『ドールズ・ハイ』 第1章『黒の残響』第57話『封鎖記録』
―あらすじ―
『第七封鎖区画』
その名は消された記録の奥底にだけ残されていた。
ミレイの解析。
カインの調査。
シエラ班の統合分析。
それぞれ異なる手段で進められていた探索は、
少しずつ同じ結論へ収束し始める。
一方、教導院では説明できない違和感がさらに広がっていた。
久しぶりに描かれる格納庫では、
リオや整備員達までもが小さな異変を感じ始める。
そして教官ガルドもまた、
経験だけが告げる異常の気配に気付き始めていた。
記録は正常。
システムも正常。
それでも何かがおかしい。
隠された過去へ近付く者達は、
まだ知らない。
その封鎖が今も続いている本当の理由を――。

第57話『封鎖記録』
晩秋の曇天が教導院の上空を覆っていた。
乾いた風が校舎の壁面を撫で、
中庭の落葉を静かに転がしていく。
授業は通常通り行われている。
訓練も実施されている。
生徒達も普段と変わらない。
それなのに。
最近は妙な会話を耳にすることが増えた。
「昨日の課題って何だったっけ?」
「いや、覚えてるんだけど……何か曖昧なんだよな」
「最近ぼんやりしない?」
そんな言葉が、
教室のあちこちで交わされていた。
誰も深刻には考えていない。
だが確実に増えている。
その事実だけが、
静かに不安を広げていた。
アルトは夢から目を覚ました。
白い空間だった。
果てのない白。
輪郭の曖昧な景色。
そして。
誰かがいた。
姿は見えない。
顔も分からない。
声も聞こえない。
ただ。
そこへ行くな。
そんな感覚だけが胸に残っている。
アルトはベッドの上でしばらく動かなかった。
夢の内容はすぐに薄れていく。
だが警告だけは消えない。
窓の外では曇った空が広がっていた。
「……何なんだよ」
呟いても答えはない。
◇
昼前。
格納庫。
巨大なシャッターの向こうには、
静かに並ぶゲゼール達の姿があった。
フェル。
ルナ。
雷狼型を含む各種機体。
全て待機状態。
起動音はない。
整備員達だけが忙しく動いている。
リオは工具箱を抱えながら点検補助を行っていた。
「昨日の点検記録、確認してくれ」
整備員に言われ、
端末へ目を落とす。
内容は正常だった。
作業時間。
点検項目。
交換部品。
全て残っている。
だが。
「……あれ?」
リオは首を傾げた。
「どうした?」
「いや……昨日ここで何やってたか少し曖昧でさ」
整備員が笑う。
「疲れてるんじゃないか?」
「かもな」
リオも苦笑した。
だが違和感は残る。
記録はある。
自分の名前もある。
なのに実感だけが薄い。
少し離れた場所で、
アルトもその会話を聞いていた。
なぜか妙に気になった。
◇
その頃。
ガルドは格納庫内を巡回していた。
教師陣の中でも、
長く現場に関わってきた人間だった。
整備記録を確認する。
異常なし。
稼働率正常。
消耗率正常。
全て正常。
だが。
ガルドは足を止めた。
視線を格納区画へ向ける。
何かがおかしい。
そう感じる。
証拠はない。
数字も問題ない。
それでも。
経験だけが警鐘を鳴らしていた。
「……気のせいならいいがな」
誰にも聞こえない声だった。
◇
ミレイは解析室にいた。
端末上には複数のデータが表示されている。
欠番ログ。
異常報告。
位置情報。
生徒行動履歴。
それらを重ねていく。
何度も。
何度も。
結果は変わらない。
異常発生地点は、
第七封鎖区画周辺へ集中していた。
完全な一致ではない。
だが無視できる偏りでもない。
「やっぱり……」
ミレイは小さく呟く。
偶然では説明しづらい。
原因はまだ分からない。
だが中心は存在する。
そんな確信だけが強まっていた。
◇
図書棟。
カインは封印資料を読み続けていた。
閲覧制限付きデータ。
削除済み文書。
参照番号だけが残された記録群。
不自然だった。
通常の情報統制なら、
資料そのものを消す。
だがここには違う痕跡がある。
存在だけを残し、
中身だけが抜かれている。
まるで。
何かが存在した事実だけは消せなかったかのように。
カインは眉を寄せた。
「隠している……?」
そう考える方が自然だった。
だが何を。
誰から。
答えは見つからない。
◇
ダグ班は訓練を終えていた。
汗を拭きながら班員達が雑談している。
その中の一人が首を傾げた。
「なあ」
「ん?」
「さっきの訓練さ」
「どうした?」
「途中の内容が曖昧なんだよな」
周囲が笑う。
だが当人は真面目だった。
映像記録を確認する。
正常。
本人も映っている。
訓練内容も記録されている。
問題はない。
なのに。
「変だろ……」
実感だけがない。
ダグは黙って映像を見つめた。
まただ。
最近こういう話が増えている。
偶然とは思えなかった。
◇
フィオナは報告データを整理していた。
違和感を訴えた生徒達。
その移動経路。
授業履歴。
立ち寄り場所。
一つずつ照合する。
そして気付く。
共通点がある。
封鎖区画周辺。
近くを通過した者が多い。
確証はない。
だが記録として残す価値はあった。
フィオナは端末へ入力する。
その表情は以前よりも真剣だった。
◇
解析室ではシエラとエドガーがデータをまとめていた。
欠番発生率。
報告件数。
認識異常発生頻度。
全て微増。
急激ではない。
だが止まってもいない。
グラフは静かに上昇している。
「良くない傾向ね」
シエラが言う。
エドガーも頷いた。
「まだ説明はできる」
「でも説明できる時間は長くなさそう」
二人の表情は重かった。
◇
夕方。
旧管理区画近辺。
人の姿は少ない。
立入禁止の標識。
使われなくなった通路。
アルトは遠くからそこを見ていた。
理由は分からない。
胸騒ぎだけがある。
行ってみたい。
だが近付きたくない。
相反する感情。
曇った空の下で、
アルトはしばらく動けなかった。
やがて踵を返す。
今はまだ。
その場所へ向かう気にはなれなかった。
◇
夜。
カインは最後の資料を開いていた。
断片的な記録。
その中に残された一文。
『封鎖後も現象継続』
そこで文章は終わっている。
続きは削除済み。
現象とは何か。
なぜ継続したのか。
何も分からない。
だからこそ不気味だった。
◇
深夜。
教導院データベース。
自動照合処理が実行される。
結果。
正常。
異常なし。
総数一致。
全項目正常。
だが。
処理完了直前。
画面端に一瞬だけ数字が表示された。
【参照記録:07-■■■】
存在しない番号。
次の瞬間には消える。
履歴にも残らない。
誰も見ていない。
誰も気付かない。
それでも。
静かな違和感だけが、
教導院の奥底で確かに広がり続けていた。
