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『ドールズ・ハイ』          第1章『黒の残響』第51話『欠番』

―あらすじ―

『思い出さないで』

自分自身の筆跡で残された不可解なメモは、新たな異常の始まりを告げていた。
記録の欠損や認識の歪みは、もはやアルト達だけの問題ではない。
教導院全体へ静かに広がる違和感は、生徒達の日常そのものを侵食し始めていた。

久しぶりに描かれるダグ班もまた、その異変へ巻き込まれる。
訓練を終えた彼らは、説明できない“人数のズレ”に気付く。
しかし名簿も記録も正常。誰も証明できないまま、不安だけが残り続ける。

一方、ミレイは増え続ける欠番記録を追い、カインは《第零隔離事案》の新たな断片へ辿り着く。
そして教導院では、誰かが消えたのではなく、“誰かを忘れさせられている”

可能性が静かに浮かび上がっていく――。


第51話『欠番』


晩秋の曇天が教導院を覆っていた。

朝の光は白く薄く、窓の外では乾いた風が落葉を転がしている。

アルトは机の上の紙切れを見つめていた。

『思い出さないで』

短い一文。

何度見ても、自分の筆跡だった。

紙を丸めようとする。

だが指先が止まる。

捨てればいい。

ただそれだけのことなのに、なぜか捨ててはいけない気がした。

結局、アルトはそれを制服の内ポケットへしまった。

理由は分からなかった。

訓練場には久しぶりに賑やかな声が響いていた。

「遅ぇぞお前ら!」

ダグの怒鳴り声に班員達が苦笑する。

「教官みたいなこと言ってるぞ」

「元からだろ」

「聞こえてんぞ!」

豪快な笑い声が広がった。

最近の教導院では珍しい空気だった。

張り詰めた沈黙ではなく、訓練場らしい活気。

ダグ班は変わらない。

少なくとも、そう見えた。

模擬訓練終了後。

班員達が給水ボトルを片付けている時だった。

ダグがふと眉をひそめた。

「……なぁ」

誰も返事をしない。

「なんだよ」

「いや……」

ダグは頭をかいた。

妙な感覚だった。

何かがおかしい。

だが説明できない。

「一人足りなくね?」

空気が止まる。

班員達が顔を見合わせた。

「は?」

「誰が?」

「いや……分かんねぇんだけどよ」

言った本人が困惑していた。

名簿を確認する。

全員いる。

出席記録も正常。

集合写真も正常。

人数も合っている。

だが。

違和感だけが消えない。

「気のせいじゃね?」

班員の一人が言う。

ダグは黙った。

証拠はない。

だが本能が否定していた。

気のせいではない。

何かが変だ。

それだけは確かだった。

フィオナは校舎の窓から中庭を見ていた。

曇った空。

風に舞う落葉。

最近、生徒達の様子がおかしい。

会話が減った。

笑い声も減った。

皆どこか落ち着かない。

優秀な成績を維持してきた彼女ですら、その理由を説明できなかった。

班員が隣へ立つ。

「どうした?」

「少し考え事」

フィオナは答える。

そして小さく呟いた。

「何かが欠けている気がするの」

「欠けてる?」

「うん」

だが何が欠けているのかは分からない。

言葉にした瞬間、その輪郭が曖昧になる。

班員も首を傾げるだけだった。

ミレイは端末画面を睨んでいた。

表示されたログ番号を指で追う。

2718。

2719。

2720。

2724。

そこで止まる。

「また……」

2721。

2722。

2723。

存在しない。

前回は二つだった。

今日は三つ。

欠番が増えている。

削除された形跡もない。

最初から存在しないように処理されている。

だが。

それを見るたびに胸がざわつく。

「記録じゃなくて……」

ミレイは呟く。

「人の認識が飛ばされてる?」

言葉にした瞬間、自分でも背筋が寒くなった。

カインは旧端末の前で資料を追っていた。

《第零隔離事案》

その文字が再び表示される。

今回回収できた断片は僅かだった。

ほとんどが欠損。

ほとんどが削除。

それでも一行だけ残っていた。

『対象数変動』

カインの眉が動く。

対象数。

変動。

意味は分からない。

だが現在の状況と奇妙に重なる。

人数。

欠落。

違和感。

偶然とは思えなかった。

「何を隠してる……」

誰に向けた言葉でもなかった。

シエラ班の解析室。

シエラは机に突っ伏しそうになりながら資料を整理していた。

向かいではエドガーも疲弊している。

「増えてる」

シエラが言う。

「異常の速度が上がってる」

エドガーは反論しなかった。

以前なら否定していた。

今はできない。

データが示している。

異常は拡大している。

確実に。

静かに。

そして誰にも止められない。

昼。

食堂。

多くの生徒が昼食を取っていた。

その中で、ある席を見た女子生徒が足を止める。

「あれ?」

近くの生徒も振り返る。

「どうした?」

「この席……」

空席だった。

名札もない。

予約記録もない。

利用履歴もない。

それなのに。

誰かが座っていた気がする。

「誰かいたっけ?」

答えられる者はいなかった。

数人が首を傾げる。

そして数秒後には会話が途切れる。

まるで最初から話していなかったように。

しかし妙な既視感だけが残った。

夜。

教導院データベース。

自動整合チェックが実行される。

膨大な記録を照合し続ける無機質な処理。

結果表示。

『生徒総数一致』

正常。

エラーなし。

問題なし。

だが。

画面端に一瞬だけ別の数字が浮かんだ。

『-1』

誰も見ていない。

次の瞬間には消えている。

ログも残らない。

記録も残らない。

まるで最初から存在しなかったかのように。

夜更け。

アルトは寮の窓辺に立っていた。

校舎は静かだった。

白い照明が廊下を照らしている。

風が落葉を転がす音だけが聞こえる。

胸の奥に妙な感覚が残っていた。

忘れ物をしたような。

大切な約束を思い出せないような。

誰か。

誰かを。

忘れている。

そう思った。

だが名前が出てこない。

顔も思い出せない。

何も分からない。

それでも確かに。

誰かがいた気がした。

アルトは窓ガラスへ映る自分の姿を見つめる。

そして小さく目を閉じた。

思い出せない。

思い出してはいけないのかもしれない。

そんな考えだけが、静かな夜の中に残っていた。

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