ありがとうをあなたへ
あのとき、ありがとうって、どうして言えなかったんだろう。
今になっても、ときどき思い出す。
思い出しては、胸の奥が少しだけ、きゅっとなる。
「別にいいよ」って、あなたはきっと笑うだろうけど。
だけど私の中には、あの一言を言わなかった後悔が、まだずっと残ってる。
中学の頃だった。
人付き合いが得意じゃなくて、いつも一歩引いたところから周りを見ていた私に、あなたはあっけらかんと声をかけてくれた。
「一緒に帰ろう」って、何の前触れもなく言ってきたとき、正直、どうしたらいいかわからなかった。
でも、うれしかった。
その日から、放課後の道に少しだけ色がついた。
帰り道、あなたはたくさん話す人だった。
部活のこと、テレビのこと、家族のこと。
私は相づちを打つばかりだったけど、それでよかったみたいで、あなたは毎日、飽きずに話しかけてくれた。
ある日、ふいに聞かれた。
「なんでそんなに黙ってるの?」
困って、笑ってごまかした。
本当は話すのが下手で、自信がなかっただけなんだ。
あなたみたいに明るくて、みんなに好かれてる人の隣にいるのが、申し訳ないくらいだった。
でもあなたは、何も言わずに「そっか」と笑って、それからもずっと、変わらずに隣にいてくれた。
卒業が近づいて、だんだん会う時間も減っていった。
私は進学先が違ったし、あなたも忙しそうだった。
「また会おうね」って言葉は、どうしてあんなに簡単に言えたんだろう。
本当は、それが最後になるかもしれないなんて、わかっていたはずなのに。
結局、私たちはそれっきり会わなかった。
連絡先も交換してなかったし、写真も残ってない。
でも、今でも思い出す。
あの帰り道。
夕焼けに染まった道に、あなたの笑い声が重なっていた日々。
あれは、ほんの短い時間だったはずなのに、私の中では、いつまでも消えない光のように残ってる。
何気ないひとことで、誰かを救うことがある。
あなたが私にしてくれたみたいに。
あの頃の私は、あなたに出会って、少しだけ変われた。
誰かの隣にいてもいいんだって、思えた。
だから今になって思う。
たったひとこと、「ありがとう」って言えたら、どれだけよかっただろう。
あなたはきっと、もう私のことなんて覚えていないかもしれない。
でも、私はずっと覚えてる。
誰かが自分を認めてくれた、あのあたたかい時間を。
ありがとう。
直接は言えなかったけど、心の中で、何度も繰り返しながら生きている。
あの頃の自分にも、
そして、あのとき笑ってくれたあなたにも、
今、ようやく言葉にできた気がする。
ありがとう。
あなたに出会えて、ほんとうによかった。
