神社:「式内社」、「延喜式内社」という言葉を見たらー何がすごいのか?
結論から書きます。
神社で「式内社」、「延喜式内社」という表示を見たら、
「ああ、昔の重要な文書に名前が書かれた由緒ある神社なんだな」
と考えてください。
それだけわかれば十分という方は、これから先の長文はスルーしてください。
■まず「延喜式」について理解しよう■
(下の方にまとめの図があります。人によっては、そちらを先に見た方が理解しやすいかもしれません。)
神社によっては、鳥居のかたわらの石柱やホームページに「式内社」または「延喜式内社」と記されていることがあります。
これは「延喜式という書物に、この神社は名前が記載されていますよ」ということです。とても由緒ある神社だということを示しているのです。
では延喜式とは何か? 実は高校の日本史で学びます。
式とは「法律の施行細則」のことです。
醍醐天皇が、延喜5年(905年)に編纂を命じたから延喜式です。
今度は「法律の施行細則」ってどういうこと?
という疑問が出るかと思います。
高校の日本史では「律令制(りつりょうせい)」について学びます。
古代の日本ではまだきちんとした法律が無く、大王(おおきみ。後の天皇)を中心に豪族たちが話し合って国を運営していました。
しかし、中国にならって、ちゃんと法律を整備して国を治めようということになりました。この法律が律令です。
律は刑法(どんな罪を犯したらどんな罰を受けるか)、令は行政法(どんな組織や役人で国を運営していくか)にあたります。
でも、律も令も大枠の法律なんですね。
たとえば現在、「消費税を5%に下げます」という法律ができたとしても、実際にどのようにその法律を世の中に適用するかについては、後で細かな規則を作らなくてはなりませんよね?
そのため、律令を実際に運営するための細かな方針が必要となります。
それが「式」です。
昔は宗教は大切でしたから、神社についても「式」にいろいろなことが記されるわけです。祭りの仕方とか、どこの神社を重視するかとか。
ついでにいうと、補足や修正などは「格(きゃく)」といいます。
両方まとめて「格式(きゃくしき)」と呼びます。

■式内社・延喜式内社は延喜式に記された神社■
延喜式の1〜10巻は「神祇式(じんぎしき)」と総称され、神社関係の決まりごとなどが書かれています。
そして、9・10巻を通称「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」と言います。

ここに、全国からピックアップされた神社名と、そこに祀られる神々の名前が書いてあります。
そして、ここに書かれた神社はいわば「国のお墨付き」の神社ということになります。
全部で2861社。神々の数は3132柱。
大和国の286社から薩摩国の2社まで、数にはかなりのばらつきがあり
ます。
■「比定社」、「論社」は式内社と推定される神社のこと■
延喜式はほぼ完全な形で残っているのですが、なにしろ作られたのが千年以上も前。
相模国の寒川神社のように、脈々と地域に根付き、確固たる地位を築いた式内社もある一方、現在のどこの神社につながるのかわかりにくくになる式内社もあります。
歴史の中で神社も変わっていくからです。名前が変わったり、場所が移ったり、御祭神が変わったり。
その場合、その地域の文献(『風土記』など)や、地域の文献や伝承などから「おそらくこの神社が、延喜式に書かれた○○神社だろう」と推定することになります。
この、推定された神社を「比定社」、「論社」と言います。
「比定」ということばは、「式内社の△△神社は、現在の○○神社と比定される」というような文章にも使われます。
推定なので、複数の比定社や論社が現れることもあります。
たとえば相模国の式内社「石楯尾神社(いわたておのじんじゃ)」は比定社が7社あります。これは比定社が多い例です。
そのような場合は比定社すべてが「式内社」を称するのがふつうです。
これは、「うち以外はニセモノ」と主張しているわけではありません。
それぞれの比定社には、それなりの根拠があり、ひとつに絞れないから各神社が「式内社」を名乗っているのです。
■もう一歩進んで(さらに知りたい人向け)■
では、式内社は何が特別なのでしょうか?
「国のお墨付き」とはどういうことなのでしょうか?
昔は、豊作を祈る祈年祭(きねんさい/としごいのまつり)が大変重要でした。祈念祭では神前に幣帛(へいはく)というものを捧げます。
ざっくり言うと、だいたい布や、布に手を加えた祭具だと思ってください。
現在の御幣(ごへい。下の写真)に近いものだったのかもしれません。

式内社には幣帛が国から支給されるのです。
そして、幣帛がどこから支給されるのかによって、式内社は次の二つに分かれます。
・官幣社…国の機関である神祇官から支給される。
・国幣社…地方役人である国司から支給される。
さらに、神社の重要度や影響力によって大社と小社に分けられます。
単純な敷地面積の大小での区分ではありません。
その結果、式内社は次の4つに分類されます。
・官幣大社
・国幣大社
・官幣小社
・国幣小社
ランクづけすると、この記載順になります。
官幣大社だったことを示している式内社もあります。
その場合、式内社だったことも併せて示すことが多いです。
なぜか?
明治政府がよけいなことをしてしまったからです。
明治政府は近代社格制度というものを制定し、神社を区分しました。
その区分は以下の通りです。
・官幣大社
・国幣大社
・官幣中社
・国幣中社
・官幣小社
・国幣小社
・別格官幣社
ランク順に記載しましたが、別格官幣社は国幣小社と同格とされます。
そして、延喜式と近代社格制度では、社格がリンクしていません。
つまり、延喜式では官幣大社だったけど、近代社格制度ではそうではない、あるいはその逆もあるわけです。
ですから、ただ「官幣大社」と示すと、延喜式での官幣大社か、近代社格制度での官幣大社かわからないわけです。
そこで神社によっては、より伝統と由緒がある延喜式の官幣大社だとわかるように示したりするのです。
なお、近代社格制度での上記の7区分は、国と関係の深い神社の分類です。
これを官社といいます。
各地域に素朴に根付いている神社は民社といい、次のような区分があります。
府社、県社、郷社、村社、無格社。
無格社は要するにランク外ということですね。
「権威とは関係なく地元で信仰され続けてきた」ということを示すために、「郷社」「村社」と示している神社もあります。
なお、近代社格制度は第二次世界大戦後に廃止されました。
そのため、「旧官幣大社」など、「旧」をつけるのが一般的です。
寒川神社のように、式内社でもあり、近代社格制度でも格付けされた神社は「式内社で旧社格は国幣中社」などと説明されることもあります。
この場合の旧社格というのは近代社格制度での位置付けのことです。
(寒川神社は延喜式では国幣大社)
式内社の官幣大社のような由緒ある神社も伝統を感じられていいのですが、郷社、村社と示してある神社もまた民衆に愛された歴史を感じることができていいものです。
