見出し画像

【小野神社|小町神社】相模の式内社と、小野小町を祀った神社

すっかり寂れてしまったような式内社、小野神社。しかし、小野地区の人が長い歴史の中で小野神社を守り続けてきた名残が見られました。
それは歴史の余韻のようでした。
そして、小野小町出生、終焉の地であるという伝説から生まれた小町神社。
歴史と伝承が溶け合う地域で二つの神社は静かに鎮座し続けています。


小野神社(おのじんじゃ)|別名:閑香明神社(かんかみょうじんしゃ)
神奈川県厚木市小野428/駐車場無料・トイレなし
公式ホームページ:https://www.kanagawa-jinja.or.jp/shrine/1207105-000/ 
※神奈川県神社庁の神社紹介ページ

小町神社(こまちじんじゃ)
神奈川県厚木市小野2200/駐車場無料・トイレあり
公式ホームページ:なし


■小野小町との関係■

由来が不明のことってたくさんありますよね。
たとえば「世界三大美人」。
・エジプトのクレオパトラ。
・中国の楊貴妃。
・日本の小野小町。

小野小町が世界的にそんなに有名なわけはなく、これは日本でしか通じない「世界三大美人」。
だれが言い出したことやら。
あ、いちおう確認ですが、小野小町は平安時代の歌人です。9世紀ころの人。

その、小野小町の生誕地や終焉の地も、日本各地に存在します。由来もそれぞれ。
そのうちの一つが、厚木市の小野地区。
ここに鎮座する小野神社は堂々たる式内社です。

《相模国の式内社》太字は「神社訪問記」で投稿済みの神社。
1.寒田さむた神社(松田町)
2.川勾かわわ神社(二宮町)
3.前鳥さきとり神社(平塚市)
4.高部屋たかべや神社(伊勢原市)
5.比々多ひびた神社(伊勢原市)
6.阿夫利あふり神社(伊勢原市)
7.小野おの神社(厚木市)
8.大庭おおば神社(藤沢市)
9.深見ふかみ神社(大和市)
10.宇都母知うつもち神社(藤沢市)
11.寒川さむかわ神社(寒川町)
12.有鹿あるか神社(海老名市)
13.石楯尾いわたておの神社(※注記1参照)

※注記1:候補地が相模原市に4ヶ所、大和市、座間市、藤沢市にそれぞれ1ヶ所の合計7ヶ所ある。このような式内社の候補神社を論社(ろんしゃ)または比定社(ひていしゃ)と呼ぶ。

この神社は小野小町とは直接の関係はありません。
しかし、この近くには、小野小町を御祭神とする小町神社が存在します。
「小野」という地名から、このあたりが「小野小町生誕の地」であり、「終焉の地」という伝承が生まれたようです。

今回は、小町神社と合わせて訪問記を綴っていきます。

■素朴だけれど、手入れの行き届いた社殿■

地元の方々の手が入っているとはいえ、相模の式内社の中ではだいぶ寂しい感じです。

駐車場へ続く道。草が伸びた駐車スペース2台。そこまで手入れができないのは仕方ない。

この日、他に参拝者は誰もいませんでした。
というより、近隣に人が歩いていない。
車もたまに通るくらい。

小野神社の入り口。道路からすぐ。

しかし、手水舎はけっこう新しいようで、とても綺麗です。
ふつうに手と口を清めました。

綺麗な手水舎。
手水舎の水も綺麗。

さらに手水舎の、阿吽の獅子の彫刻に躍動感があります。
白目に黒い瞳を描かれ、口の中が赤く塗られて、命を吹き込まれたのでしょう。良い彫刻です。
氏子さんたちが協力して新しい手水舎をしつらえたと思われます。

手水舎左側の吽形の獅子。
手水舎右側の阿形の獅子。

そして、社殿に拝礼。
社殿もよく手入れされています。

拝殿。

扁額には「閑香大明神(しずかだいみょうじん)」という、別名が書かれていました。

社殿の龍の彫刻も、白目に黒い瞳、赤い口です。
先ほどの手水舎の彫刻と同じ方が作ったのかもしれません。

吽形の龍の彫刻。
阿形の龍の彫刻。

拝殿から振り返ると、こじんまりとした境内全体が視界に入りました。
鳥居の向こう側には農地が広がっています。
素朴な田舎の神社という感じで、ここがかつて式内社だったと感じさせるものは何もありません。

拝殿から境内を見る。

拝殿の後ろの本殿は少々変わった形状。
下に行くほど広がる、台形のような建物です。

台形のような形状の本殿。

裏手には、かつての社号標や灯籠などが柵で囲われて大切に保存されていました。
このようなところにも、氏子さんたちが小野神社を大事にしていることがうかがえます。

古い灯籠や社号標などが展示物のように保存されている。歴史を感じる。

末社もあり、注連縄しめなわ紙垂しでが飾られています。
「現役」のやしろのようです。

三つの神社が並んだ末社。

稲荷社は少々老朽化が進んでいました。
氏子さんたちも苦労している様子がうかがえます。

社殿の裏手にある稲荷社。

■立地に違和感を覚える■

どうもしっくり来ません。
式内社にしては、立地が平坦すぎるのです。

そこで、後日、地理院タイルを使って赤色立体地図と陰影起伏図を合わせた地図を作成。
式内社である小野神社が、丘陵に囲まれた低地に鎮座しています。
これはおかしい。そんな立地の式内社があるはずありません(個人の見解です)。

調べてみると、小野神社は山の上から平地に移されたことがわかりました。

旧・小野神社(延喜式に記された場所)と現在の小野神社。さらに小町神社。

江戸時代末期、山の上まで急な坂や階段を登って参拝したり、祭礼の維持管理を行ったりするのが村の住人にとって負担となりました。
そこで、集落からアクセスしやすい現在の平地に遷されたようです。

そして、AIを使って計算してみたところ、旧・小野神社からは、春分と秋分の日に、ちょうど富士山と大山の中央に夕陽が沈む光景が見られたことが判明しました。

しかも、年に2回、ダイヤモンド富士も見られたようです。
旧・小野神社の立地なら式内社にふさわしい。

旧・小野神社から見た、春分・秋分の夕日。左が富士山、右が大山。

しかし、貴重な式内社を存続させるために、この立地を諦めてまで、地域の方々が遷座したというわけです。

もっとも当時の方々が式内社という意識を持っていたかどうかはわかりませんが、小野神社を大切に大切に大切にしてきたことは間違いなさそうです。

■小町神社の謎■

小野神社の近くにある小町神社は、標高100メートルほどの小町山(小町緑地)の上。駐車場から歩いて5分ほどです。

駐車場にあるトイレの近くの登り口。
道は整備されている。階段になっている箇所もある。

パーツがやけに細い鳥居をくぐって、右の方へ進むと小さな社殿が見えてきます。

小町神社の鳥居。パーツが細い。

創建は不明です。
小町神社の説明板に書かれている由緒をまとめると、次のような内容。

小町神社社殿。御祭神は小野小町。

時は鎌倉時代。
源頼朝の側室である丹後局(たんごのつぼね)は頼朝の子を身ごもりました。
それを知った正室の北条政子は大激怒。丹後局を殺すように、御家人の畠山重忠に命じます。
しかし、畠山重忠の家来の本田次郎が、丹後局を大阪に逃しました。
ところが、その伝承とは別に、厚木の小野地区では、地元の豪族であった愛甲三郎季隆(あいこうさぶろうすえたか)が丹後局をかくまったとされています。
かくまわれた丹後局は、北条政子への恐怖から髪の毛が真っ白になってしまいました。
そこで、この地で生まれ、この地で生涯を終えた小野小町の霊に祈ったところ、黒髪に戻りました。
以降、小野小町を祀る小町神社が創建されました。

この由来なら創建は鎌倉時代。
室町時代には記録があるようですが、鎌倉時代の記録はなく、あくまで伝承です。

なお、愛甲三郎は小野妹子の子孫とされます。
小野小町も小野妹子の子孫とされますから、愛甲三郎に関連づけて、小野小町がこの地で生まれて亡くなったという伝承が生まれたのかもしれません。

小町神社の小さな境内には、小野小町の墓とされる小町塚も存在。
これも伝承。

小町塚。ふつうの盛り土に見える。小野小町の墓にしては素朴すぎる気が…。

境内から西の方へ少し降ると、眺望が開け大山が真正面に。

小町神社近くから眺めた大山。太陽がけっこう大山山頂の真上に近い。

いったん駐車場の方へ戻って、逆方向の高松山登山口の方へ少し歩くと、小野小町が化粧水を調達していたといわれる小町井戸もあります。
もう水は枯れていて、蓋がされています。これも伝承。

小町井戸。

式内社の小野神社と、伝承が折り重なった小町神社。
全国的にはまったく知られていない地域ですが、そこには深い歴史が刻まれています。
きっと全国にはそのような地域がたくさんあることでしょう。

■御祭神■

【小野神社】
日本武命(ヤマトタケルノミコト)

【小町神社】
小野小町(おののこまち)



いいなと思ったら応援しよう!