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4回目の内観体験 ― 断食内観で思い出した「母に抱きしめられた感覚」


今回は、4回目の集中内観の体験について書きたいと思います。

前回、3回目の内観が終わった後に参加者同士の座談会がありました。そのとき、断食をしながら内観を行ったという男性の方がいました。

その体験談を聞いて、「自分も次は断食で内観をやってみよう」と思うようになりました。

そして、前回の内観から半年ほど経ったお盆の時期に、前回と同じ瞑想の森内観研修所で、断食での集中内観に参加することにしました。

内観の概要については、前回の記事の内容をそのまま掲載します。


集中内観(内観療法)とは

私はこれまでに複数回、「集中内観」を体験してきました。
この記事では、その体験の一つについて書いています。

「内観」と聞くと、一人で自分を振り返る行為をイメージする方が多いかもしれません。
しかし私が体験した内観は、「集中内観」あるいは「内観療法」と呼ばれるもので、施設に泊まり込みで行う、非日常的な自己洞察の方法です。

集中内観とは、1週間すべての時間を使って過去の自分を調べ、自分自身を知る方法です。

その間、読書やスマホの使用は禁止されます。ある意味では極限状態に近い体験と言えます。

これを一人で行うのは普通は難しいため、内観を行うための施設「内観研修所」があります。

内観は吉本伊信先生によって創始された自己洞察法(精神療法)です。
研修所に1週間泊まり込み、情報を遮断した状態で行います。

研修所に到着すると、まずやり方の説明を受けます。

その後、屏風で区切られた半畳ほどのスペースに入り、決められたルールに従って過去の自分を調べていきます。

調べる際のルールは、相手と期間を決め、その相手に対して

①していただいたこと
②して返したこと
③迷惑をかけたこと

この3つの観点で自分を振り返る、というものです。

調べていると、1~2時間おきに面接者と呼ばれる方が来ます。その時間に調べた内容を報告します。

報告は例えば次のように行います。

「今の時間、母親に対しての0歳から6歳までの自分について調べました。」
「していただいたことは、保育園におんぶして送ってくれました。」
「して返したことは、買い物袋を持つのを手伝いました。」
「迷惑をかけたことは、ふざけて料理に洗剤を入れようとして困らせました。」

このように報告し、次の時間に何を調べるかを伝えて面接が終わります。

なお、「していただいたこと」は感謝の気持ちとは切り離して考えます。
一度でもご飯を作ってもらっていれば、それは「していただいたこと」として挙げることができます。

面接者の方は、全身全霊で報告を傾聴してくれます。しかし、内容についての質問やアドバイスは基本的に一切ありません。

この流れを1週間繰り返します。

食事は研修所で1日3食用意されます。
入浴の時間も1日1回あります。
朝には研修所の掃除をする時間があります。

それ以外の時間は、基本的に内観をすることだけに使います。

1週間が終わると、その週の参加者が集まり、簡単な感想を話す座談会が行われます。これで研修が終了となります。


断食で内観をした理由

内観を進める中で、自分が母親との関係に何か問題を抱えているのではないかと感じていました。

その中でも、特に気になっていたことがありました。

私は「母親に抱きしめられた」という記憶がないのです。

これまでの3回の内観を通して、理屈としては「抱きしめられたことはあるはずだ」と思えるようにはなっていました。しかし、実感としての記憶がどうしても出てきませんでした。

そこで、前回の座談会で聞いた話をきっかけに「断食という自分を追い込んだ状態で内観すれば、その記憶を思い出せるのではないか」と考えたのです。

言い換えると、これまでの内観も含めて、私の大きなテーマは
「母親に抱きしめられた感覚を思い出したい」
ということだったのかもしれません。


断食内観の実際

1週間の断食といっても、7日間ずっと何も食べないわけではありません。

私のときは、次のような流れでした。

初日は軽い食事。
その後、4日間ほど何も食べない期間があります。
そのあと、回復食として

おかゆ → 少し重いおかゆ → 柔らかいご飯

というように徐々に食事を戻していきます。

7日目には量は少ないものの、ご飯を食べることができました。

*脱線ですが、当時は、内観研修所特製の酵素ドリンクが出るという説明がホームページにありました。東日本大震災の影響だったのか、そのメニューはありませんでした。それが少し残念だった記憶があります。


*さらに脱線ですが、内観終了後、帰宅時にファミレスでパスタを食べました。その時、いつもなら苦なく食べられるパスタが非常に重いと感じました。

断食をしたことで、胃腸がまだ通常の状態には戻っていなかったのだと思います。

また、せっかく断食をしたのに、普段飲食しない、コーラやカップラーメンなどジャンクなものを無性に食べたくなり手を出してしまった記憶があります。これ断食で体に何か変化があった影響な のかもしれません。


何も出てこないまま最終日へ

断食で内観を続けていれば、母親との関係について何か深い気づきが出てくるのではないかと思っていました。

しかし、なかなかうまくいきません。

いくら必死に母親との関係を調べても、出てくるのはすでに思い出していたことばかり。新しい記憶は何も出てきませんでした。

「このまままた1週間が終わってしまうのではないか」

そんな気持ちになりながらも、せっかく来たのだから最後まで全力でやろうと思いました。

そして迎えた最終日。

内観の終了時間は12時です。

残り時間は、あと30分ほどでした。

朝からずっと考え続けていましたが、やはり新しいことは思い浮かびません。

「もう30分か…もうダメか」

そう思っていたときでした。


母の声

そのとき、どこからともなく声が聞こえてきました。

母が、私の名前を呼ぶ声でした。

次の瞬間、私は自分の体がゆっくりと「おにぎりのように包まれる」ような感覚を体験したのです。

「ああ、これが母に抱きしめられた感覚なのか」

何が起きたのかわからず、そのことを理解したのはその感覚が去った瞬間のことでした。

こうして、断食内観によって、今回の内観の一番の目的だった
「母親に抱きしめられた感覚を思い出す」
ということが達成されたのです。

不思議な体験でした。


子どもを抱いたときに思ったこと

その後、自分に子どもが生まれたとき、ふと思ったことがあります。

「自分は、子どもをうまく抱っこできるだろうか」

実際に抱いてみると、子どもの体をおにぎりのように包む形で抱くと、子どもが落ち着いて眠ってくれることに気がつきました。

その抱き方は、内観で思い出した感覚にとても近いものなので、自分が抱かれていたやり方を子供にもするのが一番しっくりくるのかななどと思いました。

その感覚は、もしかしたら断食という極限状態の中で脳が作り出した幻だったのかもしれません。

それでも、その体験によって私は
「自分は母親に抱きしめられたことがある」
と確信できるようになりました。


しかし、その後の人生は…

このような衝撃的な体験をしたため、私は「この内観をきっかけに人生は大きく変わり、これからはうまくいくに違いない」と期待し研修所を後にしました。

ところが、この内観の後、私は仕事においてこれまでで一番つらい状態に追い込まれることになります。

そして、4回目の内観から半年も経たない年末に、私は5回目の内観へ行くことになります。

その体験については、また別の記事で書こうと思います。

この記事が少しでも面白い、あるいは良かったと思っていただけたら、コメントなどいただけると嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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