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『ドールズ・ハイ』           第1章『黒の残響』第49話『空白記録』

―あらすじ―


距離は狂い始めた。

廊下は長く見え、
足音は遅れて届き、
視界の端には存在しないはずの白が揺れる。

教導院は依然として平静を装う。

だが、
生徒達の不安は限界へ近づいていた。

誰も説明できない。

誰も証明できない。

それでも確かに、
何かが近づいている。

アルトは、
第二波形が現象ではなく
“意思”を持っている可能性を考え始める。

一方、
カインは封印された過去記録の奥に、
教導院が隠し続けてきた痕跡を発見する。

そして夜。

隔離区画で、
決して起きるはずのない変化が発生する――。

第49話『空白記録』


朝の教導院は、
曇天の下で静まり返っていた。

白い空は低く垂れ込み、
校舎の窓に鈍く映り込んでいる。

生徒達は歩いている。

だが以前のような賑やかさはない。

廊下ですれ違う声も小さい。

視線だけが落ち着かない。

「また封鎖増えたらしい」

誰かが小さく言った。

「設備点検だろ」

そう返す声にも、
自信はなかった。

教師達も同じだった。

表情を崩さず授業を進めている。

だが教卓へ置かれた端末を、
必要以上に確認している。

誰も口にはしない。

それでも教導院全体に、
張り詰めたものが広がっていた。



アルトは窓際の席で、
ぼんやり外を見ていた。

授業内容は頭に入らない。

背後に気配がある。

もう慣れてしまっていた。

以前なら振り返っていた。

今は違う。

振り返っても、
何もいないからだ。

それを知っている。

それでも。

いる。

そんな感覚だけが残る。

窓ガラスへ視線を向ける。

一瞬だけ、
白いものが映った気がした。

反射。

錯覚。

そう思って見直す。

もう何もない。

アルトは目を閉じた。

近づいている。

そう考えていた。

ずっと。

だが本当にそうなのだろうか。

近づいているのではない。

最初からいた。

見えていなかっただけで。

その考えが浮かんだ瞬間、
胸の奥が重く沈んだ。



昼休み。

ミレイは端末室にいた。

ルナの格納データ。

第二波形関連ログ。

何度も確認してきた記録。

だが今回は別の違和感を見つけた。

「……何これ」

記録番号。

通常なら連続している。

だが飛んでいる。

一つ。

二つではない。

複数。

欠番が存在していた。

さらに奇妙なことに、
存在しない番号が混じっている。

本来登録されていないはずの識別番号。

開こうとする。

エラー。

再度開く。

空白。

保存しようとする。

画面が瞬いた。

次の瞬間。

欠番だけが消えていた。

最初から存在しなかったかのように。

ミレイは端末を見つめた。

妙な汗が背中を伝う。

データが壊れているのではない。

記録そのものが、
抜け落ちている。

そんな感覚だった。



夕方。

リオはフェル格納区画へ向かっていた。

封鎖区画の増加で、
廊下は以前より静かだ。

警備員とすれ違う。

誰も話さない。

格納庫内部。

フェルはいつも通りだった。

沈黙。

固定フレーム。

異常なし。

監視表示も正常。

リオは小さく息を吐いた。

そして何気なく、
管理記録へ目を向ける。

「……は?」

数時間分。

空白。

巡回記録も。

状態確認も。

全て抜けている。

機器故障では説明できない。

そこだけ、
存在していない。

担当監視員へ聞く。

だが相手も首を傾げるだけだった。

「分からない」

その言葉が、
妙に重く聞こえた。



夜が近づく頃。

カインは独自端末を操作していた。

封鎖された旧データベース。

幾重もの閲覧制限。

消された記録群。

その奥。

偶然とも思えない断片へ辿り着く。

画面へ表示された名称。

《第零隔離事案》

カインの表情が止まる。

開く。

本文は削除済み。

報告内容も。

経緯も。

全て空白。

だが一部だけ残っていた。

関係者欄。

そこには複数の名前。

教導院上層部。

現在も権限を持つ人間達。

見覚えのある名が並んでいる。

カインは無意識に拳を握った。

古い事件。

隠された事故。

そして現在の異常。

無関係とは思えなかった。

画面更新。

次の瞬間。

データが消える。

アクセスログも消失。

まるで最初から存在しなかったように。

だがカインは確かに見た。

《第零隔離事案》

その文字だけは、
脳裏に焼き付いていた。



解析室。

シエラは表示された波形を睨んでいた。

第二波形。

存在しないはずの反応。

消える記録。

欠損するログ。

そして観測不能現象。

「違う……」

小さく呟く。

エドガーが顔を上げる。

「何がだ」

「侵食じゃない」

シエラはゆっくり言った。

「もっと厄介」

画面を指差す。

「記録そのものを書き換えてる」

室内が静まる。

エドガーの顔色が変わった。

明らかだった。

何かを知っている。

だが言わない。

言えない。

そんな沈黙だった。



夜。

資料保管棟。

利用者は誰もいない。

白い照明だけが並ぶ静かな部屋。

古い端末が並んでいる。

その一台が、
不意に起動した。

誰も触れていない。

電源ランプが灯る。

暗い画面。

ノイズ。

そして。

文字。

『記録は残らない』

数秒。

それだけ。

直後。

ブラックアウト。

再起動もしない。

まるで幻だったかのように。

だが監視カメラも、
その瞬間だけ映像を失っていた。



深夜。

地下隔離区画。

監視員達が巡回を続けていた。

遮断壁正常。

封鎖状態維持。

異常なし。

定時報告も終わる。

誰もが安堵しかけた。

その時だった。

監視端末が短く鳴る。

入退室記録更新。

監視員の一人が画面を見る。

そして眉をひそめた。

新規アクセス履歴。

時刻は数分前。

認証通過。

入室許可。

だが。

名前がない。

認証情報もない。

空白。

全て空白。

監視員達は顔を見合わせる。

そんな記録は存在しない。

存在できない。

再確認する。

変わらない。

空白のまま。

その時。

画面が一度だけ点滅した。

新しいログが追加される。

誰も操作していない。

誰も入力していない。

静かな監視室。

誰一人声を出せない中。

空白の記録の下へ。

新しい一行だけが表示された。

『確認済』

そこで画面は静止した。

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