『ドールズ・ハイ』 第1章『黒の残響』第51話『欠番』
―あらすじ―
『思い出さないで』
自分自身の筆跡で残された不可解なメモは、新たな異常の始まりを告げていた。
記録の欠損や認識の歪みは、もはやアルト達だけの問題ではない。
教導院全体へ静かに広がる違和感は、生徒達の日常そのものを侵食し始めていた。
久しぶりに描かれるダグ班もまた、その異変へ巻き込まれる。
訓練を終えた彼らは、説明できない“人数のズレ”に気付く。
しかし名簿も記録も正常。誰も証明できないまま、不安だけが残り続ける。
一方、ミレイは増え続ける欠番記録を追い、カインは《第零隔離事案》の新たな断片へ辿り着く。
そして教導院では、誰かが消えたのではなく、“誰かを忘れさせられている”
可能性が静かに浮かび上がっていく――。

第51話『欠番』
晩秋の曇天が教導院を覆っていた。
朝の光は白く薄く、窓の外では乾いた風が落葉を転がしている。
アルトは机の上の紙切れを見つめていた。
『思い出さないで』
短い一文。
何度見ても、自分の筆跡だった。
紙を丸めようとする。
だが指先が止まる。
捨てればいい。
ただそれだけのことなのに、なぜか捨ててはいけない気がした。
結局、アルトはそれを制服の内ポケットへしまった。
理由は分からなかった。
◇
訓練場には久しぶりに賑やかな声が響いていた。
「遅ぇぞお前ら!」
ダグの怒鳴り声に班員達が苦笑する。
「教官みたいなこと言ってるぞ」
「元からだろ」
「聞こえてんぞ!」
豪快な笑い声が広がった。
最近の教導院では珍しい空気だった。
張り詰めた沈黙ではなく、訓練場らしい活気。
ダグ班は変わらない。
少なくとも、そう見えた。
模擬訓練終了後。
班員達が給水ボトルを片付けている時だった。
ダグがふと眉をひそめた。
「……なぁ」
誰も返事をしない。
「なんだよ」
「いや……」
ダグは頭をかいた。
妙な感覚だった。
何かがおかしい。
だが説明できない。
「一人足りなくね?」
空気が止まる。
班員達が顔を見合わせた。
「は?」
「誰が?」
「いや……分かんねぇんだけどよ」
言った本人が困惑していた。
名簿を確認する。
全員いる。
出席記録も正常。
集合写真も正常。
人数も合っている。
だが。
違和感だけが消えない。
「気のせいじゃね?」
班員の一人が言う。
ダグは黙った。
証拠はない。
だが本能が否定していた。
気のせいではない。
何かが変だ。
それだけは確かだった。
◇
フィオナは校舎の窓から中庭を見ていた。
曇った空。
風に舞う落葉。
最近、生徒達の様子がおかしい。
会話が減った。
笑い声も減った。
皆どこか落ち着かない。
優秀な成績を維持してきた彼女ですら、その理由を説明できなかった。
班員が隣へ立つ。
「どうした?」
「少し考え事」
フィオナは答える。
そして小さく呟いた。
「何かが欠けている気がするの」
「欠けてる?」
「うん」
だが何が欠けているのかは分からない。
言葉にした瞬間、その輪郭が曖昧になる。
班員も首を傾げるだけだった。
◇
ミレイは端末画面を睨んでいた。
表示されたログ番号を指で追う。
2718。
2719。
2720。
2724。
そこで止まる。
「また……」
2721。
2722。
2723。
存在しない。
前回は二つだった。
今日は三つ。
欠番が増えている。
削除された形跡もない。
最初から存在しないように処理されている。
だが。
それを見るたびに胸がざわつく。
「記録じゃなくて……」
ミレイは呟く。
「人の認識が飛ばされてる?」
言葉にした瞬間、自分でも背筋が寒くなった。
◇
カインは旧端末の前で資料を追っていた。
《第零隔離事案》
その文字が再び表示される。
今回回収できた断片は僅かだった。
ほとんどが欠損。
ほとんどが削除。
それでも一行だけ残っていた。
『対象数変動』
カインの眉が動く。
対象数。
変動。
意味は分からない。
だが現在の状況と奇妙に重なる。
人数。
欠落。
違和感。
偶然とは思えなかった。
「何を隠してる……」
誰に向けた言葉でもなかった。
◇
シエラ班の解析室。
シエラは机に突っ伏しそうになりながら資料を整理していた。
向かいではエドガーも疲弊している。
「増えてる」
シエラが言う。
「異常の速度が上がってる」
エドガーは反論しなかった。
以前なら否定していた。
今はできない。
データが示している。
異常は拡大している。
確実に。
静かに。
そして誰にも止められない。
◇
昼。
食堂。
多くの生徒が昼食を取っていた。
その中で、ある席を見た女子生徒が足を止める。
「あれ?」
近くの生徒も振り返る。
「どうした?」
「この席……」
空席だった。
名札もない。
予約記録もない。
利用履歴もない。
それなのに。
誰かが座っていた気がする。
「誰かいたっけ?」
答えられる者はいなかった。
数人が首を傾げる。
そして数秒後には会話が途切れる。
まるで最初から話していなかったように。
しかし妙な既視感だけが残った。
◇
夜。
教導院データベース。
自動整合チェックが実行される。
膨大な記録を照合し続ける無機質な処理。
結果表示。
『生徒総数一致』
正常。
エラーなし。
問題なし。
だが。
画面端に一瞬だけ別の数字が浮かんだ。
『-1』
誰も見ていない。
次の瞬間には消えている。
ログも残らない。
記録も残らない。
まるで最初から存在しなかったかのように。
◇
夜更け。
アルトは寮の窓辺に立っていた。
校舎は静かだった。
白い照明が廊下を照らしている。
風が落葉を転がす音だけが聞こえる。
胸の奥に妙な感覚が残っていた。
忘れ物をしたような。
大切な約束を思い出せないような。
誰か。
誰かを。
忘れている。
そう思った。
だが名前が出てこない。
顔も思い出せない。
何も分からない。
それでも確かに。
誰かがいた気がした。
アルトは窓ガラスへ映る自分の姿を見つめる。
そして小さく目を閉じた。
思い出せない。
思い出してはいけないのかもしれない。
そんな考えだけが、静かな夜の中に残っていた。
