思い出には副作用がある
寝たきりの状態になった時、
癒してくれるのはお金ではなくて思い出だよ
そんな言葉を聞いて「そうだよな」と思っていたのですが、
……いや、そうなのか?
最近疑問に感じ始めました。
だって、
幸せだった記憶ほど、後から自分を刺してくる。
例えば、失恋後。
ふとした他人の言葉で当時のことが蘇ってきたり。
一緒に行った場所に来た瞬間、当時の楽しかった時間が鮮明に思い出されたり。
恋人に限った話ではありません。
かつての親友や同級生もそうです。
高校生の時、みんなで楽しく遊んだ奈良県。
この間たまたま奈良駅に降り立った時。
つい先ほどまで忘れていたのに、涙が込み上げてくるほどに強烈なフラッシュバック。
自分だけが先に帰らざるを得ず、みんなに見送ってもらったのが奈良駅でした。
切なくなりました。
楽しければ楽しいほどに「あの時間はもう二度と戻らないのだ」と思い知らされるからです。
悪化してきた「思い出アレルギー」
花粉症みたいに、名前をつけてしまったのが運の尽き。
一度こんな症例を知ってしまったら、みるみるうちに発症してしまう。
私はとうとう、
思い出アレルギーに反応してしまうようになったようです。
例えばキャンプ。
先日、初対面の10人で1週間のキャンプに行きました。
1週間も森の中で暮らせば、仲良くならない方が難しい。
自己開示もたくさんしてものすごく幸せなひとときでした。
でも、キャンプ中どうしても考えてしまうのです。
キャンプが終わったら、もう二度とみんなで語り合うこともないのだと。
キャンプ中は全員本気で「また絶対みんなで集まろ!!」と約束します。
でも私は知っています。
その約束が守られることの方が少ないことを。
キャンプが終われば、日常に忙殺されて予定が合いません。
キャンプが終わって、別の友達と旅行にでも行ってしまう頃には感情は上書きされて「そんなこともあったね」と昔のことのように懐かしくなるのです。
まだ1週間しか経っていなくても。
そういう経験をたくさんしてきてしまったから、
キャンプ中から「そうは言ってもこれが最後なんだろうな」としみじみ考えてしまうのです。
なぜこれがちょっと嫌だと思っているかというと、
今この瞬間を存分に楽しめなくなってしまうから。
終わった後の寂しさを先取りしてしまう。
幸せな最中なのに、幸せの後遺症を怖がって未来の喪失感を同時に味わってしまうから。
楽しさの代償
考えてみれば、
幼い頃から楽しいひとときが終わるのを怖がっていたように思います。
友達を家に招いて遊んだ後。
みんなが帰って散らかった部屋を片付けるときの喪失感。
母から言われた「さっきまで楽しく遊んでたんだから勉強やらないと」という言葉。
みんなで遊ぶ時間が終わったら、
またあの孤独に苛まれるのかと億劫に思った記憶があります。
ーー中学に上がってもまた鬼ごっこしようね!
そうやって別れた小学校時代、
既にそんな機会が二度と訪れないだろうというのは薄々気付いていました。
自分自身、
かつての親友が陸上部に入ったと聞いて、鬼ごっこをやりたいとは思わなくなってしまったのですから。
賞味期限切れの約束
私がいつも気になるのが、「未来の約束」の時効。
つまり、いつ消滅するのかです。
「来月、一緒に遊園地行こう」と交わした約束は、
その直前に喧嘩をしたら破棄されるのでしょうか。
それとも、
喧嘩中だけど一旦遊園地は行こう、と会うきっかけにできるのでしょうか。
私は後者です。
でも先日言われました。
「今、二人で行っても楽しくないと思うから」と。
もう予約はしちゃっているので行きましたが、
そんなことを言われてしまうと一人で行ったらもっと楽しくないのです。
このすれ違いがなぜ起きるのかを考えました。
確かに、喧嘩中なら一緒に行っても楽しくないでしょう。
その友達には「遊園地を一緒に楽しみたい」という目的があったのです。
一方の私は、
「親友と一緒に過ごしたい」と思っていたのだと思います。
そのため、遊園地でなくても会って話しあえる時間を欲したのです。
卒業式の時に一緒に写真を撮ろうとした約束が果たされなかったり。
どんな時でも話し合いはしようと決めていたのに、結局未読無視をされ続けたり。
あの時向けてくれた笑顔や言葉は、本物だったはずなのに。
思い出の棘が心にチクッと刺さって痛みます。
幸せの呪いにかかって生きていく
頭ではわかっています。
何十年も経ったあとで振り返れば、それも良い思い出だと思えるはず。
だから答えは簡単です。
思い出の副作用に怖じ気づかずに、
せっかくはしゃげる今を思う存分味わい尽くすしかない。
あの人とのご縁が終わって苦しくなり始めたら、
より一層別の友達との今の楽しさに浸っていく。
幸せは、いつか痛みに変わる。
呪われる覚悟を持った上で私は、未来の自分にこの傷跡を残して本気で笑って生きたい。
