そういう自分のままでは、社会に入れてもらえないのだと思った。
だから私は、自分を変えることにした。相手が求めていそうなことを考える。面接官が聞きたいであろう答えを探す。その場にふさわしい表情をする。ちゃんとして見える言葉を選ぶ。
最初は、それがただの就活対策だった。でも、少しずつ、それは私の癖になっていった。自分が何を言いたいかより、相手が何を聞きたいか。自分がどうしたいかより、どう振る舞えば選ばれるか。 自分の気持ちより、相手が期待する正解。
そうやって、私はなんとか就職した。やっと社会に入れる。やっと自分も、ちゃんとした人の側に行ける。そう思っていた。でも今振り返ると、あの頃から私は少しずつ、自分を手放し始めていたのだと思う。
社会人になってから、その癖はさらに強くなった。求められていることを先回りして察する。言われる前に準備する。期待された以上のものを返す。なるべく早く返信する。相手が困らないように、自分が先に考えておく。
そうすると、評価された。「あおいさんに任せれば大丈夫」「助かる」「さすが」「期待以上だった」。そう言われることは、嬉しかった。必要とされることは、嬉しかった。
就活でうまくいかなかった頃の私は、ずっと「選ばれない自分」を抱えていた。だから、会社の中で選ばれること、頼られること、評価されることは、私にとって安心でもあった。ここにいていいのだと思えた。自分にも価値があるのだと思えた。
だから私は、もっと期待に応えようとした。もっと先回りした。もっと失敗しないようにした。そうやって少しずつ、私は「期待に応える人」になっていった。
それは、仕事のスキルでもあった。でも同時に、生き延びるためのモードでもあった。本当は疲れていても、「大丈夫です」と言った。本当は無理だと思っても、「やってみます」と言った。本当は少し立ち止まりたくても、「確認します」と言って、次の資料を開いた。
そうするたびに、私は会社の中で扱いやすい人間になっていった。そして、扱いやすい人間でいることは、思っていたよりもずっと評価された。その評価が、次の仕事を呼んだ。次の仕事が、次の期待を呼んだ。
期待に応えるたびに、私は少しずつ自分を削っていった。
第二章_評価されるほど、逃げられなくなっていった
期待に応え続けることで、私はいくつかの会社で、それなりに評価されてきた。目に見える成果もあったし、任される仕事も増えていった。周囲から見れば、私は順調にキャリアを積んでいる人に見えていたと思う。実際、順調だったのだと思う。少なくとも、外から見れば。
でもその裏側で、私はずっと無理をしていた。
評価されればされるほど、次に求められるものは大きくなっていった。一つ応えると、次の仕事が来る。次の仕事に応えると、もっと難しい仕事が来る。もっと難しい仕事に応えると、「この人ならできる」と思われる。
気づけば私は、いつも何かを背負っていた。立ち止まる暇もなく、次の会議、次の資料、次の返信に追われていた。夜、布団に入っても、明日の会議のことを考えていた。朝、目が覚めた瞬間から、今日やらなければいけないことが頭に浮かんだ。お風呂に入っているときも、移動しているときも、家族とごはんを食べているときも、頭のどこかで仕事が動いていた。
体にも出ていた。胃はただれた。頭は痛かった。肩はずっと重かった。それでも、病院に行く時間すら惜しいと思っていた。
本を読みたい。どこかへ行きたい。何かを作ってみたい。ただ何も考えずに休みたい。そういう小さな欲は、いつも仕事の後ろに押し込められていった。仕事が落ち着いたら。この案件が終わったら。来月になったら。繁忙期を抜けたら。そう言いながら、落ち着く日はなかなか来なかった。
日々上司や周囲から飛んでくるオーダーに対して
どうすればできるかを考える。
何を削れば間に合うかを考える。
誰に頼めば形になるかを考える。
「できません」と言う前に、できる方法を探してしまう。「無理です」と言う前に、無理をする前提で考えてしまう。それが、私の働き方になっていた。
手を抜いたら、価値がなくなる気がした。期待に応えられなかったら、居場所がなくなる気がした。だから、また頑張った。
その繰り返しの中で、年収も上がっていった。数字だけ見れば、私はどんどん自由に近づいているはずだった。でも実際には、数字が上がるほど、そこから降りることが難しくなっていった。
こんなに恵まれているのに。ここまで来たのに。この待遇を手放すなんて。次も同じように稼げる保証なんてないのに。そう思うたびに、私はまた自分をその場所に縛りつけた。
本当は、もうずっと苦しかった。毎朝、目が覚めるのが憂鬱だった。仕事のことが頭から離れなくて、寝つけなかった。それでも私は、会社に行った。画面を開き、会議に出て、資料を作り、返信をした。いつも通りの顔をして、いつも通りの声で話した。
大丈夫そうに見える人は、大丈夫な人として扱われる。そして私は、大丈夫そうに見せるのが、あまりにも上手くなっていた。
限界は、ある日突然来たわけではない。大きな事件があったわけでもない。誰かにひどいことを言われたわけでもない。ただ、小さな違和感が毎日少しずつ積もっていった。このままでは壊れる。そう思うようになった。
転職すれば変わるのかもしれない、と考え、転職も経験した。でも会社が変わっても、私は同じように振る舞い、同じように苦しくなった。
場所の問題だけではないのかもしれない。十数年の会社員生活で、私はすっかり「組織にとって扱いやすい人」になっていた。その働き方を変えない限り、どこへ行っても同じことを繰り返すのだと思った。
退職を決める決定打になったのは、来期の計画を立てていたときだった。
上司から、どう考えても無理のある要求をされた。私は、珍しくはっきり言った。
「無理です」
その言葉を口にするだけで、少し勇気がいった。でも、そのときの私は本当に無理だと思っていた。これ以上引き受けたら、自分が壊れる。そう思っていた。
けれど返ってきたのは、上司の無邪気な一言
「それをなんとかするのが君の仕事でしょ」
その瞬間、何かがすっと冷めた。
この人は、私がどうにかすると思っている。私がまた無理をして、形にすると思っている。私が自分を削ることを、前提にしている。そしてたぶん、私自身もずっと、それを前提にしてきた。
そのことに気づいたとき、もうこの働き方は続けられないと思った。
会社だけが悪いわけではなかった。理不尽さを引き受け続けてきたのは、私自身であった。期待に応えれば、居場所がもらえる。そう信じて走ってきた結果、私は自分の人生を、自分で選んでいる感覚を失っていた。
もう一度転職しても、きっと同じことを繰り返す。そう思った。だから私は、会社を変えるのではなく、働き方そのものからいったん降りる必要があった。
社会の中で評価される私から。組織にとって扱いやすい私から。期待に応え続けなければ価値がないと思っている私から。半歩だけ、離れる必要があった。
第三章_辞めたあと、自由ではなく空白が来た
退職を決めてから、実際に会社を辞めるまでには、少し時間があった。でも出口があったから、なんとか耐えられた。「あと少し」とカレンダーを数えながら、引き継ぎ期間を過ごした。
最終出社の日、思っていたほど大きな感情は湧かなかった。もっと泣くのかと思っていた。もっと達成感があるのかと思っていた。もっと、人生が変わるような音がするのかと思っていた。でも実際は、淡々としていた。
パソコンを返し、社員証を返し、最後の挨拶をして、会社の外に出た。長く持っていたものを手放したはずなのに、その瞬間は意外なほど静かだった。
解放感がなかったわけではない。
もう明日の会議を考えなくていい。
深夜に通知を見なくていい。
誰かの無理な要求に、どうにかして応えなくていい。
そう思うと、たしかに少し体が軽くなった。
けれど、その軽さは長く続かなかった。
ぽっかり時間はできた。でも、これからどうしていくかの指針がなかった。しばらくは失業保険がある。貯金もゼロではない。すぐに生活が破綻するわけではなかった。それなのに、これからのことはまったく見えていなかった。
自由になったはずなのに、私は自由を使いこなせなかった。朝起きて、何をすればいいのかわからない。
会社員だった頃は、あれほど一日が足りなかったのに。辞めた途端、一日が大きすぎて、持て余すようになった。
洗濯機を回しただけで、一日を少し使ったような気がした。昼ごはんを作ることすら、やけに面倒だった。
私は、こんなに何もない人間だったのかと思った。会社にいた頃の私は、毎日いくつもの会議に出て、資料を作り、返信をし、判断をして、誰かの期待に応えていた。なのに、会社を辞めた私は、今日食べたいものすらうまく決められなかった。
何かを始めなければと思った。ブログを作ってみた。Xも始めてみた。これからは自分の言葉で発信していこうと思った。でも、何者でもない私の投稿は、当然のようにほとんど見られなかった。
会社にいた頃は、会議に出れば誰かが私の話を聞いた。資料を出せば誰かが確認した。メールを送れば返信が来た。
でも、会社名を外した私の言葉は、簡単には誰にも届かなかった。それは当然のことだった。本当に、当然のことだった。それでも私は、その当然にいちいち傷ついていた。
肩書きがなくなるというのは、こういうことなのかもしれないと思った。誰も私に予定を入れない。誰も私に確認しない。誰も私を待っていない。
会社員だった頃、あんなに欲しかった静けさなのに、いざ本当に静かになると、私はその静けさの中で自分の輪郭を見失った。
私は何をしたいのだろう。
何ができるのだろう。
何をしている人なのだろう。
考えようとしても、答えは出なかった。
メンタルは、自分で思っていたよりずっと弱かった。
少し投稿が見られないだけで落ち込む。
少し返信が来ないだけで不安になる。
少し予定が空くだけで、自分が社会から消えたような気持ちになる。
会社を辞める前は、あんなに「休みたい」と思っていた。でも、いざ何もしなくていい時間の中に置かれると、私はすぐに不安になった。何もしないことに、慣れていなかった。
何かを生み出していないといけない。誰かの役に立っていないといけない。前に進んでいないといけない。そんな声が、会社を辞めたあとも私の中に残っていた。
仕事を辞めれば、自動的に自由になれるのだと思っていた。予定がなくなれば、やりたいことが自然に湧いてくるのだと思っていた。でも、そんなことはなかった。
私の中には、すぐに何かを始められるほどの元気も、明確な夢も、強い意志も残っていなかった。残っていたのは、疲れと、不安と、空白だった。
会社を辞めた私は、自由になったのではなかった。まず、何者でもなくなった。そして、その何者でもなさの中で、ようやく自分がどれだけ疲れていたのかを知った。
社会から半分降りた先にあったのは、広々とした自由ではなかった。そこにあったのは、何も決まっていない時間と、誰にも呼ばれない自分と、これから何を選ぶのかを自分で決めなければいけない静けさだった。
第四章_生活と文章を通じて、新しいコミュニティや自分と出会っていく
最初に「やりたい気持ち」が沸いてきたのは、小さなものだった。
朝、カーテンを開ける。
散歩に出る。
八百屋で野菜を買う。
夜、眠くなったら寝る。
そんなことを一つずつやっていくうちに、私は少しずつ、自分が生活していることを思い出していった。
会社員だった頃の私は、生活をしているというより、仕事の合間に体を維持しているような感覚だった。食べることも、眠ることも、休むことも、いつも仕事の後ろにあった。だから会社を辞めたあと、ただ生活することが下手になっている自分に気づいた。
最初は、予定を入れない時間が少し怖かった。
何もしなくていい時間は、何者でもない自分を突きつけてくるようだった。
でも少しずつ、その時間の中に、自分の好きなもののカケラが落ちていることに気づいた。
仕事にも生産性にも関係のない本。誰かに評価されるわけでもないメモ。散歩中にふと思いついたこと。なんとなく聴いた音声。ダラダラ読んだ漫画。
以前の私なら、そういう時間を「意味がない」と切り捨てていたかもしれない。でも、その意味のなさに救われた。
役に立つかどうか。
稼げるかどうか。
成果になるかどうか。
誰かに褒められるかどうか。
そういうものから少し離れたところで、私はようやく、自分が何に反応するのかを見られるようになっていった。
noteを本格的に書き始めたのも、その頃だった。ただ、自分が何を感じているのか、もう一度知るためにひたすら書いた。
会社を辞めて、ぽっかり時間ができたこと。
指針がなくて不安だったこと。
何者でもない自分の投稿がほとんど見られなくて、早速心が折れそうになったこと。
それでも、何か書かずにはいられなかったこと。そういうことを、少しずつ言葉にしていった。
書いてみると、自分が思っていた以上に傷ついていたことがわかった。思っていた以上に怒っていたことも、悲しかったことも、寂しかったこともわかった。でも、それは悪いことではなかった。何も感じないより、ずっとよかった。
会社員だった頃の私は、自分の感情を後回しにするのが上手になりすぎていた。嫌だと思う前に、どう対応するかを考えた。疲れたと思う前に、次の予定を確認した。悲しいと思う前に、平気な顔をした。書くことは、自分の感覚を少しずつ戻す作業だった。
そうしていくうちにnoteがきっかけで出会ったコミュニティで、一冊の本を作る機会があった。私は寄稿と、表紙の制作を担当した。
誰かに評価されるためでも、売上を立てるためでもなかった。ただ、面白そうだった。みんなで一つのものを作ることが、少し大学のサークルみたいで楽しかった。
AIで表紙案を出してみると、思った通りにいかないものもたくさん出てきた。絵が崩れていたり、文字が変だったり、使えない案も多かった。でも、それすら面白かった。
会社員だった頃の私は、資料を作るとき、いつも穴がないように整えていた。誰かに突っ込まれないように、期待を下回らないように、先回りしていた。でもその本作りの時間は、少し違っていた。正解を探すというより、みんなで面白がっていた。利害関係よりも、好奇心が先にあった。
その本は、結果的にAmazonでベストセラー1位になった。もちろん、それは嬉しかった。でも、それ以上に嬉しかったのは、会社を離れたあとにも、こんなふうに人とつながれるのだと知ったことだった。
お金や肩書きで結ばれた関係ではなくても、誰かと一緒に何かを作ることはできる。そのことが、少しだけ、私を安心させてくれた。
行動したところで、すぐに結果が出るとは限らない。でも、行動しなければ、本当に何も始まらない。
大きく人生が変わったわけではない。急に自信が湧いてきたわけでもない。何者かになれたわけでもない。でも、少しずつ、空白の中に「点」が増えていった。
散歩をする。本を読む。AIで遊ぶ。文章を書く。家族とただゆっくりごはんを食べる。そういうことを繰り返しながら、私は少しずつ、自分の輪郭を確かめていった。
社会から半分降りたあと、私が最初に取り戻したのは、大きな夢ではなかった。もっと小さくて、もっと頼りないものだった。自分が何を好きで、何を嫌で、何に疲れて、何に少しだけ心が動くのか。その感覚を、私はもう一度、自分の手元に戻そうとしていた。
最終章_社会を捨てるのではなく、距離を選び直す
会社を辞めてしばらくしてから、私は少しずつ働き始めた。今は、週に数日だけ働いている。生成AIの使い方を教えたり、自分で制作をしたり、誰かの試したいことを一緒に形にしたりしている。
不思議なことに、それは最初から「仕事にしよう」と思って始めたものではなかった。ただ、面白そうだった。触ってみたかった。何ができるのか知りたかった。うまく使えたら、誰かと共有したくなった。その小さな好奇心が、少しずつ仕事につながっていった。
会社員だった頃の私は、仕事とは「期待に応えるもの」だと思っていた。そうしなければ、自分には価値がないと思っていた。でも今は、少し違う。
もちろん、誰かの役に立ちたい気持ちはある。お金をもらう以上、責任もある。けれど、自分を削ってまで応え続ける働き方には、もう戻りたくない。大事にしたいのは、まず自分の好奇心が動くこと。関わりたいと思える人と関わること。一緒に面白がれること。喜びを分かち合えること。その結果として、誰かの役に立てるなら、それでいい。
まだ昔の癖は残っている。連絡が来ると、すぐに返さなきゃと思う。準備は必要以上にしてしまう。相手の期待を読む癖も、簡単には抜けない。だから今は、少しずつ練習している。
すぐに返信しない。全部の通知を見ない。準備しすぎない。予定を詰め込みすぎない。合わない相手に、必要以上のエネルギーを使わない。それで問題が起きたら、そのとき考えればいい。
たいていの場合、思っているほど大きな問題は起きない。
社会から半分降りる。
それは、社会を捨てることではなかった。働くことをやめることでも、誰の役にも立たない場所へ逃げることでもなかった。
「もっと速く。もっと大きく。もっと上へ。もっと稼げ。もっと成長しろ。もっと役に立て。」そういう社会の声から、半歩だけ下がることだった。
私が欲しかったのは、人から羨ましがられるすごい人生ではなかった。
気になったものを、深く考えすぎずに試してみる余白。面白いと思ったことを、誰かと分かち合える関係。家族と、ただゆっくりごはんを食べる時間。
そういうものを、もう一度、自分の生活の真ん中に置きたかった。
会社を辞めたあの翌朝、私は布団の中で、何もない天井をただ見ていた。
何をすればいいのかわからなかった。誰にも呼ばれず、誰にも待たれていない朝が、こんなにも心細いものだとは思わなかった。
でも今は、少し違う。
毎朝、目覚めるのが少し楽しみな生活。
それは、派手な成功でも、大きな達成でもない。けれど、あの頃の私が本当に欲しかったものは、たぶんこういうものだった。
もし今どこかで、期待に応えることに疲れているのに、それでも立ち止まれずにいる人がいるなら。いきなり全部を変えなくてもいいのだと思う。
会社を辞めなくてもいい。遠くへ逃げなくてもいい。何者かになり直さなくてもいい。
ただ少し、止まってみる。少し、距離を取ってみる。少し、自分の声を聞いてみる。それだけでも、見える景色は変わるのかもしれない。
半分降りることは、人生を諦めることではない。
社会の中にいながら、社会に全部を明け渡さないこと。
期待に応え続けるためではなく、自分の感覚を取り戻すために、生きる場所を選び直すこと。
私にとってそれは、自分をもう一度、自分の手元に戻すための、選択だった。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします☺️いただいたチップはさらにより良いnoteを書くために使わせていただきます✨