神仏習合と神仏分離|神社に鐘があったり、寺に鳥居があったりする理由
※イラストはいずれもイメージ先行です。服装などは史実と異なります。
私の「神社訪問記」には、わりと神仏習合(しんぶつしゅうごう)という言葉が出てきます。また神仏分離(しんぶつぶんり)や廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などの言葉が出てくることもあります。
今回はそれらの言葉の意味をまとめておきます。
■神道と仏教が合体■
日本には独自の信仰が昔からありました。
もともとは自然の中に精霊を感じるアニミズム(精霊信仰)でした。
そこから発展して、のちの神道(しんとう)、つまり神社の信仰の基礎が固まっていきます。
その過程の中で、6世紀に仏教が伝来します。
最初は、仏教賛成派(崇仏派)と仏教反対派(廃仏派)が対立しました。
崇仏派の代表が蘇我氏、廃仏派の代表が物部氏です。

王族(現在の皇族)の少年の聖徳太子(厩戸王)も仏教を信仰していたので、蘇我氏に味方しました。
結局、武力によって蘇我氏が物部氏を打倒、崇仏派の勝利です。
こうして仏教が導入されることとなりました。
仏教は権力者と結びつきました。

しかし、神道も消えたわけではありません。
むしろ素朴な信仰として残っていきます。
やがて、精霊は神となります。
山の精霊は山の神に、海の精霊は海の神にという感じで。
そしてなんとなく、「外来の仏」と「日本の神」という感じになっていきます。
仏教側は当時最先端の建築様式の寺院なども建てて、すごさをアピールしますが、古来からの信仰はそう簡単には廃れません。

仏教は対立を避けて、だんだんと神道を取り込むようになっていきます。
そうやって仏教と神道が融合していったことを、広い意味での神仏習合(しんぶつしゅうごう)といいます。
■神社の中にお寺■
奈良時代になると、お坊さんたちがとんでもないことを言い出すようになります。それは…
「なんかさ、私の夢に日本の神様が出てきて、『神をやってるの疲れた。仏教の修行したい』とおっしゃられたんだよ。ぜひ、神様に修行をしていただきたい。」
などいうこと。

この夢の内容のことを神身離脱説(しんしんりだつせつ)と言います。
「神様も、仏教の修行をして神様の状態から脱出して悟りを開きたいんだよ」という、まことに仏教側に都合のいい考え方です。
そしてお坊さんたち、神社に行って、夢の内容を神職に伝えます。
仏教側、策略がダイナミックすぎます。
そして、こんなことを言い出します(想像です)。
「では、神様に修行していただくにはどうしたらいいでしょうね?」

考えたふりをして、用意していた「解答」をおもむろに神職につげます(想像です)。
「そうだ! 神様がいる神社の境内にお寺を建てれば、そこで神様が修行をできますね! しかも、そこで私たちが神様のためにお経をあげれば、神様も喜ぶでしょう!」
ということで、神社の中にお寺が建つことに。
これを神宮寺(じんぐうじ)といいます。
ファンの方は、Numberi_i の神宮寺勇太くんを思い出しましたか?
たぶん、彼の苗字の由来も、このことに関係しているでしょう。

そして作戦通り、お坊さんが神社で神様のためにお経を唱えたりします。
これを神前読経(しんぜんどきょう)と言います。
そのうちに、お坊さんがいちいちお寺から神社まで行くのは面倒くさくなってきます(想像です)。
そこで神社とお寺はひとつの建物へと変わっていきます。
■お寺の中に神社■
また別の動きもありました。
仏教にはもともと護法善神(ごほうぜんじん)という考え方がありました。
仏教はインド発祥の宗教です。
仏教はインドの神々を仏教の守護神として取り入れていきました。
たとえばインドラは帝釈天となりましたし、四天王ももともとインドの神様す。このような仏教の守護神が護法善神です。

それならば日本の神様も仏教の守り神になるだろうということで、お寺の境内に神社を建てて、仏教の守護神とします。
でも神社は建物を建てるだけではダメです。神様の霊をどこかの神社から分けてもらわないといけません。それが勧請(かんじょう)です。
お寺の境内にある、神様を勧請した神社を鎮守社(ちんじゅしゃ)と言います。
このパターンでも、だんだんとお寺と神社が一体化していきました。
■日本の神様の正体■
平安時代になると、仏教側がまたすごいこと言い出します。
「神道の神は、じつは人々を救うために仏が姿を変えたものだったんだ!」
これを本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)と言います。
狭い意味での神仏習合は、この動きを指します。
「本地(ほんじ)」とは本当の姿。つまり正体である仏のこと。
「垂迹(すいじゃく)」とは仮の姿。つまり神の姿。
神に化けた仏を権現(ごんげん)とも言います。
例をあげておきます。
本地:大日如来(だいにちにょらい)
垂迹:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
本地:阿弥陀如来(あみだにょらい)
垂迹:八幡神(はちまんしん)
本地:大黒天(だいこくてん)
垂迹:大国主命(おおくにぬしのみこと)
本地:牛頭天王(ごずてんのう)=薬師如来(やくしにょらい)
垂迹:素戔嗚命(すさのおのみこと)
本地:弁財天(べんざいてん)
垂迹:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

こうして神社にも、神様の正体とされた仏様が祀られるようにもなり、ますます神道と仏教は一体化していきました。
昔はお寺の最高責任者を別当(べっとう)と呼びました。
そのため、神仏習合でお寺と一緒になった神社の最高責任者も別当と呼ばれるようになります。
■明治政府の命令で事態急変■
1868年、明治政府が成立とほぼ同時に、歴史をひっくり返す命令を出します。
「一緒くたになっている神社と寺院は別々になれ!」
神仏分離令(しんぶつぶんりれい)です。
江戸時代まではお寺ってかなりの力を持っていました。
そこから神道を分離して、国家の宗教にしようと目論んだのです。
神仏分離令は具体的に次のようなことを禁止しました。
・仏様や仏教関係の存在を神社の御祭神にしちゃダメ!
・神社に仏像を置いちゃダメ!
・神様に仏教の肩書をつけちゃダメ!
(たとえば「八幡菩薩」の菩薩など。)
・神社に坊さんがいちゃダメ!
こうして、奈良時代以来一体化していた神道と仏教は分離しました。
これってすごい変化です。当然、神社とお寺も分けられます。
しかし、神社にお寺の鐘が残ったままになったり、お寺に鳥居が残ったままで現在に至っている場所がけっこうあります。
私が「神社訪問記」などで、「鐘を見て、神仏習合の名残を感じた」などという場合は、この状態をさしています。
そして、一部の民衆は神仏分離令を拡大解釈します。
「寺を壊せ! 仏像を壊せ!」
そう思って、お寺を焼いたり、仏像を破壊したりします。
これを廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と言います。

拡大解釈というより、お寺への仕返しという意味もありました。
江戸時代はお寺が力を持ち、戸籍などをはじめ庶民を管理していました。中には横暴な寺があったり、ひどい坊さんもいたようで、「今がチャンス」とばかり、そういう寺をわざと攻撃した人もいました。
神道と仏教。
日本の長い歴史の中で一体化し、この百数十年で別々の道を歩んできた二つの宗教。
(どちらも厳密な意味で宗教かという議論は置いておきます。)
異なる宗教の共存を長く経験してきたからこそ、日本はあらゆる宗教に対して寛容なのだと感じます。
