『ドールズ・ハイ』 第1章『黒の残響』第67話『同期域』
―あらすじ―
未登録同期反応は消えなかった。
むしろ教導院全域へゆっくり広がり始めていた。
授業中。
訓練中。
日常生活の中でさえ発生する不可解な同期現象。
それは危険な暴走ではない。
しかし誰も説明できない。
ミレイは解析の結果、
教導院内部に通常とは異なる「広域同期領域」が形成されつつある可能性へ辿り着く。
一方カイン班は、
欠落した記録の中に繰り返し現れる識別コードを発見。
そしてアルトは、
旧地下通路図面の先に存在する封鎖区画の位置をさらに絞り込むことに成功する。
その頃、
修復中のドライグにも新たな変化が現れ始めていた――。

第67話『同期域』
朝の教導院。
冷え込んだ空気の中を、
生徒たちが講義棟へ向かって歩いていた。
最近では未登録同期反応の話題も珍しくなくなっていた。
「昨日も出たらしいぞ」
「またか」
「最近多いな」
そんな会話が交わされる。
だが誰も深刻な顔はしていない。
むしろ慣れ始めている。
それがアルトには少し危うく見えた。
異常が日常に溶け込み始めている。
その事実の方が気になった。
◇
午前の戦術理論講義。
教官が戦術連携のモデルケースを説明している。
スクリーンには複数班による連携パターンが表示されていた。
「理想的な連携とは、
指示を待つのではなく意図を共有することだ」
教官の言葉に生徒たちが端末へ記録を取る。
アルトもメモを取っていた。
その隣ではリオが退屈そうに頬杖をついている。
「眠そうだな」
アルトが小声で言う。
「理論は嫌いじゃないけどな」
リオは肩をすくめた。
「フェルと同期してる方が早い」
「それを言うな」
前方の席でミレイが振り返る。
「授業だから意味があるの」
「はいはい」
三人のやり取りに小さな笑いが生まれる。
少し前まで続いていた重苦しい空気が、
今日は少しだけ薄れていた。
◇
続く同期理論講義。
内容は近年の同期環境変化についてだった。
「同期反応は環境要因の影響も受ける」
教官が資料を表示する。
ミレイはその部分に強く反応した。
環境要因。
最近観測されている現象と重なる。
講義終了後。
ミレイはすぐ解析室へ向かった。
◇
放課後。
解析室。
ルナとの同期データを参照しながらミレイは大量の波形を並べていた。
未登録同期反応。
目撃証言。
訓練時の異常連携。
それらを重ねていく。
そしてある仮説へ辿り着く。
「点じゃない……」
画面上に表示された分布図。
異常は発生しているのではない。
存在している。
広がっている。
「同期領域そのものが変化してる」
ミレイは静かに呟いた。
教導院内部全体に。
目に見えない同期環境が形成されつつある。
そんな可能性が浮かび上がっていた。
そしてその中心は。
第七封鎖区画推定位置と重なっていた。
◇
同じ頃。
カイン班も資料調査を続けていた。
旧データベース。
欠落記録。
消失ログ。
何度も同じ場所を洗い直している。
「また出た」
セシルが画面を指差した。
識別コード。
内容は消えている。
だがコードだけが残る。
別の記録にも。
また別の記録にも。
繰り返し現れる。
「同じ番号だな」
エルクが言う。
カインは眉をひそめた。
「消すなら全部消すはずだ」
記録だけが消えている。
コードだけが残されている。
まるで痕跡のように。
強い違和感が残った。
◇
午後の合同訓練。
訓練場には各班が集まっていた。
アルト班。
カイン班。
ダグ班。
フィオナ班。
シエラ班。
アルトは観測席から全体を見ている。
ノアとの同期は禁止継続中。
その代わり戦術観測と解析補助を担当していた。
訓練開始。
通常の模擬戦。
だが開始十分後。
教官たちが顔を見合わせる。
「……妙だな」
連携精度が高すぎる。
カイン班が動けばダグ班が自然に補完する。
フィオナ班の指示が出る前に動きが揃う。
誰も示し合わせていない。
だが噛み合う。
まるで全体が一つの同期領域に包まれているようだった。
◇
訓練終了後。
フィオナはログを見返していた。
数値だけ見れば優秀。
むしろ過去最高レベル。
だが納得できない。
「何か見落としてる」
そう感じる。
理屈は通る。
だが説明できない。
その感覚だけが残った。
◇
シエラ班の解析室。
エドガーが波形を拡大する。
「重なりが増えてる」
シエラも頷いた。
同期波形同士が自然に近付いている。
だが干渉はない。
暴走もない。
逆に安定している。
それが異様だった。
「普通なら崩れる」
「なのに崩れない」
二人は無言になる。
答えはまだ見えなかった。
◇
訓練後のダグ班。
休憩室はいつも通り賑やかだった。
「今日は調子良かったな」
「勝手に動けた感じだった」
笑いながら話している。
だがふと沈黙が生まれる。
誰かが言いかける。
「そういえば――」
そこで止まる。
人数の違和感。
記憶の端に引っ掛かる何か。
だが誰も口にはしなかった。
◇
修復区画。
ドライグの修復作業は順調に進んでいた。
ガルドは技術員と共に内部ログを確認する。
新たな断片。
破損領域から回収されたデータ。
その中に残されていた短い記述。
『同期領域拡張』
ガルドは目を細める。
その単語を見た瞬間。
何かが引っ掛かった。
思い出せそうで思い出せない。
だが確かに聞いたことがある。
そんな感覚だけが残った。
◇
夜。
資料室。
アルトは一人で旧施設図面を広げていた。
消失した地下通路。
封鎖された経路。
欠落記録。
全てを照合していく。
線と線が繋がる。
そして。
ついに一つの位置へ収束した。
「ここか……」
現在も使用されている施設。
その真下。
地下深部。
封鎖経路の入口が存在する。
偶然とは思えなかった。
アルトは静かに図面を見つめる。
◇
同じ頃。
リオは廊下で偶然アルトを見つけた。
「また調べ物か」
「ああ」
「無茶するなよ」
短い言葉だった。
だがそれだけで十分だった。
アルトは少しだけ笑う。
「分かってる」
リオはそれ以上言わない。
止めるつもりもない。
信頼しているからだ。
その代わり。
もし必要になれば隣に立つ。
それだけは決めていた。
◇
深夜。
教導院地下。
誰もいない区画。
監視カメラだけが静かに動いている。
その瞬間。
未登録同期波形。
一秒未満。
反応。
そして消失。
何も残らない。
誰も気付かない。
◇
資料室。
アルトは最後に図面を閉じた。
一本の線。
地下へ続く経路。
その先に記されている名称。
第七封鎖区画。
長く追い続けてきた場所。
認識異常。
未登録同期。
欠落記録。
全てがそこへ繋がっている。
アルトは静かに息を吐いた。
そして決意する。
「確かめるしかない」
資料室の灯りだけが静かに揺れていた。
