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🌞太陽神と神話の光・見えない世界の太陽

朝日の光は、単なる自然現象ではない。
古代の人々にとって、それは神の顕現だった。

太陽を見上げるとき、
そこには『天の中心』や『宇宙の心』を観たのが
日本人の信仰の原点だ。
その象徴が””天照大神””である。


今の私たちでも、当たり前に”在る”存在だけれど、、
誰かに教えてもらった訳ではないけれど、
その光に感謝することを自然とやってる人も多いのではと思う。
私もそのひとり。
けれど、現代の日本では、私を含め、あえて時間をとらないと
日々、時間に追われて、目の前のことに意識を取られて
そんな当たり前に”在る”存在すら、当たり前すぎて、
『ありがとう』がなかなか出てこないことも。。

🌞太陽は“神の眼”



天照大神が天岩戸に隠れたとき、世界は闇に包まれた。


光が失われたとき、人は初めて『光の尊さ』を知る。
神話はそれを、ただの物語ではなく『宇宙の真理』として伝えている。

天照とは、『天(あま)に照らす』存在。
それは”外の太陽”であると同時に、
人の心の奥で輝く”内なる太陽”でもある。

闇に沈む時こそ、
その光はうちから立ち上がる。
私たちが朝日を見つめるとき、
それは外界の太陽を通じて自分の魂の太陽を呼び覚ましているのだ。

🌞空海と”光の道”

密教の祖・弘法大師空海も、太陽を”悟りの象徴”として扱った。

空海はこう語る、、。。。
『光は叡智なり、火は即ち覚(さとり)なり。』

彼にとって太陽とは、
宇宙そのものを体現する存在”大日如来”であった。

大日は『すべてを照らす光』、
つまり”見えない世界の中心”を意味する。

太陽の光が全て明るくするように、
大日如来の光は人の心を照らし、
無明(=迷い)を焼き尽くす。

空海が高野山に伽藍を建てたとき、
その中心軸には、”太陽の道”が通るように設計されたという。
光の通路は、外界と内界をつなぐ祈りの道。
それが、彼の説いた『即身成仏』の象徴だった。

🌞太陽信仰と神仏習合

太陽神・天照大神と大日如来はやがて神仏習合によって一体化されるようになる。

つまり、天照=大日如来

神道の『光』と仏教の『智慧』が交わった瞬間である。

日本ではこの融合を”本地垂迹(ほんじすいじゃく)”という。
『本地』=真理そのもの。
『垂迹』=その真理が形を変えて現れる姿。

大日如来(宇宙の光)が”天照”という神として現れる。
それが日本の太陽信仰の本質だ。

太陽とは、神仏の垂迹。
そして、人の魂の原型。

神と仏が同じ光を指していたと気づくとき、
私たちは『見えない太陽』を思い出す。

🌞見えない世界の太陽

人は、夜明けの太陽を見上げて”希望”を感じる。

しかし本当の太陽は、空の上ではなく、心の奥にある。

それは、苦しみの中でも燃え続ける小さな火。
悲しみの中でも沈まない光。

太陽は沈んでも、消えない。
同じように、魂の光も決して失われない。

外の太陽は昇り沈みを繰り返すが、
内なる太陽は永遠に燃え続ける。
その光を”見えない太陽”と呼ぶ。

そして、それこそが、
神仏が人間の中に残した『神性」の証なのだ。

🌞結びに

私たちは、太陽の光を浴びて生きている。

けれど本当は、、、、、
太陽そのものが、私たちの中に宿っている。

外の太陽が内を照らすように、
内なる太陽は心を照らす。

火曼荼羅の教えでいうなら、
『外なる火』は行動の力、
『内なる火』は魂の光。

その二つが響き合うとき、
人は本当の意味で”生きている”と言えるのだ。

これからの時代、人のに答えを求めるのは終わりをむかえる。
内なる光を忘れずに、、
外の光の力を最大限に受け取り、
自分の存在が今ここに”在る”!
そして、わたしが私の光を大切に活かしながら、
人生を作り上げていく流れなのだと私は思う。

すべての答えは、『内側に在る』
とてもシンプル。

今日もありがとうございました!1
またね。

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