最後のパーカー
先日、性病の検査に行ってきた。
全くもって健康だが、大人のお店に行く機会があったので念のためだ。
昨年、無職だった私はシャレになるかと思って誕生日に検査を受けに行った。
採血の注射がやたらと痛かったことと、検査の数日後、スマートフォンで検査結果が陰性であることを確認し、とても安心したことをよく覚えている。
振り返るとタチの悪いシャレだ。
身体に悪いところでも見つかれば生活にハリが出るとでも思っていたのか。(まあ、陰性の結果を見るまでの間、多少緊張感はあったと思う。)
とにかく、今の私としてはそういう気持ちで受けるものではないと思っている。
今回検査を受けようと思ったきっかけは、知人とそういう機会があったからだ。
「そういうって?何?」とか聞くなよ?
どうしてもわからない人はもう寝なさい。
話を戻すが、自分が感染していた場合、自分の今後のことも心配だが、何より知人に迷惑がかかる可能性があることを考え始めたら心配でしょうがなくなってしまった。
もし、一生付き合っていくタイプの病に感染していたとしたら、おれはこれからどう生きていけばいいのだろうか、何より知人に対してどう向き合って生きていけば良いのか、と本気で考え始めてしまった。
こういう時に「まあ、大丈夫でしょう。」と思える性格をしていればいいのだが、そうではないから困ったものである。
不安になってからは感染した場合の初期症状などを調べまくり、最近、身に覚えがないか、記憶をたどってみる。(なんでこういうときわざわざ不安になることをしてしまうんだろうか…。)
「ん…!そういえばあの時のあの痛みは初期症状だったのでは…?」と疑惑を見つけてしまったが最後、仕事中だろうがシャワーを浴びているときだろうが、一瞬それが頭を過る度に背筋が凍る思いをしていた。
勝手に自分で疑い、自分で不安要素を見つけ、それを証拠に不安で自分を追い詰め、不安から逃げる日々を過ごしていた。
まるで一人で刑事と犯人をやっているようだ。
そんな日々に嫌気がさし、検査を受けに行こうと思って、スケジュールを確認していると、ちょうど会社の誕生日休暇制度で誕生日が休みになっていることを見つけた。
かくして、昨年タチの悪いシャレをかました日に自首、いや、検査を受けることにしたわけである。
昨年はシャレだった。でも今年はマジだ。
もう、心持ちが全然違う。
今回は恐ろしくて検査を受けるのをやめようかとさえ思った。
とはいえ、この不安を抱え続けるのも無理だと思い直して靴を履き、いやしくも楽になりたい一心から電車に乗った。
そして、少しばかりの正義感を建前にして病院の入り口までやっと足を運んだ。
受付を済ませて番号札をもらう。
すぐに呼ばれて採血を受ける。今回は全然痛くない。
そういえば前回はやたら元気な感じのおてんばお姉さまだったのに対して、今回は包容力のありそうな柔和なお姉さんでとっても丁寧だ。
前回の採血で感じた痛みに怒りが湧いてきたが、自分を抑えて待合室で大人しく検査結果を待つ。
今回はすぐに結果が知りたかったので、即日に結果が出るものにしてもらった。一応、書いておくと即日ではないものと検査の精度に差はない。
あぁ、生きた心地が全然しない。
結果が出るまで30分以上かかることがわかっていたため、本を持ってきていたのだが全くもって読む気にならない。
ネガティブな事ばかり考えてしまい全く集中ができない。
手持無沙汰も落ち着かないので、なんとなくスマートフォンをいじりながら待つ。
そうしていると、自分と異なる番号の人が何人か呼ばれていった。
そして、院内スタッフに直接呼ばれている人と、院内アナウンスで診察室に呼ばれている人の二種類が存在していることに気付く。
「ハッ…。これは、診察室に呼ばれた場合は陽性、直接呼ばれた場合は陰性なんじゃないか…?」と勝手に推理し始める。
今考えると完全に思い込みだ。
だが警察(自分)は犯人(自分)に告げる。
「次はお前がアナウンスされる番かもなぁ!『サー…』ってちょっとノイズが流れる度に震えるがいい!!」
犯人(自分)は悲鳴をあげるしかない。内心、自首を試みたんだからそこまでしなくてよくないでしょうか、と警察(自分)と病院に対して思っているがそんなことを言える立場ではないと縮こまるしかない。
ああ…もう…大人のお店に行かなきゃよかったぁぁぁあ…!!
まあ、結果陰性だったからこんな感じで書けているわけで。
採血をしてくれた方に直接結果を告げられ、肩をなで下ろしていると、気の抜けた顔が可笑しかったのか、少し笑われてしまった。
追い詰められたとき、リスクを伴う楽しい思い出も、後悔になり得ることがある。
リスクと楽しさはトレードオフといえばそれまでなのだが、なかなかバランスが難しい。
今回でいう大人のお店や、そういったことに付随するリスクを否定をしたいわけでも、差別もしたいわけでもない。
私にとってそれは楽しい思い出だし、救われた日もあったから。
大げさかもしれないが、それが日々を楽しく生きようと思った誠実な選択であって、結果に対して誠実に向き合ってさえいればいいと思いたい。
知人に検査に行って生きた心地がしなかったことや、病院の人に笑われてしまったことを冗談交じりに話したら「やっぱり、変わった人だよね」と言って笑っていた。
何に対して変わっていると思ったのかは聞かなかった。
「やっぱり」なおれでも、彼女は一緒に過ごしてくれている。
それならわざわざ聞かずに、意識せず私はそのままでいればいいのだろう。
警察は推理する。今、笑って話せているのは自分なりに誠実でいられたからかもしれないと。
そして、それを犯人に言い聞かせながら、パーカーをかぶせてやっていた。
