『ドールズ・ハイ』 第2章『境界の継承』第19話『残された空白』
ーあらすじー
旧演習区域で発生した「白き揺らぎ」を受け、
教導院は現地記録の解析を開始する。
数値上の異常は認められないものの、
同期波形には既存理論では説明できない
「空白」が残されていた。
過去に回収された白い結晶片との比較でも
完全な一致は得られない。
しかし、
一部の特徴には奇妙な類似が見つかる。
教導院は原因を断定せず、
極秘の継続調査として扱う。
一方、
アルトはノアに生じた新たな変化を目にし、
言葉にできない違和感を深めていく。
そして誰もいない解析室で、
白い結晶片が計測されない反応を示す。

第19話『残された空白』
旧演習区域から帰還した教導院には、
日常の音が戻っていた。
廊下を行き交う生徒たち。
訓練区画から響く機械音。
遠くで交わされる教官たちの声。
その一方で、
解析室だけは静まり返っていた。
複数の観測画面に、
旧演習区域で収集された同期波形が
表示されている。
ガルドは腕を組み、
その前に立っていた。
「現象を確認したのは、
この地点です。
発生直前まで、
生徒たちの同期状態に異常はありませんでした」
レイスが画面を見つめる。
「白き揺らぎを明確に認識したのは?」
「アルトとノア、
それ以外にも数名が違和感を感じています。
ただ、
視認できた状況には個人差がありました」
バルクが波形を拡大した。
「数値は正常だ」
「ええ。
同期率、出力、周波数、すべて基準値内です」
フィオナが端末を操作する。
だが、
その指が止まった。
「……ここ」
波形の一部が、
不自然に途切れている。
「記録欠損か?」
「違います」
フィオナは首を横に振った。
「前後のデータは正常につながっています。
欠落した形跡もありません」
レイスが目を細める。
「じゃあ、
何だ?」
誰も答えなかった。
そこには、
存在するはずのない空白だけが残っていた。
◇
過去に回収された白い結晶片が、
保管容器ごと解析卓へ運ばれた。
フィオナは、
現地データと結晶片の反応記録を重ねる。
完全には重ならない。
しかし、
一部分だけが奇妙なほど似ていた。
「一致ではありません」
フィオナが静かに言った。
「ですが、
波形の変化に類似した特徴があります」
「原因は特定できるか?」
ガルドの問いに、
レイスは首を振った。
「現段階では無理です」
短い沈黙。
やがてレイスが記録端末を閉じた。
「この件は外へ出さない。
正式な異常認定もしない」
「では、
どう扱いますか?」
「継続調査だ。
記録は封鎖して残す」
ガルドが頷く。
「承知しました」
それ以上の結論は出なかった。
理論の外側にあるものを、
理論だけで説明することはできない。
ただ一つ確かなのは、
何もないはずの場所に、
何かが残っていたということだった。
◇
午後。
生徒たちは通常授業へ戻っていた。
アルト班も、
いつものように訓練区画へ向かっていた。
だが、
アルトはどこか上の空だった。
ミレイが横から顔を覗き込む。
「アルト、
昨日からずっと考え込んでるだろ」
「……そう見える?」
「見える」
少し後ろを歩いていたリオも頷いた。
「俺も、
ちょっとだけそう思う」
アルトは苦笑した。
「そんなに分かりやすいか?」
「分かりやすい」
ミレイの即答に、
アルトは黙った。
森で見たもの。
白く揺らいだ空間。
そして、
その瞬間に胸の奥へ触れた、
奇妙な感覚。
説明しようとすると、
輪郭が消えてしまう。
「……気のせいだと思う」
そう口にしてみても、
自分自身が納得していなかった。
◇
訓練を終えたアルトは、
廊下でカインと出会った。
カインは足を止める。
「昨日、
お前が撤退を判断したのは正しかった」
「ありがとう」
「礼を言うほどじゃない」
カインは淡々と言った。
「俺なら、
もう少し調べようとしてたかもしれない」
「それで危険になったら意味ないだろ」
「だから認めてる」
アルトは少しだけ笑った。
かつて二人の間にあった距離は、
もうない。
競い合う相手であることに変わりはない。
それでも今は、
互いの判断を信頼できる。
「次は俺も遅れない」
「俺も負ける気はない」
それだけ言って、
二人は別れた。
◇
夜。
格納区画には、
低い機械音が響いていた。
アルトはノアの前に立つ。
黒い装甲。
そこに走る白い亀裂。
以前より、
確実に増えている。
一本だった細い線の近くに、
もう一筋。
さらにその周囲へ、
薄い亀裂が伸びていた。
「……また増えたな」
ノアは答えない。
アルトが近づく。
その瞬間だった。
亀裂の奥で、
白いものが淡く光った。
一瞬だけ。
それは傷のような線ではなかった。
もっと滑らかで、
硬質な面。
黒い装甲の内側に、
別の何かが存在しているようにも見えた。
アルトは息を止めた。
だが、
瞬きをした瞬間には消えていた。
残っているのは、
いつもの白い亀裂だけだった。
「……今の、
何だったんだ?」
ノアは静かに立っている。
答えは返らない。
胸元の《アイゼン・ガルテン》から、
微かな温もりだけが伝わってきた。
警告ではない。
ただ、
静かにそこにある。
アルトはしばらくノアを見つめていた。
◇
その頃。
誰もいない解析室。
保管容器の中で、
白い結晶片は静かに眠っていた。
周囲の装置には異常表示がない。
数値も変わらない。
波形も動かない。
それでも――。
結晶片の内部に、
ごく小さな光が生まれた。
一度だけ。
ほんの一度。
白い光が脈動する。
計測装置には、
何も記録されなかった。
やがて光は消える。
解析室には再び静寂が戻った。
けれど、
存在するはずのなかった空白だけは。
まだ、
どこにも消えていなかった。
