『ドールズ・ハイ』 第1章『黒の残響』第46話『封鎖区画』
―あらすじ―
教導院へ広がり始めた違和感は、
ついに“偶然”では済まされなくなっていた。
誰もいない廊下。
同期するように乱れる照明。
保存できない記録。
そして、
隔離されているはずのノアは、
誰にも確認されないまま、
確かにその存在を滲ませ続けている。
アルトは、
少しずつ理解し始めていた。
これは異常ではない。
“近づいている”のだと。
一方、
教導院上層部もまた、
第二波形現象を隠し切れなくなり始める。
静かな封鎖。
静かな監視。
静かな恐怖。
その全てが、
ゆっくりと教導院を閉じ始めていた――。
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第46話『封鎖区画』
早朝の教導院は、曇った白色に沈んでいた。窓の外には、薄く滲んだ空。風だけが乾いている。
始業前の廊下を、ざわついた空気がゆっくり流れていた。
『――本日より、地下第二管理区画の一部封鎖を実施します』
天井スピーカーから流れる、無機質な校内放送。
『設備点検に伴い、一部通路の通行を制限します』
短い放送。それだけだった。
だが、放送が終わった後も、廊下の空気は静まり返らない。
「また点検?」
「昨日も通信落ちたよな」
「監視端末、三回くらい再起動したぞ」
小さな声。
だが、誰も笑っていなかった。
教師達も、生徒の質問を避けるように足早に通り過ぎていく。
窓の外で、風に煽られた落葉が校舎壁を擦った。
アルトは無言で廊下を歩いていた。
視線を感じる。
何度目かわからない。
生徒達は、露骨ではない。
だが、確かに距離を空ける。
目を合わせない。
小声だけが背後へ残る。
アルトは立ち止まりかけ、すぐ歩き出した。
――違う。
そう思いたかった。
だが、教導院全体に広がっている空気は、明らかに変わり始めていた。
そして。
また、感じる。
すぐ後ろ。
誰かがいる。
アルトの呼吸が浅くなる。
反射的に振り返る。
誰もいない。
白い廊下。
白い照明。
静かな空気。
だが。
視界端を、白い残像のようなものが掠めた気がした。
瞬きをする。
消えている。
「……っ」
アルトは奥歯を噛み、教室へ入った。
教室内も、どこか落ち着かなかった。
誰も騒いでいない。
だが、会話が短い。
笑い声が続かない。
端末画面へ視線を向けたまま、周囲を気にしている。
窓際席へ座ったアルトは、無意識にまた後ろを見た。
誰もいない。
それでも。
近い。
そんな感覚だけが、離れなかった。
◇
ミレイは、管理棟端末室で波形ログを確認していた。
ルナ格納波形。
通常なら、完全停止状態。
未起動時は、最低維持反応しか出ない。
だが。
画面右端へ、微細なノイズが混じる。
……また。
ミレイは眉を寄せた。
前回は、アルト接近時のみだった。
しかし今回は違う。
アルト不在。
完全別時間帯。
それでも、微弱反応が発生している。
ミレイは即座に保存処理を走らせた。
記録保存。
進行バー。
だが。
次の瞬間。
画面が暗転する。
ノイズ。
復旧。
そして。
ログ欄だけが、綺麗に空白化していた。
「……嘘でしょ」
小さく漏れた声。
削除ではない。
最初から存在しなかったような空白。
ミレイは背筋へ嫌な感覚が走るのを感じた。
第二波形。
ノア。
アルト。
それだけではない。
もっと広がっている。
そんな予感だけが、静かに強まっていた。
◇
リオは封鎖区画前で足を止めた。
普段はいない警備員。
増設された認証端末。
閉鎖シャッター。
空気が重い。
「設備点検、ねぇ……」
吐き捨てるように呟く。
警備員の一人が、ちらりとリオを見る。
その顔色は悪かった。
監視する側ですら、怯えている。
リオは舌打ちし、視線を逸らした。
フェル格納区画側は、異常なし。
監視表示正常。
波形安定。
静かすぎる。
それが逆に気持ち悪かった。
リオは無意識に耳を澄ませる。
何も聞こえない。
なのに。
あの微かな音だけが、まだ耳奥へ残っていた。
キ……
金属が擦れるような。
呼吸のような。
思い出した瞬間、背中へ薄い悪寒が走る。
「……なんなんだよ」
返事はない。
当然だ。
フェルは沈黙したまま、格納フレームへ固定されている。
動かない。
喋らない。
なのに。
静寂だけが、不自然だった。
◇
カインは旧資料保管室にいた。
薄暗い室内。
積み上がった古い同期理論資料。
紙媒体。
封鎖論文。
閲覧制限ファイル。
端末閲覧では消される可能性がある。
そう判断した。
カインは古びた資料をめくる。
その中で。
一行だけ、視線が止まる。
『接触不要同期――』
そこから先は、黒塗りされていた。
カインの眉が動く。
さらに下。
『距離消失同期仮説』
記述途中で削除。
不自然な断絶。
まるで、誰かが意図的に隠したようだった。
「……教導院は知ってるのか」
小さく呟く。
その瞬間。
保管室照明が、一瞬だけ明滅した。
カインは顔を上げる。
静寂。
何もない。
だが。
ほんの一瞬。
棚奥へ、白い何かが立っていた気がした。
瞬きをする。
消えている。
カインは資料を閉じた。
乾いた紙の音だけが、静かな部屋へ残った。
◇
「これ、通信じゃない」
シエラは端末画面を睨んだまま言った。
解析室内は暗い。
波形モニタだけが白く浮いている。
「通信なら、送受信経路が残る」
ノイズ波形が揺れる。
「でもこれは違う。痕跡が消えるんじゃない」
シエラは小さく息を吐いた。
「最初から、境界そのものへ干渉してる」
エドガーの表情が強張る。
「やめろ」
低い声。
シエラは視線を向ける。
「これ以上掘るな」
「理由は?」
「……危険だ」
曖昧な返答。
だが。
エドガーは本気で怯えていた。
ノアの名が出るたび、顔色が変わる。
シエラはそれを見逃さなかった。
◇
授業中。
突然。
教室照明が同期するように明滅した。
バチ――ッ。
白い光。
一瞬の暗転。
そして復旧。
教室全体が静まり返る。
誰も騒がない。
だが。
全員が、同時に周囲を見た。
確認するように。
“今のは何だ”
口には出さない。
だが、空気だけが変わる。
教師ですら、説明を止めていた。
アルトはまた振り返る。
誰もいない。
なのに。
近い。
呼吸のすぐ後ろ。
距離感だけが、壊れ始めていた。
◇
夜。
封鎖区画廊下。
白い照明が断続的に点滅していた。
監視音だけが響く。
規則正しい電子音。
静かな廊下。
監視員二人が巡回している。
その時。
奥通路。
白い影のようなものが横切った。
「……今、見たか?」
一人が声を強張らせる。
「確認する」
警戒灯を向け、奥へ進む。
誰もいない。
封鎖シャッター正常。
反応なし。
だが。
床へ。
微かに黒い粒子が落ちていた。
灰にも似た、細かな粉。
監視員が無言で見下ろす。
その瞬間。
背後照明が一斉に落ちた。
暗闇。
短い沈黙。
数秒後。
照明復旧。
黒い粒子だけが、綺麗に消えていた。
◇
アルトは自室で端末を見ていた。
窓の外では、晩秋の風が鳴っている。
白い外灯。
静かな寮棟。
時刻は深夜を回っていた。
端末へ表示された資料を、アルトはぼんやり眺める。
その時。
画面へノイズが走った。
ザ――……
アルトが目を細める。
次の瞬間。
画面が黒転した。
白文字。
『どこまで離れる?』
アルトの呼吸が止まる。
瞬き。
文字は消えた。
通常画面へ戻る。
履歴なし。
保存不可。
「……なんだよ、これ」
声が掠れる。
静かな部屋。
風の音。
その時。
背後。
誰かが立っている。
そんな感覚。
アルトの身体が強張る。
振り返れない。
近い。
あまりにも。
耳元。
「近くなった」
静かな声。
次の瞬間。
照明が落ちた。
暗転。
そこで全てが止まった。
