『ドールズ・ハイ』 第2章『境界の継承』第18話『白き揺らぎ』
―あらすじ―
解析不能の白い結晶片が発見されたことで、
教導院は旧演習区域での再調査を継続した。
各班はそれぞれの戦術思想に基づいて慎重に
探索を進めるが、
計測機器や同期波には異常は現れない。
しかし調査中、
森の奥で空間そのものが
白く揺らぐ不可解な現象が発生した。
記録には残らず、
説明もつかないその光景を前に、
生徒たちは言葉を失う。
教導院は現場を封鎖し、
結論を保留したまま
調査を続行することを決定する。
一方、
アルトだけはノアと共に、
その揺らぎの向こうに
何かが存在していたような感覚を拭えずにいた。
そして誰にも知られぬまま、
ノアの黒い装甲を走る白い亀裂は、
確実にその数を増やしていた。

第18話『白き揺らぎ』
翌朝。
旧演習区域は
昨日と変わらぬ静けさに包まれていた。
朝露をまとった草木が風に揺れ、
木漏れ日が、
森の地面へ柔らかな模様を描いている。
その穏やかな景色とは対照的に、
生徒たちの表情には緊張が残っていた。
「昨日と同じ配置で探索を続ける」
ガルドの声が通信に響く。
「無理はするな。
異常を確認した時点で直ちに報告しろ」
「了解」
各班は短く応え、
それぞれの担当区域へ散っていく。
◇
カイン班は《ヴォルグ》を先頭に据え、
正確な隊列を維持して進んでいく。
「索敵範囲を維持。
この速度なら死角は生まれない」
理論に裏打ちされた動きは寸分の乱れもない。
レオン班は互いの位置を確認しながら、
周囲を広く警戒する。
シエラ班では
《セレス》が幾度も索敵波を放っていた。
「反応なし。
同期波も正常」
ダグ班は崩れかけた演習施設跡を調べ、
安全を確認していく。
誰の計測装置にも異常は映らない。
《ルナ》も《フェル》も、
《ヴォルグ》も《アルセイド》も、
普段と変わらぬ同期状態を保っていた。
だからこそ、
生徒たちは少しずつ肩の力を抜き始めていた。
◇
アルト班は昨日と同じ境界付近を歩いていた。
「ここも変わらないな」
アルトが呟く。
「同期波は安定してる」
ミレイが《ルナ》の表示を確認する。
「フェルも異常なし」
リオも周囲を見渡し、
小さく息をついた。
ノアだけが何も言わず、
静かに歩いている。
その黒い背中を見つめていると、
不思議と心が落ち着いた。
以前なら感じていた緊張は、
もうない。
アルトは自然にノアの隣へ歩み寄っていた。
◇
その時だった。
風が止む。
鳥の声が消える。
木々の葉擦れさえ聞こえなくなる。
まるで世界そのものが息を止めたような静寂。
誰もが足を止めた。
「……何だ?」
ダグの低い声が響く。
返事はない。
誰も説明できなかった。
音が消えている。
それだけで胸の奥がざわつく。
◇
そして。
森の奥。
空気がゆっくりと白く染まり始めた。
霧ではない。
光でもない。
空間そのものが、
水面のように揺れている。
淡い白が幾重にも重なり、
現れては消え、
また現れる。
敵影はない。
侵食反応もない。
それでも全員が感じていた。
――そこに何かがいる。
◇
アルトは息を呑んだ。
視線の先にはノア。
ノアもまた、
その揺らぎだけを静かに見つめている。
その瞬間。
黒い装甲を走る白い亀裂が、
ごく淡く脈打つように輝いた。
一度。
また一度。
まるで鼓動のように。
アルトは思わず一歩踏み出しかける。
胸元の《アイゼン・ガルテン》が、
ほんのりと温かくなる。
不思議と恐怖はなかった。
むしろ、
その揺らぎの向こうから
何か懐かしいものが
呼びかけているような感覚だけが残る。
だが、
その理由は分からない。
◇
「アルト!」
ミレイの声で我に返る。
「空気……何か変わった気がする」
《ルミナ・ティア》へ触れながら、
落ち着かない表情を浮かべる。
リオも無意識に《フェル》へ手を添えていた。
「理由は分からないけど……ここ、
嫌な感じがする」
一方、
カインは冷静だった。
「全員、慌てるな」
短い一言だけで周囲の空気が引き締まる。
「見えたものを追うな。
隊列を維持しろ」
レオン班も自然に周囲を警戒し、
シエラ班は索敵範囲をさらに広げる。
ダグ班は後方を固め、
生徒たちが孤立しないよう位置を調整していく。
誰かが命じたわけではない。
教導院で積み重ねてきた戦術が、
ごく自然に全班を一つの組織として動かしていた。
◇
数秒後。
白い揺らぎは静かに薄れていく。
止まっていた風が戻る。
鳥が鳴き始める。
森は再び、
何事もなかったような姿を取り戻した。
ミレイが急いで記録を確認する。
「……残ってない」
リオも首を横に振る。
「計測も全部正常」
シエラ班からも同じ報告が届く。
「映像にも波形にも異常なし」
誰もが同じものを見たはずなのに、
証拠だけが存在しない。
◇
現場へ到着したガルドは静かに周囲を見渡した。
数秒間、
誰にも声を掛けず森を観察する。
やがて通信を開いた。
「本任務はここで中断する」
その一言に、
生徒たちは息を飲む。
「教導院へ帰還する。
以降、
この区域への立ち入りは禁止だ」
「了解しました」
誰も異論は口にしなかった。
ガルド自身も、
この現象を
訓練や誤認で片付けられる段階ではない
と理解していた。
◇
夕暮れ。
教導院へ戻った輸送車の窓から、
アルトは遠ざかる森を見つめていた。
ノアは変わらず無言で立っている。
だが、
あの白い揺らぎを見つめていた時の姿だけが
脳裏から離れない。
あれは偶然だったのか。
それとも――。
答えはまだない。
◇
夜。
格納区画。
整備灯の下で静かに佇むノア。
黒い装甲を走る白い亀裂は、
胸部から肩、
そして腕へと、
以前よりも確かに広がっていた。
細く、静かに。
まるで内側から白い光が目覚めようとしているかのように。
しかし、
その変化を見届ける者は誰もいない。
教導院の理論は、
なお世界を説明していた。
だがその理論の外側では、
誰にも観測できない何かが、
静かに境界を揺らし始めていた。
