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『ドールズ・ハイ』          第1章『黒の残響』第79話『接触の予兆(後編)』

―あらすじ―


ノアとの同期観測で生じた一瞬の「接触」は、
アルトだけの感覚では終わらなかった。

同期終了直後から、
教導院全域の同期ネットワークには
極めて微弱な位相変化が現れ始める。
アルトは胸部の
《アイゼン・ガルテン》に残る余韻を拭えず、
ミレイはその変化が、
同期終了と完全に一致していることを知る。

カイン班は旧管理システムへ
何者かがアクセスした痕跡を確認し、
ガルドは創設当初の巨大な隔壁と
若き日のエルヴィンを幻視する。

フィオナやシエラたちも、
それぞれ異なる形で
同一時刻の異変を観測していた。

誰も答えには辿り着いていない。

しかし教導院は確かに、
静かな応答を始めていた。

第79話『接触の予兆(後編)』

同期観測は終了した。

隔離格納庫を出ても、
アルトの鼓動だけは落ち着かなかった。

胸部へ埋め込まれた
《アイゼン・ガルテン》は正常値を示している。

診断結果にも異常はない。

それでも、
ときおり胸の奥で、
ごく微かな共鳴が走る。

痛みではない。

振動でもない。

まるで一度だけ触れた視線が、
まだ離れていないような感覚。

「……気のせいか。」

呟いても、
その違和感だけは消えなかった。

あの瞬間。

誰かではなく、
何かが。

こちらを認識した。

そんな確信だけが静かに残っていた。



ノアは格納庫中央で待機を続けていた。

監視装置は規則正しい数値を刻み続ける。

同期率。

安定。

異常なし。

整備員が点検を終え、
端末を閉じようとしたその時だった。

黒殻の表面を、
ごく淡い白が一筋だけ走る。

瞬きほどの時間。

「……今のは?」

再確認しても、
記録には残らない。

装置は正常。

ノアも微動だにしない。

整備員は首を傾げながら
報告書へ一行だけ追記した。

外装表面に一時的な反射変化を確認。
原因不明。

それ以上、
異常とは判断されなかった。



解析室。

ルナの投影する同期ネットワークが、
教導院全域を淡く描き出していた。

ミレイは時系列を一つずつ重ねる。

アルトとノアの同期開始。

同期終了。

その直後。

施設全域で、
ごく小さな位相変化。

誤差と呼べるほど微細。

しかし全て同じ時刻だった。

「偶然……じゃない。」

ルナは静かに補足する。

「収束点は依然、
不明です。」

画面中央には小さな揺らぎだけが残っている。

それは第七封鎖区画を指してはいない。

もっと深い場所。

もっと広い構造。

ミレイは端末を閉じた。

まだ証明できない。

だが教導院そのものが、
同期を返したように思えた。



旧管理システム。

カイン班は解析を続けていた。

画面が一瞬だけ明滅する。

削除済み管理権限。

更新。

その表示だけが現れ、
すぐ消えた。

「……今。」

エルクが息を呑む。

「誰かがアクセスした。」

誰の名前も表示されない。

履歴も残らない。

セシルは記録を保存しようとするが、
保存先には空白しか残らなかった。

カインは静かに画面を見つめる。

「管理者は消えていない。」

その言葉を、
誰も否定できなかった。



整備区画。

修復途中のドライグは静かに眠っている。

ガルドは巨大な装甲へ手を添え、
目を閉じた。

遠い記憶。

白い研究棟。

巨大な隔壁。

何人もの研究員。

その中央で指示を出す若い整備主任。

横顔だけが見える。

今よりも若いエルヴィンだった。

「境界を――」

そこから先だけが、
白い霧へ溶ける。

「……またか。」

目を開ける。

ドライグは何も語らない。

だが失われた記憶だけが、
少しずつ近付いている気がした。



地下管理通路。

エルヴィンは封鎖扉の前へ立っていた。

古い鋼鉄。

幾重にも走る封印線。

その全てが、
長い年月を超えてなお静かだった。

彼は触れない。

触れる必要がないことを知っている。

「まだ開く時ではない。」

小さな独り言。

返事はない。

だが、
その沈黙は拒絶ではなく、
待機にも思えた。

エルヴィンは振り返らず、
その場を離れる。



管理局。

フィオナは違和感報告を整理していた。

「廊下が少し長く感じた。」

「時計の音が一度だけ遅れた。」

「教室の窓の位置が違った気がする。」

内容はばらばら。

共通点はない。

ふと、
発生時刻を並べる。

全て同じだった。

アルトとノアの同期終了直後。

フィオナは無言で、
その時刻へ印を付ける。



解析区画。

シエラとエドガーは、
新しい波形を前に沈黙していた。

侵食ではない。

同期でもない。

既知のどの分類とも一致しない。

「分類できない……。」

シエラの声は小さい。

エドガーも頷くだけだった。

未知という言葉では足りない。

それは、
分類そのものの外側から現れた反応だった。



夜の教導院。

訓練を終えたダグ班は無言で廊下を歩いていた。

見慣れた一本道。

曲がり角。

窓。

すべて同じ。

そのはずだった。

一歩だけ進んだ瞬間、
景色が僅かにずれる。

窓枠の高さ。

照明の間隔。

壁の継ぎ目。

次の瞬間には元へ戻っていた。

「……。」

誰も何も言わない。

言葉にするほどの異常ではない。

だからこそ、
不安だけが残った。



深夜。

教導院の照明は静かに落ち、
施設は眠りにつく。

誰も気付かない。

誰の端末にも警告は出ない。

しかし同期ネットワークの最深部で、
ごく微細な位相変化が一度だけ走る。

波紋は施設全体へ広がり、
音もなく消えた。

観測できた者は、
誰一人いない。

それでも、
その変化は確かに存在した。

まるで長い沈黙の果てに、

境界の向こう側が、
初めて静かに応答したかのように。

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