『ドールズ・ハイ』 第1章『黒の残響』第73話『沈黙の管理主任』
―あらすじ―
旧施設資料の解析が進む中、
アルトたちは「保守管理区画」に関する痕跡へと
接近し始めていた。
ミレイは空白区画と異常発生地点の収束が
さらに明確になっていることを確認する。
カイン班は過去資料の欠落から、
教導院内部に
意図的に隠された管理領域の存在を疑い始める。
ガルドはドライグ修復ログの中で、
消去された旧管理者アクセスの断片を発見する。
教導院の日常は続くが、
その裏側で「認識されない領域」に関する情報だけが静かに浮かび上がっていく。
そしてその中で、
教導院整備主任“エルヴィン・クラウゼン”が、
アルトたちの調査対象と重なる存在として浮上する。
エルヴィンは教導院創設初期から在籍する古参技術者であり、
ゲゼール整備および施設維持の双方に関わってきた数少ない人物の一人だった。

第73話『沈黙の管理主任』
教導院の朝は変わらない。
訓練施設では整備音が響き、
生徒たちはいつも通りの一日を始めている。
アルトはその中にいながら、
意識だけが少しずつ別の方向へ引き寄せられている感覚を覚えていた。
理由は明確だった。
“理解できない署名”の続きを追っている。
◇
午前の講義。
戦術理論。
同期制御応用。
機体制御安定論。
アルトは内容を理解している。
だが思考の一部は常に別の地点に残っている。
保守管理区画。
その言葉が頭から離れない。
◇
ミレイは解析室にいた。
空白区画。
異常発生地点。
欠落した管理記録。
それらを統合すると収束点はさらに明確になる。
だがミレイはその結果以上に、
別の異常に気付く。
「収束しているのに、
誰かが避けている」
◇
カイン班は旧資料を再調査していた。
保守管理区画という名称は確かに存在する。
しかしそこに関する情報だけが
意図的に欠落している。
カインは資料を閉じる。
「隠してるな、これ」
エルクが応える。
「知ってる奴がいるってことだ」
◇
ガルドはドライグ修復区画にいた。
修復ログの中に、
一瞬だけ異常なアクセス記録が浮かぶ。
削除されたはずの旧管理者権限。
だが痕跡だけが残っている。
ガルドは眉をひそめる。
「まだ生きてるのか……この記録」
◇
フィオナは違和感報告を整理していた。
件数は増加している。
しかし誰もそれを重大な異常として扱わない。
説明できないズレだけが蓄積していく。
フィオナは静かに息を吐く。
◇
シエラとエドガーは解析結果を確認していた。
異常伝播はすでに中枢領域へ達しつつある。
「止まる気配がない」
エドガーが言う。
シエラは無言で頷く。
◇
ダグ班は訓練後の人数確認を行っていた。
記録は一致している。
しかし一人が呟く。
「これ、
前にも同じことやった気がする」
誰も否定できない。
◇
放課後。
アルトは単独で資料室へ向かっていた。
保守管理区画の手掛かりを探すためだった。
古い管理承認書を開く。
その瞬間、
背後から声がかかる。
◇
「それに触れるのは、まだ早い」
低い声だった。
振り返ると、
一人の男が立っている。
整備主任エルヴィン・クラウゼン。
教導院創設初期から在籍し、
ゲゼール整備と施設維持の両方を一手に担ってきた古参技術者である。
その存在は誰もが知っているはずだった。
しかしアルトにとっては、
初めて“意識した人物”だった。
◇
エルヴィンは古い資料に視線を落とす。
そして一瞬だけ動きを止める。
「……まだ残っていたか」
その言葉だけを残す。
それ以上は語らない。
◇
アルトは問いかける。
「これは何なんですか」
しかしエルヴィンは答えない。
代わりに言う。
「知ることは止めない」
「だが、今ではない」
◇
そして静かに歩き去る。
アルトはその背中を見送る。
手の中の資料だけが、
妙に重く感じられた。
◇
夜。
誰もいない資料室。
古い記録の端に残る署名。
それは昨日よりわずかに
“意味へ近い形”に揺れている。
しかしまだ言葉にはならない。
アルトはそれを見つめる。
「あと少しで……届く」
そう呟く。
