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『ドールズ・ハイ』          第1章『黒の残響』第80話 前編『封鎖反応』

―あらすじ―

アルトとノアが経験した「接触の予兆」は、
一夜限りの現象では終わらなかった。

翌朝、
教導院では時計のずれや廊下の違和感、
同期設備の微細な誤作動など、
小さな異常が同時多発的に起こり始める。

ミレイは解析結果から教導院そのものが
巨大な封鎖システムとして
構築されている可能性をさらに強め、
カイン班は通常の管理系統とは異なる
上位権限の痕跡を確認する。

ガルドは創設当時の記憶へあと一歩まで迫り、
フィオナやシエラたちも
全域へ広がる静かな変化を観測する。

一方アルトの胸では《アイゼン・ガルテン》が
これまでになく確かな鼓動を刻み始め、
隔離格納庫のノアもまた、
誰にも知られぬまま静かに応答し始めていた。

第80話 前編『封鎖反応』


朝の教導院は、
いつもと変わらぬ一日を始めていた。

始業を告げる鐘が鳴る。

生徒たちは教室へ向かい、
整備班は格納庫へ、
研究班は解析室へ散っていく。

誰もが昨日と同じ朝を迎えたと思っていた。

だが、
小さな違和感だけが静かに積み重なっていた。

廊下の時計は一秒だけ遅れ、
すぐに正しい時刻へ戻る。

掲示板の教室配置図は、
一瞬だけ別の内容へ書き換わったように見えた。

誰かが見直せば元に戻っている。

「……今、
違ったよな?」

問いかけても、
返ってくるのは曖昧な笑みだけだった。

異常と呼ぶには、
あまりにも些細だった。



アルトは胸元へそっと手を当てた。

制服の下。

身体と一体化した《アイゼン・ガルテン》が、
昨日までとは違う存在感を放っている。

熱ではない。

痛みでもない。

生き物の鼓動にも似た、
ごく微かな脈動。

一拍。

間を置いて、
もう一拍。

「……またか。」

リオが横を歩きながら、
不思議そうに顔を向ける。

「体調でも悪い?」

「いや……。」

そう答えながらも、
自分でも説明できなかった。

胸の奥で何かが待っている。

そんな感覚だけが、
朝から離れなかった。



解析室では、
幾重にも重なった同期波形が、
空中へ投影されていた。

ルナは静かな声で報告する。

「夜間以降、
同期ネットワーク全域に位相変動を確認。」

ミレイは波形を拡大した。

無数の線は、
それぞれ独立して揺れているようでいて、
最後には一つの中心へ集まっていく。

「また、
ここ……。」

収束点は見えない。

認識できない。

だが、
存在だけは否定できなかった。

教導院は校舎ではない。

訓練施設でもない。

もっと巨大な何かを維持するため、
全体が組み上げられている。

その仮説が、
解析を重ねるたびに現実味を帯びていく。

「教導院そのものが……。」

ミレイは言葉を飲み込んだ。

まだ証明できる段階ではなかった。



旧管理システム。

カイン、
エルク、
セシルは深夜から解析を続けていた。

画面の奥で、
削除済み領域が微かに揺れる。

「来るぞ。」

エルクが呟いた直後。

管理権限一覧へ、
新たな階層が一瞬だけ現れる。

教導院管理局。

施設保全部。

同期運用部。

そのさらに上。

名称は空白。

識別番号だけが存在していた。

「こんな階層……。」

セシルが息を止める。

通常の管理系統には存在しない。

誰かが後から作ったのでもない。

最初から組み込まれていた権限だった。

カインは静かにモニターを閉じる。

「この施設には、
俺たちの知らない管理者がいる。」

誰も否定しなかった。



整備格納庫。

ドライグの修復は終盤へ差しかかっていた。

ガルドは
磨き上げられた装甲へ映る自分を見つめる。

その瞬間。

景色が重なった。

まだ新しかった教導院。

白い作業着。

運び込まれる巨大な装置。

その先には、
人ひとりが通れるとは思えない隔壁。

「急げ。」

誰かが叫ぶ。

「封鎖まで時間がない。」

振り向く。

そこに立っていた人物の顔だけが、
光へ溶けた。

「……っ!」

記憶は途切れる。

残ったのは、
巨大な扉だけだった。



管理局。

フィオナの机には報告書が積み上がっていた。

「設備異常。」

「認識違和感。」

「同期遅延。」

内容は全く一致しない。

しかし件数だけが異常な速度で増え続けている。

彼女は時刻を並べる。

発生地点を地図へ落とし込む。

静かに息を呑んだ。

「広がってる……。」

教導院全域へ。

波紋のように。



シエラとエドガーは
同期観測室で施設全体を監視していた。

淡い光点がゆっくり移動する。

侵食反応ではない。

同期反応でもない。

それらを避けるように、
施設の内部だけを流れていく。

「まるで……。」

エドガーが呟く。

「施設そのものが呼吸している。」

シエラは返事をしなかった。

否定する根拠が見つからなかった。



昼休み。

ダグ班は食堂へ向かっていた。

毎日通る中庭。

見慣れた噴水。

一本の並木道。

それなのに、
一歩踏み出すたび景色がわずかに噛み合わない。

昨日より木が一本多い。

いや、
少ない。

誰も確信できない。

「……気のせいか。」

ダグは立ち止まる。

誰も答えなかった。



地下隔離格納庫。

ノアは静かに佇んでいた。

黒殻は沈黙し、
計器も正常値を示している。

整備員が巡回を終え、
照明だけが静かに揺れる。

その時だった。

黒殻の表面へ、
白い光が細い血管のように浮かび上がる。

一秒。

二秒。

そして静かに消えた。

異常警報は鳴らない。

誰も気付かない。

だが、
格納庫の空気だけが一瞬震えた。



同じ頃。

教室の窓際で立ち止まったアルトは、
胸を押さえた。

《アイゼン・ガルテン》が、
はっきりと脈打つ。

昨日までの余韻ではない。

確かな鼓動。

遠く離れた何かと、
拍動を重ねるように。

アルトはゆっくりと顔を上げる。

見上げた先には、
いつもの教導院の空しかない。

それでも胸の鼓動は止まらなかった。

そしてその瞬間――

地下隔離格納庫で眠るノアの黒殻にも、
同じ鼓動が静かに響き始めていた。

だが、
それが何を意味するのかを知る者は、
まだ誰一人としていなかった。

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