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音が止まる前に
夕方になると、母は必ず台所に立っていた。
ラジオをつけて、小さく鼻歌を歌いながら、包丁でトントンとリズムを刻む。
その音が、家のなかの夕方の合図だった。
僕はテレビの音を下げて、そのリズムを遠くで聞いていた。
台所に入ると、「もうすぐできるよ」と笑う顔が、いつもあった。
それが当たり前の日常。
母が倒れたのは、春のはじめ。
目を覚まさないまま、静かにそのまま息を引き取った。
冷蔵庫には、切りかけの人参と、付箋の貼られたレシピ帳。
「今夜は肉じゃが」と書いてあった。
何年も聞いてきた“トントン”の音が、聞こえなくなるなんて思ってなかった。
49日が終わって、しばらくして。
実家の台所に立ってみた。
小さな鍋と、使い込まれたまな板。
少し欠けたおたま。母のものは、どれも静かにそこにいた。
「……作ってみようかな」
そう言って僕が包丁を握ったとき、
突然、ラジオがついた。
誰も触れていないのに、いつものチャンネル、いつもの時間。
驚いたけど、不思議と怖くはなかった。
「ああ、母さんの時間か」
人参を切ってみる。音は、昔と同じようにトントンと鳴る。
でも、やっぱりどこかぎこちなくて、不器用な音だった。
肉じゃがを作っている間、
僕はずっと、泣いていた。
涙で味見もできなかった。
でも出来上がったそれは、少しだけ母の味がした。
その日から、僕もラジオをつけて料理をするようになった。
鼻歌はまだ歌えないけど、音は確かに残っている。
母が生きていた証として。
僕が受け取ったものとして。
今日も、夕方になると、台所にはトントンという音が響いている。
音が止まる前に、僕はちゃんと気づけた気がする。
ありがとうって、心の底から思えた気がする。
