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それって「親子ゲンカ」って言葉で終わらせていいの?~言葉への違和感~

私は、小学校で指導教諭をしています。

教師と保護者の2つ視点から、
『家庭でもできる教育の一工夫』を発信
しています。

娘の習い事で保護者が…。

先週末の
娘の習い事でのことです。

練習の休憩中、
子ども(保育園児)が怒った様子ですみっこに座っていました。

お姉ちゃんの練習に付いて来た子です。

私は、その子とよく話をするので、
様子を聞こうと、近づくと、
走って逃げ去って、会話ができませんでした。

そこへ、その子のお母さんがやってきて、
「さっき私とケンカしたから怒ってるんです。」と教えてくれました。

「なるほど、だから怒っていたのか。」と思うと同時に、
お母さんと子どものやり取りに対して、
「ケンカ」という言葉を使うことに違和感を覚えました。

もう少し話を聞くと、
練習の邪魔になる行為をしていたので、
注意をしたと言うのです。

すごく大切な声かけだと思うのです。

それを、親の立場から、
「ケンカ」と捉えてしまうことに危険性も感じました。

これは、
「しつけ」
「注意」
「正しいことを教えている」
「指導」です。

確かに子どもは素直に受け入れることはできませんでしたが、
「ケンカ」ではないと思います。

上の本の題名「ことばが変われば社会が変わる」と同じ考えです。

言葉によって、捉え方が変わるのです。

言葉が変われば、相手の態度も変わるのです。

学校でも…。

以前、学校でも似たようなことがありました。

朝から不機嫌な子がいました。

わけを聞くと、
「お母さんとけんかしたから…。」というものでした。

このように、
子どもが、親と「ケンカした」と言う言葉を使っているのをよく聞きます。

親から叱られた。
親から注意を受けた。

ではなくて、
親の正しい声かけも、
喧嘩とみなされているのです。

親子ゲンカというけれど…。

「親子ゲンカ」という言葉には、
どこか親と子が対等に言い合っているようなニュアンスがありますよね。

小さな子どもとのやり取りを「親子ゲンカ」と呼んでしまうと、
親の立場がフラットになりすぎて、
責任や導き手としての役割まで対等にしてしまうような危うさもあると感じています。

また、親が声をかけたのに、子どもがそれを受け入れない場合、
「ゲンカだったから仕方ない」と正当化してしまうような危険性も含んでいるかもしれません。

また、「ケンカ」というと
正しい声掛けを「勝ち負け」で判断してしまうという危険性も感じます。

考えすぎでしょうか。

ただの言葉の使い方の問題で、
「親子ゲンカ」と発する人は、そこまで考えていないのでしょうか。

しかし、やっぱり
「ことばが変われば社会が変わる」
だと思うのです。

小さい子どもに「ダメなものはダメ」と伝えるのは、
まさに親の役割であり責任ですよね。

その中で、子どもが感情的に反発したり泣いたり、怒ったりするのは自然な反応です。

「これは、親子ゲンカではありません。大切なことを伝えているのです!注意です。」
と堂々と伝える方が私はしっくりきます。

最後に…。

子どもが成長して思春期以降になると、
意見も自立してきて、親と本格的な対話や衝突ができるようになるので、
そのあたりから「親子ゲンカ」という言葉がしっくり来るようになる気がします。

子どもが小さいうちは、
「ケンカ」ではなく、
「しつけの一環」「境界線を伝える関わり」
というニュアンスで捉えるほうがよいと思っています。

ダメなものはダメなのです。

言葉は意識をつくります。
どう呼ぶかってすごく大事だと思っています。

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