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昨夜の私は

凪のような中にいる時もあれば、
自分でも分からないもやもやした中にいる時もある。

昔からそうゆうところがあった。
「これ!」という確たるものも掴めない
気だるいなにか。

しいて言えば、、

「なんかさ、…なんかなんだよなぁ」

という時。


そうゆう時って、それなりのことが現実に
なる。

例えば先日。

「どう?落ち着いてきた?良ければ
ランチでも行かない?」

と行ってきたランチもそのひとつ

3時間。

「パスタ、旨かった」

という感想しか残らなかった。

疲れちゃった。

パスタが旨くて良かった。

…途中から見えちゃったんだ。
気遣ってくれる後ろに本心が隠れていたのを。

それらを静かに受け入れた一日の終わりに
お風呂の中で、
…言い出せば溢れさせることもできるで
あろう諸々を

「なんか、…なんかなんだよなぁ」と
頭のどこかにひとくくりにして置いたまま

あ〰️。と湯船で一声あげて、
お湯を染み込ませた。

何か考えてるけど何も考えてない頭の中に
ふと、自分を癒してる自分がいることに
気づく。

お湯を手のひらで掬っては、愛おしむように
自分自身にまんべんなくかける。
お気に入りの入浴剤はこんな時に効く。

なんだか分かんないけど、日々よく頑張ってるなぁ。と思う。
ありがとね、ありがとね。とお湯の中の体に
お湯をかける。

風呂上がり、鏡の中の自分を改めて見る。

何かが抜け落ちていて「丁度いい」と
思った。

いつもより時間をかけて、自分をじっと見つめながらスキンケアを行う。

いつもじっと見つめるなんてしてこなかった。心ここにあらずで工程をこなすだけだった。

最近、自分の身体と会話することにしている習慣が身についてきたのかもしれない。



手のひらから慈しむような感情が出ていた。

突如、
「今まで、どんな時も『私』でいてくれて
ありがとう」と、鏡の中の私が言った気がした。

なので、
「…あんなこと、こんなこと、…色々あったけど、どの時も『私がずっと私で』あり続けてくれてありがとう」
と鏡の中の自分に心が勝手に伝えてた。

そしたらなぜか泣けてきちゃって。

化粧水と涙が混ざって、いつまでたっても
肌に浸透しなくて、
手のひらを顔にあてたまま
しばらくそっとしておいた。

じわり、じわり。

・・

この前、手帳に、
「重くなったら一旦離れる」と書いていた。
その時おりてきた感情を書いたから
時が経つと、それが何からの言葉だったか
忘れてたりする。

たぶん、このところ、この感情なんだろう。

覆った手をひらいたら、少しすっきりした顔の私がいた。


すっきりした自分を見たら
私がずっと私のままで今もここにいることに
ひたすら感謝しはじめた。


絶好調な時も、変な時も、
どんな時の私にも、「私」はずっと傍にいたし、諦めもしないし、放ったらかしにもしないし、一緒に笑って、一緒に泣いて、
一緒に怒って、時に励まし、時になだめ、
時に叱り、
共に悩み、共に乗り越え、、ってしてきてくれたんだなぁ。って思い始めたら、この感情が止められなくて、気が済むまで浸った。

化粧水も美容液も涙と一緒に流れたような、
…染み込んだような。


頭の中の謎のグルグルが少し緩んだ。



※巻き爪に語ることをし始めてから
私は体と会話をするようにしている。
巻き爪は、治ったわけではないけど
「ずっと踏ん張ってきてくれたんだね。
こんなになるまで踏ん張ってくれてありがとね。おかげで生きてくることができたよ。
ありがとう。これからはさ、ドラえもんみたいに、「実は少し浮いてます」ってくらい軽くしていこうね。」と心で語りながらオイルで癒してるのです。そしたらすぐに驚くことが。触れるだけでも痛かった巻き爪が、いくら触れても痛くない。ちょっと失礼!と
半ば強引に巻いた部分を開く作業を風呂上がりの爪が柔らかいうちにしているのです。
「きむみさんの巻き爪は大関横綱級だね」と整形の先生もお手上げな私の巻き爪。
これからきっと改善されていくのだ。
体の不調も話しかけて寄り添うと意外とそのように応えてくれると思っている。
私の中の私はわけあってそうしているのだから、そこに愛を持って、何よりの理解者でありたい。
私の中の私も、この私も、お互いに
友だちにも親にも子どもにも、…なんにでもなれる。

時々訪れるわけの分からない何かに
覆われている時だってそうだったんだな。




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