私は穢れてしまいました|洗い流すか補給するか?
つかれた…。
暑くて湿気が高くて、給料は半分近くに減らされているのに、仕事量はむしろ増えている(この国はどうなっているのか?)。
親の介護もある。
今日は、狭い路地を車で走っていたら、突然電気工事で通行止め。
迂回路がなく、後から来た車がどんどん溜まる。
警備員が慌てて誘導して、袋小路の入り口付近の車から大通りに出そうとしましたが、私は袋小路奥の方だったのでなかなか出られませんでした。
これでさらに心のエネルギーが削られました。
なぜ、袋小路の入り口に「車両侵入禁止」の立て看板を立てておかなかったのかが不思議です。
こうして私の気力ゲージはエンプティに近づきました。
気が枯れた状態。
近世の国学以降、これこそ「穢れ」=「気枯れ」ではないか?
という説が多くの学者(本居宣長、折口信夫など)によって語られてきました。
ことの真偽はとにかく、気が枯れてしまったのは確か。
国学的には、私は穢れてしまったようです。
神道的には、穢れたときには禊が定番。
でも、
「禊で穢れを洗い落とす」
というと、体に付着した何かを剥離させるイメージです。
「気枯れ」は逆に何かをチャージしないとならないイメージ。
『古事記』では、黄泉の国から帰還したイザナギが、川で禊をしたときに多くの神を産んでいます。
ということは、単に「何か」を体から剥離させたのではなく、水から「産み出す力」を得たのでしょう。
だとすると、水に入ることは「洗い流す」か「チャージするか」の二者択一ではなく、「洗い流す水に含まれるエネルギーをチャージすること」とも言えます。
そう考えて、さきほど水風呂に入りました。
そして冷シャワー。
洗い流す水のエネルギーをチャージ。
でも、少々チャージが足りないようです。
この後、御神酒を飲んで、体内にも直接エネルギーをチャージしたいと思います。
今日はこれにて失礼。

