いちばん人間らしい「ゆるさ」を、AIから教わっている
私の今の仕事のひとつは、人にAIの使い方を教えることだ。
そう言うと、たいてい「機械、お得意なんですね」と返ってくる。でも白状すると、私は根っからのテクノロジー好き、というわけじゃない。最新ガジェットに目を輝かせるタイプでもない。
AIと私の関係は「便利な道具です」のひとことで片づけるには、少しだけ込み入っている。
私はずっと完璧主義だった。そんな私にとってAIは、いつのまにか、完璧主義をゆるめる練習相手になっていた。
先日も、思いつきで小さなツールをAIと10分で作って、動かして、見事にコケた。昔の私なら、相当考えて準備して、それが失敗すれば恥ずかしくて、誰にも言えず数日へこんでいた。今は「はい次」で済む。
10分かけた失敗は、10分ぶんしか、恥ずかしくない。
そんな感じで、AIのおかげでこの1年で、私の考え方は、ずいぶん変わった。
文句を言わない後輩
実際の使い方は、わりと泥臭い。
家のMac miniを小さなAIサーバーにして、調べものを手伝わせたり、面倒な作業を肩代わりさせたりする。「24時間AIを動かしてます」なんて言うとそれっぽいけれど、やっていることは、要するに毎日の雑用だ。
相棒、というほどかっこいいものじゃない。 私にとってのAIは、どちらかというと、文句を言わない後輩に近い。 何度ダメ出ししても、ふてくされない。深夜に無茶ぶりしても、嫌な顔をしない。「さっきのと全然違う方向で、もう一回」と言っても、「は?」とは言わずに、淡々と、もう一回出してくる。
——この「淡々と、もう一回」が、私にはものすごく効いた。
完璧主義の私が、唯一、任せられた相手
冒頭で書いたように、私はずっと、完璧主義だった。
会社員時代も、フリーランスとして働くようになってからも、人に仕事を任せるのが、どうしても苦手だった。任せるくらいなら、自分で全部やったほうが早い。
たとえば誰かに頼んで、60点のものが返ってきたとする。修正をお願いするにも、言い方に気をつかう。かといって自分で直せば、相手の顔をつぶさないかと、また気をつかう。そうやってなんとか完成度を上げるころには、心がすり減っている。仕事そのものより、気づかいのほうで疲れている。だから、いつまでも荷物が減らない。
ところが、AIには、任せられたのだ。
理由は単純で、AIは70点の答えを、一瞬で出してくる。そして、こっちがそれを直しても、まったく傷つかない。「ここ違う」「もっとこう」と何度言っても、機嫌が悪くならない。
完璧な指示を作り込んでから渡さなくても、いい。とりあえず投げて、返ってきた70点を見て、「ここはいい、ここは違う」と一緒に直していく。
——あれ、これ、知っているぞ、と思った。
会社を辞めて、肩の力が少し抜けたころ、やっと学んだ構えがある。「余白を残して、一緒に作る」。人を相手に、いちばん苦労して身につけたものだ。
AIとのやりとりは、それと、まったく同じだった。
AIは、完璧主義をゆるめる練習相手として、たぶん、世界一だった。 何度失敗しても、付き合ってくれる。責められない。だから、安心して、下手な一投目を投げられる。
「AIを使いこなせない人」の、本当の理由
仕事柄、これまでたくさんの人に、AIを教えてきた。 そのなかで、ひとつ、気づいたことがある。
AIをうまく使えない人の多くは、頭がいいとか悪いとか、機械が得意とか苦手とか、そういう話じゃない。 ——完璧主義なのだ。
面談で、ある生徒さんが、画面の前で固まっていた。「どうしました?」と聞くと、その人は、恥ずかしそうに言った。「正しい聞き方がわからなくて」
ああ、と思った。この人は、機械が苦手なんじゃない。正解主義なのだ。最初から完璧にやろうとして一文字が打てない。
「唯一の正解なんてないので、AIと一緒に考えるでいいんですよ。『〇〇したいんだけど、どういう風に考えてけばいい?』でも通じますから」
私がそう伝えると、その人は半信半疑で、たどたどしく打った。返ってきた答えは60点の出来だったけれど、「うわ、ほんとに返ってきた」と、その人は小さく笑った。
その60点を、70点、80点へと一緒に育てていくのが、AIとの付き合い方なのだ。
それでも、ふと足元がすくむ
——と、悟ったようなことばかり書いてきたけれど、葛藤がないわけじゃない。
AIがあまりに何でもやれてしまうと、ときどき、足元がすくむ瞬間がある。 文章も、調べものも、アイデア出しも、そこそこのところまで、やってくれる。便利だ。便利すぎて、ふと思う。
「じゃあ、私は、何のためにいるんだろう」。
他人の期待に応える生き方を続けた結果、「自分のやりたいこと」がよくわからなくなっていた私には、この問いは、けっこう深いところに刺さる。
役に立つことでしか自分の価値を測れなかった人間にとって、その「役に立つ」を肩代わりされるのは、思ったより、こわいことなのだ。
AIに作らせて、人間に戻る
でも、使い込むうちに、だんだん見えてきたことがある。
AIは、「作業」を引き受けてくれる。 でも、「何を作りたいか」「何が好きか」「どれがいちばんいいと思うか」——それは、最後まで、私の側に残る。
AIは、案を100個出せる。 けれど、その中から「これだ」と選ぶのは、私だ。
そして、選ぶという行為には、その人がそれまで何を見て、何を好きで生きてきたかが、色濃く出てくる。選ぶことだけは、誰にも、何にも、肩代わりできない。
だから私は、AIに作らせて、そのぶん、人間に戻ることにした。 面倒な作業を手放したぶん、「私は、これをどう感じるか」に、時間を使えるようになった。 散歩したり、好きなものを思い出したり。AIに浮かせてもらった時間で、私は、私を取り戻している。
いちばん人間らしいゆるさを、機械に教わる
AIは、私を急かさない。 何度でも、やり直させてくれる。完璧じゃないことをまったく責めない。
皮肉な話だ。 いちばん人間らしい「ゆるさ」を、私は、機械から教わっている気がする。 完璧じゃなくていい。とりあえず出していい。間違えたら、また直せばいい。——それを、文句ひとつ言わずに、毎日、態度で示してくる相手。
AIと私の向き合い方。 それはたぶん、「全部おまかせ」でも、「意地でも頼らない」でもなくて—— 70点を、渡す。そして残りの30点で、ちゃんと私でいる。
それくらいの距離感が、私には、いちばん心地いい。
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