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『ドールズ・ハイ』          第1章『黒の残響』第16話『境界値』

―あらすじ―

カルナ廃路地帯での実地訓練から二日。
生徒達は回収した魔獣核を用いた本格的な結晶精製へ参加していた。

危険区域を生き延びた実感と、強くなれるという高揚感が教導院全体を包み込む中、アルト達もまた新たな力を手にしていく。

だが、ノアにだけは奇妙な変化が現れ始めていた。

白い亀裂の微発光。
そして異常な速度で上昇するアルトの同期率。

教官ガルドは“侵食”と“境界”という言葉で警告を残すが、アルト自身はノアとの同期を拒めなくなっていた。

深夜。誰もいない訓練棟で、アルトは自ら深層同期を行う。
そこで彼が見たのは、自分のものではない“記憶”だった――。



第16話 『境界値』

 カルナ廃路地帯演習から二日後。

 帝国教導院地下区画――結晶精製室。

 分厚い金属扉が開いた瞬間、アルトは思わず息を呑んだ。

 青白い光が、巨大な空間を満たしていた。

 天井まで伸びる透明管。

 内部を流れる淡銀色の液体。

 脈動するように明滅する大型精製槽。

 空中へ浮かぶ小結晶群。

 帝国紋章付き制御盤。

 まるで研究施設と神殿を混ぜたような空間だった。

「うおぉぉ! これ全部結晶精製装置か!?」

 ダグ班の声が響く。

「見ろよこの純度! 俺達の核、かなり上だぞ」

 レオン班も騒がしい。

 一方でシエラ班は端末を開き、静かに数値分析を始めていた。

「中型核の劣化率は三・八……想定より低いわね」

「演習区域の環境要因かも」

 班ごとの空気が違う。

 だが共通していたのは――高揚感だった。

 危険区域から帰還した者だけが共有する熱。

 死ななかった。

 生き残った。

 戦えた。

 その実感が、生徒達を少しだけ変えていた。

 アルト班も空いた精製槽へ向かう。

 リオが大型槽を見上げた。

「やっぱり、本精製は院設備なんだな……」

 後方ではフェルが静かに浮遊している。

 青白い光を受け、輪郭だけが淡く揺れていた。

 ミレイが制御盤へ結晶核を並べながら説明する。

「携行式精製ポットは応急処理用だから」

「核暴走防止と簡易精製までしか出来ないの」

「高純度化は、大型精製槽じゃないと安定しない」

「へぇ……」

 アルトは槽内部を見つめた。

 回収した中型核が液体内部へ沈んでいく。

 直後。

 低い振動音。

 淡い発光。

 核の表面がゆっくり分解され、内部から透明度の高い結晶が形成されていく。

 まるで鉱石が進化していくみたいだった。

 リオが少し笑う。

「なんか……
 ゲームみたいだな」

「実際、強化資源だから似たようなもの」

 ミレイが答える。

 数分後。

 精製槽下部から小ケースが排出された。

 中には、

 小型結晶核。

 そして、中純度結晶核。

 淡い蒼色を帯びた結晶が収められていた。

「おぉ……」

 アルトは思わず声を漏らす。

 確かに実感できる。

 危険を越えた結果が、ここにある。

 強くなれる。

 その実感が、胸を熱くした。

     ◆

 強化調整室。

 各班はそれぞれゲゼールへ結晶核を適用していた。

 ヴォルグ型は出力強化。

 支援型は補助性能向上。

 索敵型は感知精度上昇。

 教導院全体が、演習後特有の熱気に包まれている。

 カイン班では、ヴォルグの装甲部へ結晶が組み込まれていた。

 ダグ班では強化出力測定で騒ぎが起きている。

 アルト達も端末前へ並ぶ。

「フェルは感覚共有精度向上だな」

 リオが表示数値を見て呟く。

「同期時の情報伝達遅延が減ってる」

「演習で動けてた理由かも」

 アルトはノア側端末へ結晶核を装填した。

 結晶が沈み込む。

 その瞬間だった。

 ――微光。

 ノアの黒殻表面。

 白い亀裂が、一瞬だけ淡く光った。

 ほんの刹那。

 気のせいと思える程度。

 だが。

「……今、
 少し光らなかったか?」

 リオが眉をひそめる。

「え?」

 アルトは振り返る。

 もう何もない。

 ノアはいつも通り、無機質に静止していた。

 だがミレイだけは、黙ったままノアを見ていた。

 その視線は静かだった。

 けれど確かに、

 違和感を積み上げている目だった。

     ◆

 同期測定室。

 生徒達が順番に同期率測定を受けていく。

 透明な測定板。

 同期波形。

 数値グラフ。

 帝国式測定端末が淡く発光していた。

「次、アルト・アイゼン」

 アルトが前へ出る。

 同期接続。

 数秒後。

 測定員が眉を動かした。

「……上昇率、高いな」

「え?」

 表示数値を見たガルドが腕を組む。

「短期間で上げすぎだ」

 アルトは少し身構えた。

 だがガルドは淡々としている。

「悪い意味じゃない」

「だが、急激な同期上昇は負荷も大きい」

「負荷……?」

「侵食だ」

 空気が少しだけ静かになる。

 ガルドは続けた。

「同期は高ければいいわけじゃない」

「境界を越えるな」

 それだけ言うと、次の生徒を呼び始めた。

 詳細説明はない。

 だが、

 “境界”。

 その言葉だけが妙に耳へ残った。

     ◆

 調整室・別区画。

 カイン班。

 ヴォルグは既に高出力調整を終えていた。

 装甲安定率。

 反応速度。

 どれも高水準。

 完成度が違う。

 現時点で、教導院初等部トップ層。

 それがカイン班だった。

「アルト、
 また上がったらしいぞ」

 エルクが端末を見ながら言う。

 カインは少し眉を寄せた。

「……早すぎる」

 セシルが小さく首を傾げる。

「でも、
 強くなるのは良いことじゃない?」

 少し沈黙。

 その後、カインは短く答えた。

「限度はある」

 彼は努力で積み上げてきた。

 訓練。

 反復。

 制御。

 だからこそ分かる。

 急激な成長には、
 必ず歪みが出る。

 そして何より。

 ノア。

 あの黒殻型だけは、
 どうにも嫌な引っかかりを残していた。

     ◆

 夕方。

 訓練場外周通路。

 アルトは壁へ寄りかかり、水を飲んでいた。

 そこへミレイが来る。

「最近、
 ノアと繋がりすぎてる」

 唐突だった。

 アルトは苦笑する。

「……そう見える?」

「うん」

 否定はない。

 静かな断定だった。

 ミレイは少し視線を落とす。

「でも、
 アルト自身は嫌じゃないんだよね」

 アルトは答えなかった。

 否定しようとして。

 出来なかった。

 実地演習で感じた。

 あの感覚。

 世界が遅くなる感覚。

 敵が読める感覚。

 身体が軽くなる感覚。

 強くなれる感覚。

 怖いはずなのに。

 どこか心地良かった。

「……強くなれるから」

 ようやく出た答えだった。

 ミレイは少しだけ寂しそうな顔をした。

 だが否定しない。

「そっか……」

 ただ、それだけ言った。

     ◆

 教導院管理区画。

 ガルド。

 副監察官レイス。

 技術主任バルク。

 三人が同期データを確認していた。

「アルト・アイゼン、
 同期上昇率が異常です」

 レイスが淡々と言う。

 バルクが資料を見ながら呟いた。

「黒殻型……でしたか」

「資料が少なすぎる」

「前例不足ですな」

 危険指定ではない。

 禁忌扱いでもない。

 ただ、

 “不明”。

 それだけだった。

 ガルドは端末を閉じる。

「まだ様子を見る」

 教師達の反応は過剰ではない。

 警戒というより、

 観察。

 それが一番近かった。

     ◆

 深夜。

 訓練棟。

 アルトは一人だった。

 薄暗い空間。

 静かな照明。

 その中央へ、ノアが立っている。

 黒い外殻。

 白い亀裂。

 無機質な静止。

 アルトは小さく息を吐いた。

 そして。

 自分から同期接続を行う。

 感覚が沈む。

 静寂。

 思考が滑らかになる。

 身体の輪郭が軽くなる。

 気持ちいい。

 落ち着く。

「……これ、
 本当に危ないのか?」

 ガルドの言葉を思い出す。

 侵食。

 境界。

 だが今感じるのは恐怖じゃない。

 むしろ逆だった。

 もっと深く潜りたい。

 もっと繋がりたい。

 そう思ってしまう。

 同期深度が上がる。

 その瞬間。

 視界へ、

 知らない景色が混ざった。

 暗い場所。

 無数の白い線。

 天井も床も分からない空間。

 何かがいる。

 何かが見ている。

 一瞬。

 映像が切れた。

「――っ!」

 アルトが息を呑む。

 同期解除。

 荒い呼吸。

 汗が首を伝う。

 だがノアは変わらない。

 いつも通り。

 無機質に。

 そこに立っているだけだった。

 アルトは震える指で額を押さえる。

「……今の」

 喉が乾く。

「誰の記憶だ?」

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