映画『名無し』 2026年公開 【映画感想】
佐藤二朗が原作・脚本・主演をつとめる映画、『名無し』。
予告編とサムネイルからして強烈なインパクトだったが、内容はとても切実で、緻密で、暗号のようなメッセージに満ちた作品だった。
映画を見て抱く感想は、数千文字でも表しきれない。
混雑するファミレスで、刃物による無差別殺人事件が起きる。
防犯カメラは犯人と思われる男(佐藤二朗)の姿を捉えていたが、凶器が映っていない。何が起きているのか、男は何者で、なぜ凶行に及んだのか…!?といったお話。
*ネタバレを含みます*
きわめて「現実的」な暴力シーン
目を覆いたくなる無差別の暴力シーンが、映画の中で何度も登場する。
混雑したレストランや、人通りの多い道で、人々が血飛沫をあげて倒れる。
男(佐藤二朗)は右手に凶器を持っているのだが、人間の目には見えない。男は人々に直接触れないので、周りの人は何が起きているのか、誰がやっているのか分からない。
みんながパニックになって逃げ惑う。その中に、手ぶらに見える男(佐藤二朗)も伏目がちにモソモソと混じっている。一緒に逃げてきたように見える。しかし人がまた倒れる、飛ばされる。
見ながら、こんなことあったら嫌だなぁ、と思っていた。しかし執拗に繰り返される暴力シーンを見ているうち、この暴力はまさに今、我々が置かれている状況じゃないか、と気付く。
人混みの中、後ろにいる人やすれ違う人。
もしかしたら相手は特殊詐欺や闇バイトの指示役かもしれない。
家や職場でハラスメントの加害者かもしれない。
SNSで会ったこともない人を叩いて追い詰めている人かもしれない。
今や、人を傷つけるのに自分はその場にいる必要もないし、形として目に見える武器もいらない。
我々の行動範囲は広がって、今、隣にいる人の名前も背景も知らない。
誰が、なぜ、と知る時間もなく突然にわたしたちが頭を潰されてしまう世界。
それを実際の絵にすると、この映画の大量殺人シーンになる。
巧みな設定
映画は犯人である男(佐藤二朗)の生い立ちが交互に語られる形で進んでいく。
2人の遺棄児を保護した警官(丸山隆平)によって、2人は山田太郎(佐藤二朗)と山田花子(MEGUMI)という名前(戸籍)を得る。
太郎は保護されたときから右手を電気コードのようなものでぐるぐる巻きにしている。映画が進むうち、彼の右手は触れたものを消す力があることがわかってくる。生命のあるものならそれを殺し、刃物などの物体であれば触れている間は目に見えなくする能力。ただし、動植物にしろ物体にしろ、太郎がその「名前」を知っていることが条件なので、太郎が「名前」を知らない花であれば触っても枯れない。
この設定も巧いなと思う。
我々はたいてい知らない相手の痛みには気づきにくく、ひどく残酷になることがある。しかし山田太郎の能力は、むしろ、名を知らぬ相手には直接触れても無害。
理解不能の暴力で無差別に人を傷つけているかのように見える山田太郎が、実は彼の右手そのものは見ず知らずの人間には無害であり、だからこそ、太郎には凶器が必要。そして実は、我々の方こそ、何も凶器を握っていないように見えるこの手で、見知らぬ誰かを徹底的に傷つけているのかも、という逆転の映像。
たぶん、「名前」にも意味というか条件がある。子供の頃、太郎は自分の能力や境遇を嫌って、ある夜に自分の左胸に右手を当てる。自分自身を殺そうとしたのだ。だが何も起きない。それは「山田太郎」という彼の名前が、警官によって後から付けられたものだから、本当の名前でない、と太郎が思っているからだろう。
同じ理由で、映画の後半に太郎は花子(MEGUMI)に右手を近づけるのだが、右手で命を奪うところは描かれない。結局は刃物で殺したようである。
後半まで見て、わたしは冒頭の、ファミレスでの殺人の始まりのシーンを思い出す。太郎の向かい側に座った女性は彼女の母親の名前について話し、母は名前も人生もつまらない人だった、といった話をしていた。つまらなくても何でも、彼女には明白な「つながり」と「名前」、所属がある。
きっと、あのとき話していた女性には当たり前すぎてどうでもいいこと。でも太郎には、手が届かないもの。幸福って身近すぎると見えなくなる。
寡黙にして雄弁
映画の登場人物は太郎をはじめ非常に寡黙。
そのために、説明不足というか描写が雑に思える部分もある。けれど、映画は他の手段で多くを囁きかけてくる。
たとえば色調。ロウソクの炎や夕日などの暖色が、太郎の心情を表して印象的に使われている。事件を追う刑事の国枝(佐々木蔵之介)も近い色なのだが、国枝の場合は父 照夫(丸山隆平)の死という過去のためか枯木とか紅葉みたいな枯れたトーンが使われる。殺戮シーンや警察を描く時は黒や青など冷たく無機質な印象を与える色。
この映画を観てから約一週間が経つ。
いまだに、あのシーンの意味、あの人物のセリフの意味は何だったろうかと、考えている。なんか面白かった気がするけどよく憶えてないや、とはならない映画。こんなに考えさせ、適度に「ああ、そうかも」と答えに辿り着いた気持ちも味わえる映画は久しぶりだ。
残虐シーンが容赦ないとか、防犯カメラに映った佐藤二朗の「山田太郎」は、ここまで表現しなくたっていいのにと思うほど恐ろしいとか、警察がポンコツすぎて現実味がないとか、そういう感想で終わるには惜しい、とても興味深い映画だったとわたしは思う。

